学生時代にあった「兆候」
SJさんは、明るい雰囲気の女性で快活な話しぶりの人だった。子供のころのことを聞くと、友達関係に問題はなかったが、そそっかしくて小さなケガが多く、片付けが苦手で机の中が汚いとよく注意されたことを記憶している。成績は優秀だったが、小5の通知表には、「話をよく聞いて反応できるようになってきました」という担任の記載がある。おそらくこれは、あまり先生の話を聞けていなかったことを意味している。
1年浪人し、レベルの高い私立大学の法学部に入学した。浪人中には一時的にうつ状態になることもあったが、大学入学後は順調に単位を取得し、留年することもなく卒業できた。ただレポートなどの課題は先送りすることが多く、出し忘れもよくあったという。
彼女の問題がはっきりしたのは、就職してからだった。顧客との電話のやり取りが頻繁にある仕事だったが、話の内容をすぐに忘れてしまうことがたびたびだった。自分では集中して聞いているつもりであっても、話の内容がインプットされないことが多かった。できるだけメモを取るようにしたが、それでもミスは多かった。また仕事がいくつか重なることも珍しくなかったが、これにも混乱して対応できないことがあった。こんな状態が持続するため、SJさんはこの会社を退職している。
以上の経過から、彼女の診断がADHDであることは明らかである。小児期から不注意さや集中力の障害が指摘され、思春期以降も同様の症状が持続していた。しかしながら、学生時代までは自らの能力でカバーが可能で大きな問題はなかったものの、就職して問題が顕在化したのである。
SJさんにはADHD治療薬の投与を開始し、しばらくの間投与量の調整を行ったが、次第に効果が明らかとなった。彼女はアパレル会社に転職し、事務と受付を担当したが、前の職場の時のようにケアレスミスが頻発することもなく、落ち着いて業務を遂行できるようになった。自分でも、集中力が改善したことを自覚し、時には過剰集中的に仕事をすることもみられている。その後年あまり経過をみているが、安定した状態が持続し、苦手だった片付けもできるようになってきている。
実は、社会人になってはじめて発達障害の専門外来を受診する人は多いという。学生時代までは多少の不適応をなんとか乗り切ることができても、社会人になり、仕事の現場に出ると学生時代のように「適当」にこなすというわけにはいかなくなる。
しかも 作業が遅れたり、ケアレスミスが頻発したりすると、当然評価は低下する。間違いを繰り返すことで対人関係を悪化させることだって考えられる。追い詰められて、初めて受診に至るケースは少なくないのだ。
(第3回を読む)
大人のADHDの特徴とは(内閣府大臣官房政府広報室「政府広報オンライン」より)