圧倒的実績も捜査は空振り
田中は大阪地検からの交換人事で東京地検特捜部に在職中、撚糸工連事件(1986年立件)で国会議員の取り調べを任された。ただ、その名をとどろかせたのは検事を退官して弁護士になってから。やり手の「ヤメ検」として数々の事件に関与し、暗殺された国内最大の指定暴力団山口組ナンバー2の宅見勝と親交するなど「闇社会の守護神」と呼ばれた。
実は田中は、親和銀行(現十八親和銀行、長崎)の元頭取らが2課に逮捕された不正融資事件(1998年立件)で指定暴力団酒梅組のトップ(当時)に流れた裏金の迂回融資先となった宝飾品会社の法人登記簿に監査役として名を連ねていた。
「闇社会の守護神」と呼ばれた故・田中森一弁護士(1990年撮影、時事通信フォト)
2課は「検察のエース」の異名を取った元特捜部長で当時東京地検のトップ・検事正だった石川達紘の旗振りで、元頭取逮捕に続いて田中の関与を捜査。石川は捜査関係者に「タッコウ」の愛称で呼ばれ、田中を「特捜の恥」と公言して逮捕に執念を燃やしており、2課の捜査は夏季休暇期間も続けられた。
警察幹部らは「捜査が原因で亡くなった捜査員などいない」と打ち消しに終始。だが過労死の噂が漏出するほど捜査は強いプレッシャーの中で進められたことは間違いなく、一度取りかかれば徹底捜査する「匠」の集まりが2課だった。
結果的に田中への捜査は空振りに終わり、田中は別の詐欺事件で特捜に逮捕された。田中が71歳で病死してから11月で丸9年が経過。一方、石川は2018年、自家用車で死亡事故を起こす。東京地裁の刑事裁判では「車が勝手に暴走した」と無罪を主張。メーカーのリコール隠しの可能性まで示唆したが有罪となって東京高裁も最高裁もこれを支持し、判決が確定した。法曹関係者は「皮肉にも田中と同様、検察の歴史を汚すこととなってしまった」と語る。