中年スーパーマン「アンパンマン」誕生

 1960年代後半、自身が本職と任じる漫画家としてヒットが出ないことに悩み続けていたやなせたかしは、漫画以外の2つの分野で作品を発表し始めます。

 1つは「詩」です。テレビやラジオの台本を書く仕事の中で、劇中歌の作詞を請け負い始め、やなせたかしは、自分の興味と才能に気づきました。それが、抒情詩の世界だったのです。いわゆる文学的な現代詩ではなく、主題歌の歌詞なども含めた抒情的な詩をやなせたかしは、コツコツと書き溜め、それが1966年の『愛する歌』、1973年に発刊する雑誌『詩とメルヘン』に繋がります。

 もう1つが、自ら「やなせメルヘン」と名づけた大人向けの寓話です。物語と絵本と抒情詩の世界をメルヘンチックに昇華させた大人向けメルヘンを、やなせたかしは1960年代、積極的に発表します。代表作であり最初のヒット作が『やさしいライオン』でした。その次が「怪傑ゼロ」から始まったアンチ・スーパーマンのヒーローを主人公としたメルヘン。つまり、「アンパンマン」です。

 1968年、やなせたかしは、雑誌『PHP』から1年間の短編童話の連載を依頼されました。前年の1967年、同誌に「やさしいライオン」を掲載し、好評を博していたからです。

 連載は1969年1月から12月まで。翌年『十二の真珠』というタイトルでやなせたかしと親交のあったサンリオ(当時は山梨シルクセンター)が単行本化しました。初期の「やなせメルヘン」の集大成としてまとめた本です。 年に一度復刊された際の「新しいまえがき」でこう書いています。

「ぼくは漫画家としてスタートしたが、童話をかきたいとずーっと思っていた」

『十二の真珠』の一編、それが「アンパンマン」だったのです。ただし、みなさんご存知のあのジャムおじさんが焼いたまん丸顔でつぶあんが詰まったアンパンヒーローではありません。丸顔ですが、お腹の出た中年の人間のおじさんだったのです。

 冒頭にこう紹介があります。

「アンパンマン。あんまりきいたことのないなまえですが、たしかにある日、アンパンマンは空をとんでいました。みたところ、マンガのスーパーマンや、バットマンによくにていました」

 いきなりスーパーマンとバットマンとの対比から始まるわけです。その上で、彼らとの違いを明示します。

「でも、まるでちがうところは、スーパーマンみたいにかっこよくなかったのです。全身こげ茶色で、それにひどくふとっていました。顔はまるくて、目はちいさく、はなはだんごばなで、ふくれたほっぺたはピカピカ光っていました。たしかにマントをひろげて鳥のようにとんではいましたが、なんだかおもそうでヨタヨタしていました」

 この中年おじさんのアンパンマンの使命はなんだったのでしょう。

 はらぺこの子どもたちに焼きたてのアンパンをあげること、でした。

「おなかをすかして泣いている ひもじい子どもの友だちだ 正義の味方アンパンマン」

 アンパンマンは中年のおじさんの時代から現代の3頭身アニメキャラクターに進化するまで一貫して「お腹の減った人にアンパンをあげる」のが使命だったのです。

 やなせたかしは、この作品を通じて「正義」について問いたかった。その正義とは、「飢えた人を助けること」でした。このテーマを際立たせるため、かっこいい衣装で空を飛び回り、わかりやすい悪役を叩きのめすスーパーマンの意匠を借りながら、徹底的にそのアンチテーゼとしてのキャラクターを見せる。それがアンパンを配る中年のお腹の出たおじさんアンパンマンだったわけです。

 そして中年アンパンマンのキャラクターは、装いを変えて数年後に登場します。

 皆さんの知っている幼児向けの「アンパンマン」になるのです。

第3回につづく)

【著者プロフィール】柳瀬博一 (やなせ・ひろいち)/東京科学大学教授。1964年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。日経マグロウヒル社(現・日経BP社)を経て、2018年より現職。著書に『国道16号線──「日本」を創った道』など。

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