感情の構造化にサブカルは有効
「本当に親ガチャで人生が決まるとするなら、人間は自分の人生を引き受けられなくなってしまうんですよ。近代哲学の伝統的な責任概念では、人間が自由に選んだことに責任が生じるので。私が若者世代に感じるのもそうした自暴自棄さで、自分を大事にしなかったり、他人事のように扱う態度が、何かあるなあと。
第5章でハイデガーを引用しながら出生の偶然性と自己肯定感は論理的に両立することを示したのも、各種サブカルチャーに描かれた〈反出生主義〉を例に引いたのも、たとえ他者に決定づけられた人生であっても尊重するのは間違いではないという、思いからでもありました」
ちなみに反出生主義とは南アの哲学者・ベネターが論証してみせた、〈生まれてこないほうがよかった〉という思想のこと。戸谷氏は哲学的には筋が通ったその〈呪いのような思想〉を、社会の隅々に感じると書き、『ONE PIECE』のエースや『進撃の巨人』のジーク、遺伝子操作で生まれた『ポケモン』のミュウツー等の苦悩と再生を例に、厭世観を超克する術を探る。
「自分の感情を構造化する上でサブカルチャーは特に日本では非常に有効です。『人生で大事なことは全て漫画から学んだ』という人がいたり、自分は何に怒り、何を大事にしたいかという、一種の価値基準にすらなっている。現代を覆うニヒリズムをこうした優れたコンテンツほど反映するんでしょうし、なぜ自分はそれに感動するのかを考えた瞬間に哲学が始まると、私は思います」
その試みは考えることに留まらず、「哲学カフェ」と題したイベントを開くなど、新たな〈対話の場〉を創出すべく、動き出してもいる。
「自尊心を持てと言うだけでは単なる精神論ですし、自分と向き合うには自分の価値観を言語化する機会や、声が届いている確信が必要で、せめて対話のハードルだけでも下げたいなあと。
最近の学生は友達もアプリで探したり、構内で人に声をかけるのも苦手みたいで。しかも今は誰とも話さずに生きられるほど無人ビジネスが進展し、すると自分をかえって引き受けられなくなる悪循環になってしまう。私はそれに少しでも抵抗していきたいので」
哲学を学問の内側に留めておくのが勿体ないほどの書きっぷりとその行動力に、私達読者もまた、感心だけしていればいいはずもない。
【プロフィール】
戸谷洋志(とや・ひろし)/1988年東京生まれ。法政大学文学部哲学科卒。大阪大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。阪大特任助教等を経て、2021年より関西外国語大学准教授。ハンス・ヨナス研究を中心に「個人的には核廃棄物や生成AIと次世代への責任も扱っています。責任の研究と言うと怖がられるんで、もっと優しい責任というか、ネーミングも含めて考え中です」。著書は他に『Jポップで考える哲学』『スマートな悪』『未来倫理』『友情を哲学する』等。170cm、63kg、A型。
構成/橋本紀子 撮影/国府田利光
※週刊ポスト2024年1月12・19日号