♦772球の熱投が招いた不信
U‐18では準優勝。安樂は2年生ながらタイトルを獲得(撮影 柳川悠二)
このセンバツにおいて、上甲監督は決勝までの5試合すべてに安樂を先発させ、大会を通じて安樂の投じた球数は772球にものぼった。投手の球数や登板間隔に敏感に反応するアメリカでも話題になるような出来事だった。そして、安樂に依存するような起用法を選んだ上甲監督には、批判が集まった。ましてセンバツ後、安樂にケガが相次いだことで、登板過多との関連性が疑われた。
安樂に対する印象が変わったのはその年の夏──。
愛媛大会で157キロをマークし、甲子園に再びやってきた安樂の注目度は春の比ではなかった。一挙手一投足にカメラのレンズが向けられたが、安樂がそれを気にする様子はなく、当時、筆者が撮った写真には、安樂が氷の塊を手にしたチームメイトに右ヒジ患部のアイシングをしてもらっている姿が残っている。
そして春先、あれほど饒舌だったのが、報道陣の前で無表情のまま当たり障りのない言葉しか口にしなくなっていた。今から思えば、上甲監督に登板過多の責任を問うような報道に対し、強い不信感を抱いたのが要因のような気がしてならない。
安樂は2年夏の甲子園が終わると、下級生ながら高校日本代表の一員として、U?18野球W杯に出場した。森友哉(現オリックス)や楽天でもチームメイトとなる松井裕樹ら、1歳上の選手の前では再び無邪気な笑顔を振りまき、大会でも防御率と勝率の2冠を達成し、最優秀先発投手に選出される活躍を見せた。
10年前の当時、後輩へのパワハラで球界を追われる未来を予測などできるはずもない。安樂の少年時代に指導したあるチームの関係者が話す。
「野球をはじめた当初から、ずっとお山の大将でやってきた。身体が大きく、投手として球が誰よりも速かった安樂は、当然、上級生の中に入って投げ続けて来た。常に年上といるから、年上に気に入られるように懐に入り込むのが得意だったし、実際に可愛がられていた。そのぶん、自分が最上級生になると後輩に厳しく当たってしまうのかもしれません。
安樂が最後の夏に愛媛大会で負けて、上甲監督が亡くなった直後、2年生の1年生に対する暴力行為が発覚し、1年間の出場停止処分が下されました。ドラフトを控えていた3年生の安樂は関与していないということでしたが、問題が起きていた当時の主将ということで、U-18の日本代表の選考から外れました」