深夜アルバイトと大学予備校の両立に奮闘したというエマさん
覚えた日本語はどんどん使ってほしい、と教師は言う(思う)。けれど考えてみれば、職場や学校以外で『誰かと会話をしなければならない』場面は今、ほとんどない。テキストには『大家さんに旅行のお土産を渡す』とか『電車に忘れ物をして駅員さんに問い合わせる』などのやりとりが載っているが、そのようなことがしょっちゅうある(起きる)わけでもない。
エマさんは覚えた日本語をどこで使っていたのだろう。
「フランス語が通じる留学生はわりといて、授業が終わったらフランス語で話せば気が楽ではあったんですけど、私はできるだけ、共通語が日本語しかないクラスメイトに話しかけるようにしてました。漫画とかはあまり読まなかったし喋るほうが好きだったので、ちょっと恥ずかしくても自分から喋りかけようとしていたかな。
やっぱり、早く上達したいという気持ちが強かったんですよね。留学はお金もかかるし、自分はベナン人の中でも恵まれているほうだと自覚していたので、最善を尽くしたかった。だから教室でも最前列に座っていました。頑張って、というより、そうしたくて。
留学生活2年目からは深夜のアルバイト、夜10時から朝6時までアパレル店の閉店後の片付けをするアルバイトをしたので、学校との両立はかなりキツかったですね。でも、眠たくても最前列にしか座りたくないという気持ちで真っ赤な目を開けていました。多分、居眠りはしなかったと思います……多分(笑)」
積極的に他国の級友に話しかけ、意欲的に学ぶ学生が一人いるとクラスの空気は変わるものだ。深夜のアルバイトをしながら、懸命に目を開けて授業を受けていたエマさんに影響され、発奮した同級生は多かったことだろう。
1年9か月の日々を日本語学校で過ごし、エマさんは大阪府立大学へ進む。さすがだなあ、と事前に得ていたプロフィールを見て確認したら『あ、実はですね、日本語学校を卒業したあと、1年間予備校に通ったんです』と答えが返ってきた。スムーズに大学に進学したのではなかったらしい。