芸能

【谷村新司さん哀悼秘話】抱えていた家族に関する苦悩 長男は消息不明、葬儀にも姿を見せなかった

ヒット曲をいくつも持つ谷村新司さん(写真/女性セブン)

ヒット曲をいくつも持つ谷村新司さん(写真/女性セブン)

 谷村新司さん(享年74)死去の知らせは、日本のみならず世界中を悲しみに包んだ。名曲を通して、多くの人に感動を届けた彼だったが、数年前まで仲睦まじかった子供たちとは最後まで心を通わせられなかったのかもしれない。「親が偉大だと子供は苦労する」と言うが、彼の場合は──。【前後編の後編。前編から読む

 * * *
 シンガーとしてもクリエーターとしてもその才能を大いに発揮し、また、人当たりも面倒見もよく、多くの人に慕われていた谷村さん。しかし──と谷村さんの知人は視線を落とす。

「家族については思い残すことだらけだと思います。どうしてこんなことになってしまったのか……」

 谷村さんは4人家族で、妻と2人の子供がいる。妻となる孝子さんと出会ったのは1975年頃。まだアリスがヒット曲に恵まれていない時期だった。

 谷村さんが仕事場へ向かう途中にある原宿のブティックで働いていたのが、5才年下の孝子さんだった。谷村さんはよくその店で買い物をしており、一目で彼女こそが運命の人だと信じたという。結婚のタイミングで受けたインタビューで彼は妻への第一印象をこう話している。

《なんていえばいいかなァ、言葉を探せば、肌が合うというか同じ匂いを感じ合えるということでした》(1977年・『週刊女性』)

 プロポーズは、出会って1週間後の初めてのデートのとき。それから2年半の交際を経て、谷村さんが憧れていた神戸の教会で結婚式を挙げて夫婦となった。

 この頃には谷村さんは地元大阪の人気深夜ラジオ番組『ヤングタウン』のパーソナリティーを務めるなど、存在感を発揮し始めていたが、その人気が絶対的なものとなったのは、結婚の約20日後に発売された『冬の稲妻』。孝子さんは谷村さんの“女神”となり、スターダムを駆け上がる彼を後押ししたのだ。

 結婚の翌年の1978年には長男、1980年には長女に恵まれる。父になることは谷村さんも強く望んでいたことだった。孝子さんは子育ての傍ら、谷村さんの事務所の社長として働くようになっていた。夫婦は子供たちに惜しみない愛情を注いだ。

「息子さんは小学校から青山学院に通い、娘さんも大学付属の幼稚園に入りました。谷村さんは、多感な時期に受験に時間を費やすのはもったいないという考えの持ち主で、小さいうちに道筋をつけてあげたいと考え、それを実践していたのです」(前出・谷村さんの知人)

 谷村さんの世代の男性としては珍しく子育てにも積極的にかかわり、忙しい合間に時間をつくり、授業参観や運動会にも足を運ぶ教育パパだったという。長男が中学生になると、男2人きりでの旅行を始めた。ちょうど、『サライ』が大ヒットした頃だ。行く先は国内で、3泊ほど。特別な会話をしなくても、心を通わせるのが目的だった。

「それくらいの年齢になれば、大人扱いをするべきだというのが谷村さんの持論でした。何年か経って、それが息子さんの思い出になっていればいいと笑っていました」(前出・谷村さんの知人)

 父親として全力を注ぐ谷村さんは、同時にミュージシャンとして海外のアーティストとコラボレーションをしたり、バラエティー番組の司会をしたりと多忙な日々を過ごす。そして、休止していたアリスとしての活動も再開し、コンサートツアーも行うが、2004年、帯状疱疹を発症する。55才のときだ。酷使してきた体がついに悲鳴を上げた。痛みに耐え、赤い発疹を包帯で隠してステージに上がる。そんな日々に終止符を打たせたのは妻の孝子さんだった。

「谷村さんに“一度、休んでみたら?”と、事務所の社長として、そして妻として提案したのです。谷村さんも素直にその言葉を受け入れ、すぐに休むことを決断したそうです」(前出・音楽関係者)

 ライフワークだったコンサートを休止した。

「それまで谷村さんはコンサートのため、1年のうち半分近くを地方で過ごしていました。外出の予定もぱたりとなくなり、突然、何もすることがなくなって、最初はとまどっていたようです。しかし徐々に、家族とゆっくり過ごす時間に喜びを感じるようになり、これこそが望んでいた暮らしだと気がついたようでした」(前出・音楽関係者)

