『赤い霊柩車』シリーズは31年続いた
それにしても崑ちゃんはカメラが回っていないときも、よくしゃべる。あまりよくしゃべるから、「少し休んだら」って言いたくなるくらい(笑)。本番ではアドリブが多くて、突然、変なことをするから、笑っちゃって。崑ちゃんは昔、大阪でコメディドラマ『番頭はんと丁稚どん』や司会で鍛えていますから、ほかの人とは力量が違う。90歳過ぎてもあまりにも元気だから、「まだ生きてるのか?」なんて、会うたびに軽口を言っていました(笑)。
みんな最初は若かった。(山村)紅葉ちゃんも若くてね。彼女とは『赤い霊柩車』の前に『十津川警部』をやってたときが初共演でした。当時、紅葉ちゃんはまだ大学生。一緒に夜行で、ロケ地の和歌山かどこかへ行ったときに挨拶を受けました。「元気でがんばれな」と応えた記憶があります。彼女は頭のいい子ですよ。
原作者の山村美紗先生が1996年に亡くなったとき、仕事の後、夜中12時頃に車を運転し女房と一緒にお宅へ伺いました。紅葉ちゃんと、その妹の真冬ちゃんとがいて、山村先生は綺麗な赤い着物を着て安らかな表情で眠っていました。その時に、ちょうど山村先生原作のドラマが放送されていたから、「先生に見せよう」って言って、テレビの前まで先生が寝ている布団を引っ張って行って、上半身を起こして見せてあげたんです。山村先生と親しかった西村京太郎先生も呼んできてね。忘れられない思い出です。