ライフ

《客がふともらす一言がつまみになる》スマホがなかった時代になぎら健壱が偶然出会った忘れられない旅酒の味【連載「酒と人生」】

「酒と人生」第1回ははなぎら健壱さんにうかがった

 国税庁「酒のしおり」(令和7年7月)によると、令和5年度における成人1人当たりの年間酒類消費数量が、全国平均で75.6リットルと2年連続の上昇となっている。コロナ禍を経て「外飲み」が減った時期もあったが、どっこい、酒はまだまだ我々の傍らにいる。人のいるところに酒があり、酒のあるところにはドラマがある。なぎら健壱氏が酒を覚えたての頃の話から旅先での酒について、酒場ライターの大竹聡氏が訊く。【前後編の後編。前編から読む

 * * *
 なぎらさんは20歳のときにはシンガーソングライターとしてアルバムデビューしているが、若い頃は肉体労働もしていたという。

「建設作業員もやったね。深川の高橋(たかばし)にも行ったな。その頃、ホッピーを覚えた。氷は入れず、酎ハイグラスに焼酎を入れ、ホッピーで割るんだけど、2杯でホッピー1本の計算だった。そうすると、1杯のうちの半分以上が焼酎。酎ハイグラスは400ミリリットル以上入るから、その半分以上となると、これは濃いよ。かと思うと、気の抜けたビールもあったな。現場の先輩が昼飯代わりにビールを飲もうと誘ってくれて、ある店へ入って、ビールとサンマを頼んだ。はいよって、カウンターの下でビールの栓を抜くような仕草をするんだけど、シュポン! って音がしない。飲んでみたら、炭酸が抜けている。どうやら、客が残したビールを足しているらしい。気持ち悪いんだけど、おもしろかったね。壁の札を見ると、その店のビールの値段が、酒屋の店頭価格と変わらないんだからね」

 残ったビールを売るなら原価でも儲かるという寸法か。

 なぎらさんは笑いながら、かれこれ50年前の話を聞かせてくれる。その口ぶりには、得体のしれない有象無象が集まる酒場という不思議空間に足を踏み入れた若き日の、なんともいえない楽しさが滲むようだ。

「今は、下町のどこそこは酒場の聖地だとか、そんな情報を頭に入れて出かける人が多いと聞くけど、聖地なんて言われるようになったら、もうその街はおもしろくなくなるんだよ。情報を見て、人が集まってるだけだ。アタシの若い頃は、そんな、人の意見に左右されることはなかった。バカを言ってるお父さんの話を聞きながら飲むのが楽しいから、飲み屋へ行った。それだけだったよ」
 
 なぎらさんや私が酒を飲み始めた頃、スマホはおろか、携帯電話もなかった。初めての酒場は、どんな設えなのか、何がうまいのか、扉を開けてみるまでわからない。雑誌やガイドブックを駆使して調べることもできたが、多くの人は、仕事の帰りに、気軽に扉を開けて、酒場の新規開拓をしたのである。

 今はどうか。その店の特徴、メニュー、値段、場所、電話番号まですぐに調べられる。地図もついているから迷わない。まことに便利。調べたら興ざめということもないし、大いに結構なのだが、街をぶらつきながら、外観から店の中を想像し、どの一軒に入ったものか迷う楽しみも失われた。そういう時代になったから、若い世代の飲み方もずいぶん変わったのだと思う。なぎらさんは、このあたりをどう思うのか、訊いてみた。

「若い人たちは、楽しみを記録しておけばいい、忘れてしまっても後で思い出せばいいと思っている。だから飲み屋へ入っても、料理なり酒なりをスマホで撮影するだけ。記憶にとどめようとしない。酒場というのは、まずはロケーションを含めて全体を眺めわたし、飲兵衛たちの喋りに耳を傾けながら飲むのが楽しい。それなのに、記録することばかりに気を取られている。それじゃ、店にいる人たちの会話が聞こえないよ。スポーツ新聞を読みながら、あるいはテレビ番組を肴に飲んでいる人たちが、ふともらすひと言とか、それに答える周囲の声とか、そういうものが、つまみなんだよ。昔、こんなお父さんがいたよ。飲み屋のテレビで祇園祭の山車の組み立てをしている場面が流れてね。現地でも数少ない腕のある職人たちが縄を締めていくところなんだけど、その姿を見て、コイツ、ヘタだなあ、と言ったもんだ。お父さん、鳶か何かなのかな。そっちからじゃなくて、こっちを回してからこう締めるんだよお、なんて言ってる。おかしかったね。だいたい飲み屋で一席ぶってるオヤジさんの話は、大袈裟なのが多いけどね、そこがおもしろい」

