甲子園に出場した経験をもつ、お笑い芸人・とにかく明るい安村(インスタグラムより)
8月5日に開幕し、連日熱戦が続く夏の甲子園。自分の息子が出ているわけでも、知り合いの子が出ているわけでもないのに、人はなぜ選手たちを応援してしまうのか。それは、甲子園という舞台で汗を流し、破顔し、声を張り、涙を流す球児たちの「人生そのもの」を感じとれるからではないだろうか。甲子園を夢見た球児たちを通じて、その魅力を探る。【全3回の第2回】
笹川スポーツ財団の調査によると全国の10代の推計野球人口(2023年)は、174万人で、2001年の282万人から大きく減少した。といっても、今夏の地方大会には3396チームが出場し、本大会に出場できるのは49代表校のみ。甲子園に出られる球児はいつの時代も、ほんの一握りに過ぎない。
彼らはどうして甲子園をめざすようになったのか。2人の兄の影響で小学生の頃に野球を始め、北海道・旭川実業高校3年時の1999年夏の甲子園に出場したお笑い芸人のとにかく明るい安村(43才)が甲子園を意識するようになったのは高校入学後だった。
「中学校の野球部が荒れていたので退部して、地元の硬式野球チームに入ったんです。後輩にはプロに行った子がいたくらい強いチームでした。そこに中学校の同級生がぼくを含めて5人いて、みんなで一緒に旭川実業に進学して野球部に入部しました。強い高校だったので、そこから本気で甲子園をめざすようになりました」(安村)
城西大学附属城西高校野球部(東京都)出身の大武優斗さん(23才)は、父親が草野球に興じる姿を見て小1で野球を始めた、大武さんは小学生の頃からプロ野球選手になることが目標だったが、全国大会に出る強豪クラブチームに所属した中学時代、その目標を方向転換した。
「同じポジションのチームメートがすごく上手で、こういうやつがプロに行くのだなと思い知らされました。それでもプロは難しくても、甲子園ならチームの力を合わせれば行けるんじゃないかと思い、プロ野球選手の夢は諦めて、甲子園に出ることを目標にしました。プロになるには高卒、大卒、社会人という道筋があるけど甲子園は高校の3年間しか勝負ができません。短い期間でかなえるべき夢を見つけた、という感覚でした」(大武さん)
2人とは別の物語を持つのが、元プロ野球選手で起業家の柴田章吾さん(36才)だ。小2のときに、地元の少年野球の監督にほめられて野球を始めた柴田さんは小中時代に「天才投手」として名をはせた。多くの全国レベルの強豪校から誘われたが、中3のときに厚労省の指定難病「ベーチェット病」を発症してほぼすべての誘いが消えた。唯一、声をかけてきたのが愛知県の愛工大名電高校だった。
「名電に救われたので、そこに行こうと決めました。病気になる前はプロになりたい気持ちもありましたが、高校に進学する際、この3年間はたとえ何度再発しても野球を続けて、甲子園に出場したらそこで野球は終わりにしようと覚悟を決めました」(柴田さん)
高校入学後の柴田さんは病状がよくなく、スポーツコースの生徒なのにマスク姿で体育の授業を見学し、リハビリを続けてコツコツと練習量を増やしていった。
甲子園は、どのような環境にある高校生でも、めざしていい場所ではないかと柴田さんは話す。
「プロ野球選手になりたいと言うとバカにされることもあるだろうけど、甲子園に出たいと言って、『そんなのやめなよ』と返されることはないはずです。甲子園は誰もがめざしていい場所ですし、甲子園をめざすことで3年間、何があっても頑張れます。まさに高校球児全員の目標です」