9時半を過ぎたころ、不意に記者の携帯電話が鳴った(イメージ)
「きっと彼女には家族がいると思っているんです。でももう7年近くも経つのに、誰も迎えに来ない。日本の、今の世の中で、こんなことってあるんでしょうか」
この日から柳田さんの取材が本格的に始まった。館林市役所、東武鉄道の駅員、柳田さんを保護した警察官。番組に向けて撮影を進め、5月11日のNHKスペシャルの中で放送した。午後9時から始まった番組は滞りなく流れていき、柳田さんのシーンが流れた。9時半を過ぎたころ、不意に記者の携帯電話が鳴った。視聴者の方からの問い合わせを知らせる電話だった。問い合わせは高齢の女性からだった。
「あの、私、浅草に住んでるんですけど、さっきテレビで流れた、群馬の老人ホームに入っている女性の方、あれ、私の知ってる人じゃないかと思うんですよね。柳田さんっていってね、昔ここいらで本屋さんをしていたおうちのお嬢さんなんです。たしかどこかのアナウンサーをしてたんじゃなかったかな」
時を同じくして、別のスタッフが取った電話でも、浅草に住む柳田さんではないか、という情報が寄せられていた。次にかかってきた電話で、家族に関する情報が寄せられた。
「ご主人は今も浅草にお住まいのはずです」
住宅地図で探すと、電話で示された住所のあたりに「柳田」という名前の住宅があった。別の記者がNTTの電話番号案内で尋ね、番号が判明した。午後10時を回っていた。遅い時間だったが、思い切って電話すると、やや低い声の男性が出た。柳田さんのご主人、滋夫さんだった。
「いや、今、家族やら知り合いやらから電話がばんばんかかってきててね、おれも途中からテレビをつけたんだ。最後のところ、見たよ。間違いない、うちのかみさんだ。名前は、三重県の三重に子どもの子で、三重子っていうんだ」
探し求めていた家族にたどり着き、柳田さんが名前を取り戻した瞬間だった。
「いなくなってからずっと捜していたけど、もうほとんどあきらめていてね……今年でちょうど7年になるから、戸籍上の失踪宣告を出そうと思ってたんだよ……いや、神様って本当にいるんだな……」
放送から一夜明けた朝、私たちは滋夫さんのもとへ向かった。滋夫さんによると、三重子さんが行方不明になったのは、2007年10月29日。三重子さんはその数年前から認知症を患い、仕事をしている滋夫さんに代わって、同居している滋夫さんの母親が介護にあたっていた。まだ症状は軽かったものの、1人で家から出てしまうことや、時折道に迷って自宅が分からなくなることがあり、玄関にセンサーを取り付けようかと考えていた矢先の出来事だったという。