 飲み屋に馴染んでくれば、店の人と言葉を交わすのも楽しみのひとつ。

「あれ、この刺身、いいねえ、河岸に行ってんの」
「行ってねえよ、そこのスーパーで買ってくんの」

 この会話もなぎらさんの経験譚だが、こんな洒落た会話ができるようになったら、そろそろ黒帯も間近だろうか。

「もともと高級で、新鮮なものなら、うまいに決まっているんだよ。そうではなくて、とても安いものをね、ちょっとした工夫でうまくしてしまう。これはオヤジの腕なんだ」
 
 ちょっとした言葉のやりとりの中で、酒場のオヤジと客の心が通う。ここ、いい店だな、と気づくそのきっかけが、会話にあるのだ。

関連記事

トピックス

“ATSUSHIものまね芸人”として活動するRYO
【渦中のRYOを直撃】「売名じゃない」橋幸夫さん通夜参列で炎上の“ATSUSHIものまね芸人”が明かした「反省」と「今後」…「100:0で僕が悪者になっている」との弁も
NEWSポストセブン
滋賀県を訪問された秋篠宮家の次女・佳子さま(2025年10月7日、撮影/JMPA)
《再販後完売》佳子さま、ブラジルで着用された5万9400円ワンピをお召しに エレガントな絵柄に優しいカラーで”交流”にぴったりな一着
NEWSポストセブン
個別指導塾「スクールIE」の元教室長・石田親一容疑者(共同通信)
《やる気スイッチ講師がわいせつ再逮捕》元同僚が証言、石田親一容疑者が10年前から見せていた“事件の兆候”「お気に入りの女子生徒と連絡先を交換」「担当は女子ばかり」
NEWSポストセブン
真美子さんと大谷が“即帰宅”した理由とは
《ベイビーを連れて観戦》「同僚も驚く即帰宅」真美子さんが奥様会の“お祝い写真”に映らなかった理由…大谷翔平が見計らう“愛娘お披露目のタイミング”
NEWSポストセブン
渡邊渚さんが、「選挙」と「投票」について綴った(撮影/松田忠雄)
渡邊渚さんが綴る“今の政治への思い”「もし支持する政党がパートナーと全く違ったら……」
NEWSポストセブン
子宮体がんだったことを明かしたタレントの山瀬まみ
《山瀬まみが7ヶ月間のリハビリ生活》休養前に目撃した“スタッフに荷物を手伝われるホッソリ姿”…がん手術後に脳梗塞発症でICUに
NEWSポストセブン
自民党屈指の資金力を誇る小泉進次郎氏(時事通信フォト)
《小泉進次郎氏の自民党屈指の資金力》政治献金は少なくても“パーティー”で資金集め パーティーによる総収入は3年間で2億円、利益率は約79%
週刊ポスト
イベントキャンセルが続く米倉涼子
《新情報》イベントのドタキャン続く米倉涼子を支えた恋人の外国人ダンサー、日本を出国して“諸事情により帰国が延期”…国内でのレッスンも急きょキャンセル 知人は「少しでもそばにいてあげて」
NEWSポストセブン
小川晶市長“ホテル通い詰め”騒動はどう決着をつけるのか(左/時事通信フォト)
《前橋・小川市長 は“生粋のお祭り女”》激しい暴れ獅子にアツくなり、だんベぇ踊りで鳴子を打ち…ラブホ通い騒動で市の一大行事「前橋まつり」を無念の欠席か《市民に広がる動揺》
NEWSポストセブン
歴史ある慶應ボート部が無期限で活動休止になったことがわかった(右・Instagramより)
《慶應体育会ボート部が無期限活動休止に》部員に浮上した性行為盗撮疑惑、ヘッドフォン盗難、居酒屋で泥酔大暴れも… ボート部関係者は「風紀は乱れに乱れていた」と証言
NEWSポストセブン
元大関・貴景勝
断髪式で注目の元大関・貴景勝 「湊川部屋」新設に向けて“3つの属性の弟子”が混在する複雑事情 稽古場付きの自宅の隣になぜか伊勢ヶ濱部屋の住居が引っ越してくる奇妙な状況も
NEWSポストセブン
京都を訪問された天皇皇后両陛下(2025年10月4日、撮影/JMPA)
《一枚で雰囲気がガラリ》「目を奪われる」皇后雅子さまの花柄スカーフが話題に 植物園にぴったりの装い
NEWSポストセブン