大山のぶ代一覧

【大山のぶ代】に関するニュースを集めたページです。

大山のぶ代、亡き夫の親族とマネジャーが相続巡り不穏な空気
大山のぶ代、亡き夫の親族とマネジャーが相続巡り不穏な空気
《生きてるぜ 三途の川より天の川》。七夕を間近に控えた7月上旬の週末、東京・青山斎場で開かれた砂川啓介さん(享年80)の一周忌法要。弔辞を読んだ毒蝮三太夫(82才)は、昨年7月11日に尿管がんで他界した盟友にこんな句を送った。 その日、参列したのは毒蝮のほか、十朱幸代(75才)など故人と親しかった150人ほど。白い菊の花で飾られた壇上には優しく笑う故人の遺影が置かれ、最後のお別れに花を添えた。しかし、賑わう会場に砂川さんの最愛の妻である大山のぶ代(84才)の姿はなかった。 昨年、砂川さんが亡くなった際には葬儀・告別式は近親者のみで行われた。「生前の砂川さんは“自分がペコ(大山の愛称)より先に逝ったら、葬儀はしないでほしい。ペコの病状を多くの人が気にするから”と話していました。それでも今回、砂川さんと親しい人々から、“きちんとしたお別れをしたい”という声が多く寄せられ、親族の意向もあって一周忌の法要を開くことになりました」(砂川さんの知人) 弔辞では砂川さんの60年来の友人である毒蝮が、妻の看病に明け暮れた砂川さんを労った。最後に大山の「今日はありがとうございました」とのテープメッセージが流れ、夫婦の変わらぬ絆の強さを感じさせたものの、実は舞台裏には「すき間風」が吹いていたという。「喪主は大山さんでしたが、彼女は認知症の症状が進んで介護施設に入っており、役割を果たせる状態ではありません。そこで30年来の女性マネジャーのAさんが親族の意向を聞き取り、準備や手配に駆けずり回りました。しかし、親族とAさんには“お金の不信感”があるそうで、不穏な雰囲気がひしひしと伝わってきました」(前出・知人) 大山と砂川さんは、東京五輪が開かれた1964年に結婚。大山は亭主関白の砂川さんを誰よりも理解し、ドラえもんの声で大人気を得てからも常に一歩下がって夫をサポートした。 おしどり夫婦に大きな転機が訪れたのは2012年だった。認知症を患った大山は5分前のことも忘れるようになり、排泄処理も自力でできなくなった。トイレの使い方がわからなくなり、ところかまわず粗相する妻の排泄物を夫は黙々と処理した。「認知症発症後、砂川さんは仕事を辞めて1人で介護を抱え込みました。大山さんのイメージが壊れることを避けるため、周囲に認知症を隠したので心労は募るばかり。精神的にも肉体的にも追い詰められた日々を過ごしていました」(スポーツ紙記者) 親友の身を心配した毒蝮の助言もあり、砂川さんは2015年5月にラジオの生放送で妻の病状をカミングアウト。少し肩の荷が軽くなったはずだったが2016年4月、今度は砂川さんが尿管がんの宣告を受けた。「砂川さんは放射線治療や抗がん剤治療を行いながら、十数回も入退院を繰り返してがんと闘いました。“このままでは共倒れになる”と危惧して大山さんを老人ホームに入れましたが、闘病中も気にするのは妻のことばかり。常に“ペコはひとりでやっていけるだろうか”と心配していました」(前出・スポーツ紙記者)◆マネジャーへのお世話代 その時期、砂川さんと二人三脚で大山の介護を受け持ったのがAさんだった。「Aさんはもともと大山さんのマネジャーを30年以上担当していて、砂川さんからの信頼も厚かった。彼たっての希望でAさんは大山さんの介護を手伝うようになり、彼女の暮らす老人ホームにも足繁く通っています。砂川さんのがんが見つかってからは彼の入院にも付き添うことが多く、“ペコをくれぐれも頼む”と言われていたそうです」(芸能関係者) がんという大病を患った自分に、もしものことがあったら認知症が進む妻の余生はどうなるのか。思い悩んだ砂川さんは、「2つの手」を打った。「砂川さんは口では“決してペコより先に死なない”と言っていましたが、本心では最悪の事態を想定していました。夫婦には子供がいなかったので、砂川さんがいなくなったら誰かが天涯孤独の大山さんの面倒を見て、財産を管理する必要がある。そこで砂川さんは、Aさんにお世話代として毎月一定額のお金を渡して、大山さんの面倒を見るようにお願いしたようです。 また、夫婦の財産管理は、『成年後見制度』を利用することにしたそうです。砂川さんのきょうだいが成年後見人になったという話を聞いたことがあります」(前出・芸能関係者) 成年後見制度とは、国が法的権限を持つ「成年後見人」などを指定する制度のこと。九段下総合法律事務所の伊倉秀知弁護士が説明する。「認知症などで充分な判断能力を持たない人の財産を管理するための制度です。家庭裁判所が選任する成年後見人による財産管理には強い法的権限が与えられ、たとえば認知症のかたが家を売ってしまったとしても、後見人はその契約を取り消すことができます。