第1回「アジア甲子園」は昨年12月にインドネシアで開催された(写真・柴田さん/時事通信フォト)
だが失意のままでは終わらせなかった。大武さんは2022年に友人らとともに「あの夏を取り戻せ」プロジェクトを立ち上げて、クラウドファンディングやスポンサー集めで資金を募って球場などとも交渉した。そして2023年11月末、2020年の夏の大会に出場予定だった選手たちが集まって、甲子園で親善試合を行うプロジェクトを成功させた。まだ喪失感は残るものの、忘れ物を取り戻したことで少しは前向きになれたと大武さんが語る。
「自分ひとりでは絶対に成り立たなかったプロジェクトで、いろいろな人の手を借りて成し遂げられました。プロジェクト終了後も年に1回、同窓会を行い“おれらの世代、あの夏世代だよね”と言い合える関係になりました。
あの夏、甲子園がなくなったのはまだ圧倒的に忘れられない記憶だけど、逆にいまはキツイ仕事の最中に、“あのときよりはつらくないよな”と思えます。高校時代に甲子園をめざしたことは一生ずっと自分にひもづいて、心の支えになると思います」
難病を克服した柴田さんは高校卒業後、明治大学に進学し、2011年のドラフトで巨人から育成3位指名を受けてプロ入りしたが、一軍に登板することなく2014年オフに戦力外通告を受けた。
コンサル企業・アクセンチュアを経て、現在はシンガポールで起業し、「アジアへ日本のよき高校野球文化を広める」ための「アジア甲子園大会」を手がける柴田さんは「甲子園が教えてくれたこと」をこう語る。
「ぼくにとって甲子園は、病気から救ってくれて、人生を変えてくれた大会です。甲子園をめざすなかでたくさん失敗をして、人生は思い通りに行かないことばかりだと気づきました。それでも3年間という最短距離で夢をめざす間の失敗は、すべて自分のためになりました。成功も失敗もひっくるめて全部自分の人生に生かされていると思います」
時代の移り変わりとともに甲子園も変化している。昨年から二部制が導入され、暑さを避けての実施となった。延長戦の早期決着を促すためのタイブレーク制度が採用されたのも近年だ。
「何か変化があれば、それに対して批判的な意見が出ることは仕方のないことです。でも、野球の歴史自体がまだ200年くらいでルールがどんどん変わっている。やってみてダメなら元に戻せばいいし、アップデートしていくのは決して悪いことではないと思います」(菊地さん)
安村も続ける。
「よくなっていってると思いますね。天候や環境が変わっているのに、対策をしないのはおかしいでしょう。それでも具合が悪くなったりしてる選手もたくさんいますから。涼しい時間帯に試合をしたり、頭を守る防具や、目を守るサングラスとかすごくいいと思います。どんどんやってほしいですね。それで球児たちの思いや熱量が変わるわけじゃありませんから」
青春の短い時間、自分に負けることなく、心を燃やして、チームメートとともに全力で駆け抜ける。彼らの人生の煌めきと尊さが甲子園を輝かせて、私たちを魅了してやまないのだ。
※女性セブン2025年9月4日号