池田怜平被告の中学生時代
「初公判では、検察側が女性の母親の『娘を返して欲しい』『一生、刑務所で償ってほしい』などという悲痛な思いを読み上げる場面もあっただけに、懲役12年の判決が出た後、遺族側は『あまりに刑が軽い』と怒りの滲むコメントを発表しています。
検察側は『危険運転致死傷の中で罪が最も重い部類』として懲役16年を求刑していましたが、弁護側は公判で『信号はことさら無視したわけではない』などと故意による信号無視ではないと主張していました」(同前)
NEWSポストセブン取材班は事件発生当時、池田容疑者の人柄について取材。池田一家を知る地元住民はこう語っていた。
「怜平くんは地元の4年制大学を出たものの、卒業後はフリーターのようだった。祖母は、一緒に暮らしていた怜平くんについて『飽きっぽい性格で、長く続かない』と相当悩んでいたね。それを聞いたのはもう8年くらい前で、その後もしばらくは定職には就いていないようだった。
去年の11月くらいにスーツとカバンのスタイルで車通勤を始めたから、“真面目にサラリーマンを始めたのかな”と思っていたけれど、12月には毎日お昼過ぎに私服で出かけて買い物袋を持って帰ってくる生活になっていたんだ」
また、池田被告の小・中学校の同級生は以下のように語っていた。