親族でも勝手に被後見人の財産を処分することはできなくなります。以前は親族が成年後見人になることが多かったのですが、最近は弁護士や司法書士など専門職がなるケースが多い。その理由の1つは親族後見人が“いずれ自分が相続するお金だから”と使いこむケースが増えたから。その場合、財産の価値によって支払う費用が変わってきます」 砂川さん亡きあと、大山には多くの資産が残された。「介護費用がずいぶんかかったそうですが、大山さんは料理上手の倹約家でもあり、ある程度の預貯金があるはずです。都内の閑静な住宅地にある夫婦の自宅の敷地は40坪ほど。一坪あたり300万円ほどなので土地代だけでも1億2000万円以上の資産価値があると思われます。特別な遺書でもなければ、大山さんが砂川さんの遺産の4分の3を受け取るので、けっこうな額が資産として残っているはずです」(前出・芸能関係者) その財産を成年後見人が管理する一方、前述の通り、Aさんには「お世話代」が支払われているという。そうした金銭の動きがギクシャクのもとになっているという。「認知症の発症以来、砂川さんは病気のことが知られるのを避けるため、親族にもほとんど大山さんを会わせていませんでした。そこから徐々に砂川さんと親族は距離を置き始めたそうです。砂川さんと疎遠になった親族としては、毎月決められた額がAさんに支払われることに、“その約束は本当なの?”という不信感があるそうです。一方、大山さんのすべての面倒を見るAさんは“成年後見人が大山さんファーストでちゃんと考えてくれるのか”という不安があるみたいです」(前出・芸能関係者) そうした問題の決定権は成年後見人にある。「大山さんとマネジャーの契約ですから、親族は解除できません。しかし、成年後見人ならば、その契約を解除することができます。また、大山さんに関しても本人や親族の意思に関係なく、成年後見人が介護施設の費用が高いと判断すれば、契約を解除し、別の施設に入所させることができます」(伊倉弁護士) 砂川さんは大山を思って成年後見人をたてたが、その制度によって周囲の空気は不穏なものになりそうだ。この顛末は決して他人事ではない。※女性セブン2018年8月2日号
2018.07.19 07:00
女性セブン
追悼2017 松方弘樹さん他、男性芸能人・選手たち
追悼2017 松方弘樹さん他、男性芸能人・選手たち
 2017年を振り返れば、多くの人が旅立った。彼らの活躍や生き様は、私たちの目に、心にしっかりと刻まれている。今年、惜しくも世を去った男性芸能人、そしてスポーツ選手たちを紹介する。●渡瀬恒彦さん(俳優、享年72) 映画『殺し屋人別帳』(1970年)で銀幕デビュー。映画『事件』やドラマ『十津川警部シリーズ』(TBS系)、『おみやさん』(テレビ朝日系)などに出演しスターダムに。俳優・渡哲也は実兄。2015年に胆のうがんが発覚、通院しながら仕事に打ち込んだが今年3月14日に没した。●藤村俊二さん(タレント、享年82) テレビ『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ系)出演で脚光を浴び、『8時だョ! 全員集合』(同)では振付を担当。いつの間にか「ひょい」といなくなるので「おヒョイさん」と呼ばれ親しまれた。2015年に小脳出血で倒れた後、今年1月25日、心不全で死去。●平尾昌晃さん(作曲家、享年79) 1958年の歌手デビュー後、ミッキー・カーチス、山下敬二郎とともに「ロカビリー三人男」として一世を風靡。1966年に作曲家に転身、『瀬戸の花嫁』『霧の摩周湖』など数々のヒット曲を手がけた。2年前に肺がんを発症後、入退院を繰り返したが、今年7月21日に帰らぬ人となった。●砂川啓介さん(俳優・司会者、享年80) 1961年に『うたのえほん』(NHK)での初代「体操のおにいさん」で子供たちの人気者になり、以後、俳優、司会者としても活躍。妻はドラえもんの声優で知られる大山のぶ代(写真右)。認知症を患う妻を介護していた最中の7月11日、尿管がんにより没した。●かまやつひろしさん(ミュージシャン、享年78) ザ・スパイダースのメンバーである一方、『あの時君は若かった』『いつまでもどこまでも』『バン・バン・バン』など作曲も担当。解散後も吉田拓郎作詞作曲の『我が良き友よ』が大ヒット。父はジャズシンガーのティーブ釜萢、歌手・森山良子は従妹。3月1日、膵臓がんにより没した。●森慎二さん(元プロ野球選手、享年42) 1997年にドラフト2位で西武に入団。2002年、2003年には最優秀中継ぎ投手に選ばれた。2005年に渡米しデビルレイズに入団。退団後、独立リーグの監督などを経て2015年から西武の投手コーチに就任した。通算44勝44敗50セーブ。6月28日、壊死性筋膜炎によって死去。