当時、“美容整形の先駆者”としてさまざまな施術を体験していた作家の中村うさぎさん(65才)も「周囲の人たちはみんな、“なんだか怖い”というイメージを持っていた」と振り返る。
「私が初めて施術を受けたのは2002年、44才のときでした。まずはヒアルロン酸やボトックスの注入で輪郭を変える“プチ整形”からスタートし、メスを入れるフェイスリフト手術や、さらには豊胸手術まで『ここをこうしたい』という欲望のまま、さまざまな施術を繰り返してきました。そんな私に、周りの人たちは女もオネエも『失敗したら、怖いんじゃないの?』と、奇異な視線を投げかけてきました」
そうした整形へのイメージはカルチャーにも表れている。インターネット黎明期である 2002年に人気を博した米倉涼子主演のドラマ『整形美人。』(フジテレビ系)では、全身整形したモデル美女はその事実を必死に隠そうと奮闘する。中村さんも当時はそうした風潮があったと続ける。
「そもそもやっていることを公言していた私にはタブーでも何でもなかったけれど、周囲の中には『絶対にバレたくない』と言い、整形の話題になっただけでビクビクしている人もいました。いま以上に『整形はずるい』という考え方を持つ人も多かったと思う」
当時は「結婚前の整形が夫にバレて離縁された妻」という話もよく報じられた。しかし、根底に「きれいになれるなら、なってみたい」という思いがあるからこそ“ずるい”という感情が生まれるのだろう。中村さんが言う。
「みんな怖いと言いながら、実は興味津々。無事に施術が成功し、きれいになった姿を見ると、みんな『私もやりたい!』と次々に主治医だったタカナシクリニックの高梨院長のもとに駆け込んだ。いわば私は、美容整形における“ファーストペンギン”だったのかもしれません(笑い)」
どんな施術を受けたかはもちろん、術後の経過からビフォーアフターまで赤裸々に綴った中村さんのエッセイやルポは大きな話題を呼び、それらが掲載された雑誌や書籍は大人気に。特に“夜の女性”が集まる銀座の街では“書店から本が消える”事態になったという。最初のひとりが飛び立つと同時に、その頃から美容整形の技術は大きな転換期を迎えることになる。
『美容整形と化粧の社会学─プラスティックな身体』の著書があり、約20年にわたり整形について調査・研究をしている関西大学総合情報学部教授の谷本奈穂さんが言う。
「1990年代に医療用レーザーが美容クリニックに導入されたことと、2000年代以降の美容機器の発展により、メスを使わない施術が可能になりました。そのことに加え、雑誌やテレビだけでなくウェブからも情報を得ることができる社会になった結果、施術や病院について簡単に知れるようになり、じわじわとハードルが下がっていきました」
武田さんも、「メスを使わない“非外科”が美容医療を一般化させた」と話す。
「特にしわやたるみをとったり、顔をリフトアップしたりするアンチエイジングに関する施術は、メスを入れずに行うことが多くなった。また、そうしたメニューは顔の造作そのものを変えるわけではない。そのため『親にもらった顔を……』と懸念する層にも受け入れられやすかった。この頃になると、昔は半ばタブーであった手術や美容医療について話すことへの抵抗感も薄くなってきていることを実感しました」