 上海音楽学院から音楽を教えてほしいというオファーがあったのもこの頃だ。谷村さんは1か月の4分の1を上海で、残りを東京で過ごすという生活を始める。若い学生たちとの交流は、谷村さんがいつの間にか忘れていたものを思い出させてくれた。

 豪華なセットがなくても、歌いたければそこで歌えばいい。音楽にいちばん大切なのは、心。迷いなくそう思えたのは、一度、心以外のすべてを手放したからだった。そうした父の背中を見ていたのか、長女は谷村さんと同じシンガーの道を選ぶ。

「谷村さんは娘さんを溺愛していました。自分で自分の人生を決められる子で、会話がなくても心が通じ合うんだと、自慢げに話しているのを聞いたことがあります」(前出・音楽関係者)

 一方の長男は谷村さんの事務所のアートディレクターとして、CDジャケットのデザインなどを手掛けていた。2010年の長男の結婚式では、アリスのメンバーが『チャンピオン』を熱唱し、谷村さんは感涙にむせんだ。

「初孫が待ち遠しい、早く“じいじ”と呼ばれたいと言っていて、その願いはすぐに叶いました」(前出・谷村さんの知人)

関連記事

トピックス

出廷した水原被告(右は妻とともに住んでいたニューポートビーチの自宅)
《水原一平がついに収監》最愛の妻・Aさんが姿を消した…「両親を亡くし、家族は一平さんだけ」刑務所行きの夫を待ち受ける「囚人同士の性的嫌がらせ」
NEWSポストセブン
夫・井上康生の不倫報道から2年(左・HPより)
《柔道・井上康生の黒帯バスローブ不倫報道から2年》妻・東原亜希の選択した沈黙の「返し技」、夫は国際柔道連盟の新理事に就任の大出世
NEWSポストセブン
新潟で農業を学ことを宣言したローラ
《現地徹底取材》本名「佐藤えり」公開のローラが始めたニッポンの農業への“本気度”「黒のショートパンツをはいて、すごくスタイルが良くて」目撃した女性が証言
NEWSポストセブン
妻とは2015年に結婚した国分太一
《セクハラに該当する行為》TOKIO・国分太一、元テレビ局員の年下妻への“裏切り”「調子に乗るなと言ってくれる」存在
NEWSポストセブン
1985年春、ハワイにて。ファースト写真集撮影時
《突然の訃報に「我慢してください」》“芸能界の父”が明かした中山美穂さんの最期、「警察から帰された美穂との対面」と検死の結果
NEWSポストセブン
歴史学者の河西秀哉氏
【「愛子天皇」の誕生を希望】歴史学者・河西秀哉氏「悠仁さまに代替わりしてから議論しては手遅れだ」 皇位継承の安定を図るには“シンプルな制度”が必要
週刊ポスト
無期限の活動休止を発表した国分太一
「給料もらっているんだからさ〜」国分太一、若手スタッフが気遣った“良かれと思って”発言 副社長としては「即レス・フッ軽」で業界関係者から高評価
NEWSポストセブン
ブラジル訪問を終えられた佳子さま(時事通信フォト)
《クッキーにケーキ、ゼリー菓子を…》佳子さま、ブラジル国内線のエコノミー席に居合わせた乗客が明かした機内での様子
NEWSポストセブン
”アナウンサーらしくないアナウンサー“と評判
「笑顔でピッタリ腕を絡ませて…」元NMB48アイドルアナ・瀧山あかねと「BreakingDown」エース・細川一颯の“腕組み同棲愛”《直撃に「まさしくタイプです(笑)」》
NEWSポストセブン
グラビアのオファーも多いと言われる中川安奈アナ(本人のインスタグラムより)
《SNSで“インナーちらり笑”》元NHK中川安奈アナが森香澄の強力ライバルに あざとキャラと確かなアナウンス技術で「ポテンシャルは森香澄以上」との指摘
週刊ポスト
不倫が報じられた錦織圭、妻の観月あこ(Instagramより)
《錦織圭・モデル女性と不倫疑惑報道》反対を押し切って結婚した妻・観月あことの“最近の関係” 錦織は「産んでくれたお母さんに優しく接することを心がけましょう」発言も
NEWSポストセブン
お疲れのご様子の雅子さま(2025年、沖縄県那覇市。撮影/JMPA) 
雅子さまにささやかれる体調不安、沖縄訪問時にもお疲れの様子 愛子さまが“異変”を察知し、とっさに助け舟を出される場面も
女性セブン