マツリダゴッホの思い出を国枝栄・調教師が振り返る
1978年に調教助手として競馬界に入り、1989年に調教師免許を取得。以来、アパパネ、アーモンドアイという2頭の牝馬三冠を育てた現役最多勝調教師・国枝栄氏が、2026年2月いっぱいで引退する。国枝調教師が華やかで波乱に満ちた48年の競馬人生を振り返りつつ、サラブレッドという動物の魅力を綴るコラム連載「人間万事塞翁が競馬」から、サンデーサイレンス産駒のGI馬、マツリダゴッホについてお届けする。
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マツリダゴッホはパッと見は首が立っていて、外見が「凄くいい馬」とは言い難かった。しかし今までの経験から、それもサンデーサイレンス(以下SS)産駒の特徴ではないかと感じていたので、預かってほしいとの申し出に「おっ、ラッキー!」と内心ほくそ笑んだよ。何より元気の塊のようで、気持ちが走ることに前向き。筋肉が分厚いというより“長い”といった感じで、それが収縮してパワーを生み出すという印象だった。
デビューは2005年8月の札幌。春のクラシックではディープインパクトが2冠を達成、死して3年、SSの存在感はますます大きくなっていた。マツリダゴッホは3番人気だったが2着に7馬身差をつけるぶっちぎりの勝利。ただ、その後はなかなか態勢が整わなくて、結局クラシックには手が届かなかった。走りたいという気持ちに、まだ体の成長がついていけていなかったのだろう。
本格化の兆しが見えたのは2006年暮れの中山開催あたりから。12月に準オープンを勝ち、明け4歳1月のアメリカジョッキークラブカップで重賞初勝利、3月の日経賞でも3着に頑張った。この時点で「中山競馬場が合っている」という感触はあった。
3コーナーからスーッと上がっていって、直線で押し切るという自分の型を持っていた。けっして器用な馬ではないが、得意なこのパターンにハマれば……という手応えがあった。諸々の条件が付く乗り難しい馬だったので、レースではできるだけこの資質をよくわかっているマサヨシ(蛯名正義騎手)かノリ(横山典弘騎手)に依頼するようにした。