1991年、勲四等瑞宝章を受章したやなせたかし氏(時事通信フォト)
1969年、青年向け雑誌『PHP』で連載された短編童話の1作として初登場した『アンパンマン』。頬はテカテカでお腹が出て、重たそうにヨタヨタ飛ぶ“中年ダメヒーロー”として誕生したアンパンマンは、4年後の1973年10月、幼児向け絵本に登場するヒーローとして生まれ変わった。誰もがよく知る「主人公の顔がアンパンで、取り替え可能。お腹を空かせた人々に、自分の顔をちぎって分け与える」という設定が生まれたのはこの時だ。
ただし、最初からこの設定が広く受け入れられたわけではない。むしろ当時は「グロテスクな表現」として、大人たちからの評価は最悪だったという──。
東京科学大学でメディア論の教壇に立つ柳瀬博一氏の著書『アンパンマンと日本人』(新潮新書)より、子ども向けヒーローとして生まれ変わった「あんぱんまん」の当時の反響についてお届けする。(同書より一部抜粋して再構成)【全4回中の第3回。第1回から読む】
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幼児向けの絵本ですから、お腹のでた中年男を主人公にするわけにはいきません。どんなキャラクターにすべきか。メルヘン作家やなせたかしの創造力が羽ばたきます。
「このときはアンパンじたいが空を飛ぶほうが面白いと思って、アンパンを配るおじさんではなく、ヒーローの顔そのものをアンパンにして、困っている人に自分の顔を食べさせるようなストーリーにした」(『人生の歩き方 やなせたかし』)
どんなヒーローにも、どんなキャラクターにも全く似ていないアンパンマンの独自性は「主人公の顔が食べ物で、交換できる」という点にありますが、「顔がアンパン」で「食べられる顔」で「取り替え可能な顔」という設定は、最初に確定していたのです。また、やなせたかしは、『やさしいライオン』を絵本化したときと同様、幼稚園や保育園に通う幼児たちに向けた本にもかかわらず、「あんぱんまん」を子どもだけに向けた内容にしませんでした。
『あんぱんまん』の冒頭シーンを抜き出してみます。
「ひろい さばくの まんなかで、ひとりの たびびとが おなかがすいて、いまにも しにそうになっていました。そのとき、にしの そらから おおきな とりのようなものが、ちかづいてくるのが みえました。」
ヒゲぼうぼうの痩せこけた大人の男が砂漠に倒れている。そんな中、夕日を背に現れたのが「あんぱんまん」。顔は現在のアンパンマンとほぼ同様ですが、3頭身ではなく、人間に近い背格好です。手もまんまるではなく、5本の指があります。衣装は茶色っぽく、マントはボロボロです。綺麗でもなく、可愛くもかっこ良くもない。
そんなあんぱんまんは、自分の顔を差し出して、男に食べさせます。男もびっくりです。でも食べさせる。そして顔が半分になったまま、飛び去っていく。アンパンマンの顔は食べられる、というのは今や「日本人の常識」になっていますが、この時点ではもちろん誰も知らない。主人公の顔が半分ちぎれてなくなってしまう。グロテスクというか、ほぼホラーです。
幼児向けの作品で最も親や教育者に嫌がられるのが「グロテスクなもの」や「性的なもの」です。普通にマーケティングしたら、この「あんぱんまん」のキャラクター設定と絵柄は児童書出版社としてあり得ません。
さらに言えば、乳幼児向けの絵本ならば、最初に助ける対象は大人の男性ではなく、読者世代の乳幼児にするはずです。赤ちゃんや幼児にあんぱんを食べさせるでしょう。