事件を引き起こしたさなかに猿之助が出演していたのは、「不死鳥」をモチーフにした歌舞伎公演だった。それから3か月──裁判すら始まっていないにもかかわらず、猿之助の“復活”は動き出していた。
コンクリート造りのモダンな外観のその邸宅は、都内の閑静な住宅街の袋小路にある。季節の花々のプランターが置かれていた敷地の入り口には、いまも「警視庁」と書かれた黄色い規制テープが貼られ、重苦しい雰囲気が漂う。
およそ3か月前、「事件現場」となり、報道ヘリが頭上を飛び回り、記者が大挙して押しかけた喧騒はすでにない。しばらく家主不在だったその邸宅に、8月中旬、都内の大学病院を退院した市川猿之助被告(47才)が帰宅した──。
猿之助は今年5月、歌舞伎役者だった父・市川段四郎さん(享年76)と母親(享年75)への自殺幇助の罪で逮捕、起訴された。7月末、勾留先の警視庁原宿署から保釈され、東京都心にある有名大学病院に入院した。
「保釈時、報道陣に向けて5秒間深く頭を下げました。髪の毛は伸びており、ガラリと変わった印象に驚かされた人も多くいました。そのままワンボックスカーに乗り込み、病院に向かいました。退院して自宅に戻ったのは、お盆が明けた頃だったそうです」(全国紙社会部記者)
冒頭に記した自宅は、まさに両親が命を落とした「事件現場」だ。猿之助自身が地下室で自殺を図った場所でもある。
「両親が睡眠薬をのんで意識が混濁したあとに、“顔にビニール袋をかぶせ、養生テープで留めた”と、本人が供述しているように、
リビングはまさに両親が最期を迎えた場所。いまも猿之助さんの脳裏にそのときの様子が焼き付いているでしょう。
再び猿之助さんが過ちを犯さないかと、“衆人環視のある施設やホテル暮らしをした方がいいのではないか”と心配する人もいたんですが、結局、本人の希望もあり自宅に戻ることになりました」(澤瀉屋関係者)
事件直後から、猿之助が再び自殺を図る危険性が懸念された。保釈され、退院した現在でも「医療的ケア」は続いている。8月下旬の昼過ぎ、猿之助は事務所関係者に付き添われ、入院していた大学病院に姿を見せた。バケットハットにサングラス、マスク姿で、ネイビーのTシャツに身を包んだ猿之助は、少し猫背気味だがしっかりとした足取りで、病院の関係者用玄関を出入りした。
「入院中から、一般の入院患者や見舞いの人と顔を合わせることが絶対にないよう、特別室を利用していました。退院後も、カウンセリングなどを定期的に受ける予定のようです」(病院関係者)
まだ刑の確定前だが、保釈後は遠方への外出などを除いて、日常生活に特段の制限はかからない。誰と会ってもいいし、仕事をするのも許される。別の日の夜には、猿之助は自転車で外出した。
「帽子をかぶり、サングラスとマスクで顔は隠していましたが、猿之助さんだと一目でわかりました。自宅に戻ってきているとは知らなかったので驚きましたけど、短パンにサンダル履きというラフな格好でしたし、自転車も軽快にこいでいて、“潜伏生活”を送っているわけではなさそうでした」(目撃した近隣住民)