♦つねに口にしていた恩師への想い
「東北を熱くしよう」に笑み(撮影 藤岡雅樹)
野球と真摯に向き合い、先輩の野球人の懐に入り込む社交的な表向きの一面と、ロッカールーム内や携帯電話を使ったやりとりの中で、後輩の人格を否定するような言葉や暴言を吐くという裏の一面があった。いったい何が安樂を愚行に走らせたのだろうか。
プロ入りした直後のインタビューで、安樂はこう話していた。
「僕自身、772球を投げたことに後悔はまったくないんです。周りの人間は、その後、ヒジをケガしたことによって、“772球を投げたからだ”と言うかもしれませんけど、僕はそう思わないですし、僕自身の筋量が足らないからケガしたわけであって、もし同じ立場でマウンドに立つ球児がいるなら、僕は投げてほしいと思う。エースナンバーを背負って、決勝で投げられる人間なんか、言い方はおかしいかもしれないですけど、東大に入ることよりも難しいことだと思う。上甲監督は『命を懸けてボールと向き合え』と言っていました。あの人は本当に命を懸けてグラウンドに立ち続けた監督で、自分がガンと分かっていながら、1年間グラウンドに立ち続けた人なんです」
上甲監督の病気を知らされていた部員は、安樂だけだったという。
「プロ野球選手となって、オフに母校に顔を出して、監督から『よう帰ってきたな』と迎えてもらう日を僕は夢見ていました。そして、サウナにでも誘ったら、きっと監督も喜ぶんじゃないかなと思っていました。それができないのが残念です」
現状、日本のプロ野球に安樂の居場所はない。会見によって明らかになった10人の被害者がいて、40人もの目撃者がいるパワハラに対し、安樂に弁解の余地はないものの、選手を適切に管理できず不祥事を防げなかった楽天にも責任はある。決して、永久追放のようなかたちではなく、たとえNPBではなくともいつの日か安樂が再び白球を投げられる道を用意することが楽天球団の贖罪になるのではないだろうか。
そうでなければ上甲監督も浮かばれない。
■取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)