『オールナイトニッポン』での結婚報告を終えたばかりのaiko(2021年)
「『なぜ自分なんかにデビューの話をするのか? いいように利用されるんじゃないか?』と警戒していたようです。出会ってから約4年間が経ったとき、別の人から『千葉さんは筆不精なのに、今年は1人だけに年賀状を書いたらしい』と聞いて、aikoさんは『私に年賀状来てる!』と驚いたそうです。『あれでオチた。この人についていこうと思った』と振り返っていました」(前出・レコード会社の関係者)
1998年7月、千葉被告とともにファーストシングル『あした』で晴れてメジャーデビューを果たしたaiko。しかし、その直後に陥った“どん底”から彼女を救い出したのも千葉被告だった。
「デビューしてすぐの頃、曲作りが上手くいかず、耳鳴りがするほどのストレスを抱えたそうです。『こんなに楽しくないなら、やりたくない』と涙ながらに吐露するaikoさんに対して、千葉さんは『槍が飛んできたら僕たちが体を張って全部受け止める。だから、その後ろで好きなことをやってください』と優しく励ましたといいます。
それでaikoさんは再び前向きに音楽に向き合えるようになり、1999年に『花火』や『カブトムシ』といった初期の名曲を生み出すに至ったのです。プロデューサーの千葉さんと二人三脚でヒット作を生み出し、信頼関係が築かれるなかで『年賀状』の件も重なり、aikoさんは完全に警戒心を解いたのでしょう」(前出・レコード業界の関係者)
aikoの個人事務所には、2009年に千葉被告が取締役に就任している。その後、aikoは同事務所を千葉被告と2人で長らく経営してきた。それだけ信用していたということだろう。
裁判が行われた6月18日夜、aikoはX(旧Twitter)を更新し、〈みなさん色々心配させてもてごめんね。私は元気です!ありがとう〉と気丈につづっていた。苦しい時期の自分を支えてくれた“育ての親”の手酷い裏切りに、彼女は何を感じているのか──。