古谷敏(ふるや・びん)/1943年、東京生まれ。1966年に『ウルトラQ』のケムール人、ラゴンに抜擢され、そのスタイルの良さが評判を呼び、同年『ウルトラマン』のスーツアクターに
古谷:ウルトラマンの壮絶な負け方は、前田少年の幼き闘争心に火をつけたんだね。
前田:はい。最終回でウルトラマンが死んだあと、ゾフィーが命を持って地球にきますよね。そうしたら、ウルトラマンが「自分は2万年も生きた。ハヤタはまだ若い。だから、その命をハヤタにやってくれ」と告げるじゃないですか。いやもう、なんていい宇宙人なんだと思いましたよ。その犠牲の心に感動し、余計にゼットンが許せなくなって、俺が倒すんだ、と。
古谷:昔も今も前田日明は純粋な男ですね。
前田:あ、そうそう。9年前に『ウルトラマン』のブルーレイ・ボックスが発売された際、記念のイベントに招待されたんですね。そこで寸劇を頼まれ、ゼットンと戦いました。
古谷:そうだったんですか。約50年ぶりにゼットンと対峙したんだ。
前田:最初、ゼットンとゾフィーが戦って、劣勢になった彼の代わりに自分がステージに飛び出し、そのままゼットンの胸板にミドルキックを叩き込み、怯んだところを背負いで投げたという(笑)。
古谷:ゼットンも怖かったと思いますよ。なにせ前田日明の渾身のキックを胸に受けたんだから。
前田:最後はお互いに健闘を讃えて握手したんですが、ようやく50年の時を経て、古谷さんの敵を取りました(笑)。
古谷:ありがとう(笑)。
前田:それにしても、あのときのゼットンはデカかったですね。スーツとはいえ、自分より背丈がありましたから、2メートル以上はあったかも。
(後編につづく)
【プロフィール】
古谷敏(ふるや・びん)/1943年、東京生まれ。1966年に『ウルトラQ』のケムール人、ラゴンに抜擢され、そのスタイルの良さが評判を呼び、同年『ウルトラマン』のスーツアクターに。1967年放送の『ウルトラセブン』ではウルトラ警備隊のアマギ隊員を好演。2024年、NHK朝ドラ『虎に翼』にゲスト出演し、話題を呼ぶ。著作に『ウルトラマンになった男』(小学館)。
前田日明(まえだ・あきら)/1959年、大阪府生まれ。1977年に新日本プロレスに入団し、デビュー。その後、第1次UWFへの移籍を経て、第2次UWFを旗揚げ。1991年には総合格闘技団体RINGSを設立、1999年のアレクサンダー・カレリン戦で現役引退。青少年育成の格闘技イベント「The Outsider」をプロデュースし、朝倉未来、海の朝倉兄弟を見出している。
写真/朝岡吾郎
※週刊ポスト2025年10月10日号