落合中日は“立浪切り”を決断後、日本一に
最後に問われるのは監督の決断力
ドラゴンズ一筋でファンから愛された立浪和義は、落合監督の就任後サードに回されたがエラーが目立ち、落合政権2年目の2005年のオフにレギュラー剥奪を言い渡された。その後、4年間は代打専門となって出場機会が激減し、2009年に現役を退いた。
「落合ドラゴンズは、立浪レギュラー剥奪後の2006年にリーグ優勝、その次の年には日本一になりました。長年貢献してきたチームの顔をあえて切り、新陳代謝を進めることも勝利のために必要なこと」(スポーツ紙デスク)
最後に問われるのは、監督の決断力のようだ。中日のコーチ経験のあるプロ野球OBが語る。
「落合監督と立浪は現役時代も一緒にプレーしており、決して関係は悪くありません。ただ勝負師である落合監督は勝利を優先するには立浪をチームの中心には置けないと判断して若手を起用し、立浪もそのことを理解した。
阿部監督も現役時代から切磋琢磨してきた坂本を切りたくはないでしょうが、勝負のためには非情になることも必要です。巨人は2年連続Bクラスというどん底にあるわけで、“戦友”である坂本を二軍に落とした阿部監督の次なる判断が注目されます」
ともに戦った仲間でもある坂本をどう扱うのか。新監督は重い決断を迫られている。
(了。前編から読む)
※週刊ポスト2024年7月19・26日号