ライフ

【書評】『文学のエコロジー』人間の翻訳者にできて生成AI翻訳にできない「言葉を生け捕りにすること」

『文学のエコロジー』/山本貴光・著

『文学のエコロジー』/山本貴光・著

【書評】『文学のエコロジー』/山本貴光・著/講談社/2750円
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)

 文芸批評家は文学作品を「分析」したり「解読」したりする。とはいえ、山本貴光の評論書『文学のエコロジー』を読んでいると、だいぶ印象が違う。著者はまずその作品が存在する生態系をよくよく観察するのだ。

 たとえば、小説というのは人間の生を様々なレベルにおいて「リアル」に写そうとするものだが、なにかを写真的に一望させるものではない。そこで暗黙の仕掛けとして欠かせないのが、暗示と省略という手法だ。テクストに多々ある欠落を、著者はまず丹念に埋めていく。

 星新一の「悪魔」をプログラマーがゲームを設計するように組み立て直してみる。ヘミングウェイ『老人と海』で少年と老人の心理がどのようにシミュレートされているか具に見る。同作家の感情を抑えたハードボイルド文体から、「海中の藻が燐光を発した」という記述を手がかりにそれを割りだすのだ。

 山本は「その(作品)世界はピンで留められた昆虫のように静止したものではなく、生きて動きまわる状態」にあるという。つまり、文学作品を固定された文字の並びとは考えず、絶えず意味と姿を変容させる生き物として扱っているということだ。

 いたって正しいと思う。著者は「日本語を異言語のように観察するのが肝心である」と述べているが、じつはこれは批評においても要となることだろう。書き手と読み手が狎れあわない緊張関係にあること。

 私は人間の翻訳者にできて、生成AI翻訳にできないことのひとつとして、「言葉を生け捕りにすること」を挙げているが、山本はそれを、文学全体を相手にやっているのだと思った。

 文学作品の読者は虚像を生みだそうと頁に目を凝らす。その視線が少しでも緩んだり逸れたりしたら、像は忽ち落下して砕けてしまう。それを掴んで固定することを拒むタフな精神の持ち主こそ、真の批評者と言えるだろう。二十一世紀の文学理論の名著。

※週刊ポスト2024年1月12・19日号

関連記事

トピックス

連敗中でも大谷翔平は4試合連続本塁打を放つなど打撃好調だが…(時事通信フォト)
大谷翔平が4試合連続HRもロバーツ監督が辛辣コメントの理由 ドジャース「地区2位転落」で補強敢行のパドレスと厳しい争いのなか「ここで手綱を締めたい狙い」との指摘
NEWSポストセブン
伊豆急下田駅に到着された両陛下と愛子さま(時事通信フォト)
《しゃがめってマジで!》“撮り鉄”たちが天皇皇后両陛下のお召し列車に殺到…駅構内は厳戒態勢に JR東日本「トラブルや混乱が発生したとの情報はありません」
NEWSポストセブン
事実上の戦力外となった前田健太(時事通信フォト)
《早穂夫人は広島への想いを投稿》前田健太投手、マイナー移籍にともない妻が現地視察「なかなか来ない場所なので」…夫婦がSNSで匂わせた「古巣への想い」
NEWSポストセブン
2023年ドラフト1位で広島に入団した常廣羽也斗(時事通信)
《1単位とれずに痛恨の再留年》広島カープ・常廣羽也斗投手、現在も青山学院大学に在学中…球団も事実認める「本人にとっては重要なキャリア」とコメント
NEWSポストセブン
芸能生活20周年を迎えたタレントの鈴木あきえさん
《チア時代に甲子園アルプス席で母校を応援》鈴木あきえ、芸能生活21年で“1度だけ引退を考えた過去”「グラビア撮影のたびに水着の面積がちっちゃくなって…」
NEWSポストセブン
釜本邦茂さん
【追悼】釜本邦茂さんが語っていた“母への感謝” 「陸上の五輪候補選手だった母がサッカーを続けさせてくれた」
週刊ポスト
有田哲平がMCを務める『世界で一番怖い答え』(番組公式HPより)
《昭和には“夏の風物詩”》令和の今、テレビで“怖い話”が再燃する背景 ネットの怪談ブームが追い風か 
NEWSポストセブン
異物混入が発覚した来来亭(HP/Xより)
《ラーメンにウジ虫混入騒動》体重減少、誹謗中傷、害虫対策の徹底…誠実な店主が吐露する営業再開までの苦難の40日間「『頑張ってね』という言葉すら怖く感じた」
NEWSポストセブン
広島・広陵高校の中井哲之監督と会見を開いた堀正和校長
【「便器なめろ」の暴言も】広陵「暴力問題」で被害生徒の父が初告白「求めるのは中井監督と堀校長の謝罪、再発防止策」 監督の「対外試合がなくなってもいいんか?」発言を否定しない学校側報告書の存在も 広陵は「そうしたやりとりはなかった」と回答
NEWSポストセブン
イギリス出身のインフルエンサーであるボニー・ブルー(本人のインスタグラムより)
《過激すぎる》イギリス公共放送が制作した金髪美女インフルエンサー(26)の密着番組、スポンサーが異例の抗議「自社製品と関連づけられたくない」 
NEWSポストセブン
1990年代、多くの人気バラエティ番組で活躍していたタレント・大東めぐみさん
《交通事故で骨折と顔の左側の歯が挫滅》重傷負ったタレントの大東めぐみ「レギュラーやCM失い仕事ほぼゼロに」後遺症で15年間運転できず
NEWSポストセブン
悠仁さまに関心を寄せるのは日本人だけではない(時事通信フォト)
〈悠仁親王の直接の先輩が質問に何でも答えます!〉中国SNSに現れた“筑波大の先輩”名乗る中国人留学生が「投稿全削除」のワケ《中国で炎上》
週刊ポスト