●神山繁さん(俳優、享年87) 文芸座で演出助手から俳優に転身。1965年ドラマ『ザ・ガードマン』(TBS系)で広く知られるようになり、映画『ブラック・レイン』(1989年)、『沈まぬ太陽』(2009年)などに出演。1月3日、肺炎で死去。「葬式無用、戒名不要」の遺志により、葬儀・告別式は行なわれなかった。●松方弘樹さん(俳優、享年74) 父は俳優・近衛十四郎、母は女優・水川八重子。映画『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』(1960年)で主演デビュー後、任侠映画や時代劇を中心に活躍。代表作は『仁義なき戦い』(1973年)ほか多数。大の釣り好きとして知られた。1月21日、脳リンパ腫のため死去。※週刊ポスト2017年12月22日号
2017.12.15 16:00
週刊ポスト
芸能人の認知症告白 かつては批判集中も今は賛同が多い理由
芸能人の認知症告白 かつては批判集中も今は賛同が多い理由
 声優でタレントの大山のぶ代さんが老人ホームに入居したという。認知症の大山さんを自宅で介護してきた夫で俳優の砂川(さがわ)啓介さんに尿管がんが見つかり、入院が必要になったことから生活の場を移すことになったそうだ。夫婦にとって結婚52年目の初めての別居生活。砂川さんにとっては苦渋の決断だったという。  介護関連のさまざまなニュースが連日伝えられているが、こうした芸能人の認知症告白やその介護体験をメディアはどう映し、世間はそれにどう反応してきたのだろうか。 80年代、詩人画家の星野富弘氏による『愛、深き淵より―筆をくわえて綴った生命の記録』(立風書房 1981年)や、のちにドラマ化・映画化もされた『1リットルの涙-難病と闘い続ける少女亜也の日記』(木藤亜也著 エフエ-出版 1986年)などノンフィクションの中でも「闘病記」がメジャーになってきた。そんな流れの中で、歌手の橋幸夫さんが認知症の母親を自宅で介護したノンフィクション『お母さんは宇宙人』(サンブリッジ)が1989年(平成元年)に刊行された。妄想、幻覚、徘徊……人格者で気丈だった母の変化をありのままに書いたこの記録は大反響を呼び、わずか1か月で5万部を売り上げるなど、時のベストセラーとなった。 それ以後、例えば、生島ヒロシさんが、半月板損傷がきっかけで歩けなくなり認知症を患った義母を家族と手探りで介護した『おばあちゃま、壊れちゃったの?-ボクと妻の老親介護-』(三笠書房)、女優の南田洋子さんが、脳出血ののちに認知症になった義父の介護を14年間続けた記録『介護のあのとき-嫁、妻、女優の狭間で-』(文化創作出版)など多くの著名人の介護奮闘記が出版され、いずれも関心を集めてきた。 そんな体験談の「告白」の場は時を経て、テレビへと移っていく。2008年10月、俳優の長門裕之さんが、妻・南田さんの認知症について『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で初めて語った。しかし、目で追う「活字」と、耳で聞く「言葉」の違いだろうか、長門さんのもとには「勇気ある告白」という声が寄せられた一方、「夢が壊れるから辞めて欲しかった」「義父の看病をした気苦労が南田さんを認知症にさせた」「高齢者が高齢者の介護をするなんてつらすぎて美談にならない」など批判が沸いた。その1か月後、同系のドキュメンタリー番組で南田さんの自宅での様子が放映されると、さらにバッシングはエスカレート。「無残な姿を売り物にしている」「認知症患者の人権はどうなる?」「介護保険を使わないお金持ちにしかできない介護」などと糾弾が相次いだ。  そんな声に対して長門さんは当時、「それらはぜんぶ正論。俺をバッシングする意見があればそれも正論。すべてにおいて反論はしない」(「週刊金曜日」2009年 6月26日)と言葉を飲み込んでいる。 2009年に南田さんは他界。その2年後の2011年、その南田さんを追うように長門さんも亡くなったあと、長門さんと親交のあった黒柳徹子さんはテレビ番組で、彼が愛妻の認知症を公表した理由として「なるべく外へ妻を連れ出したいが、病名を隠したままだと行く先々で『どうしたの?奥さん』などと聞かれ、その度に病状のことを説明しなければならない。世間に公表すれば周りも理解してくれて、温かく見守ってくれるから」と語っていた。 それからさらに時が過ぎ、現在、同じく妻の認知症を吐露した砂川啓介さんにはおおむね賛辞の声が多い。他の有名人の告白や、それをまとめた出版物も相次いでいる。 それは有名無名や発症年齢問わず、認知症がさらに日本の喫緊の課題になってきているからだろう。2015年1月の厚生労働省の発表によると、日本の認知症患者数は2012年時点で約462万人と推計されている。これが2025年には700万人を突破すると言われる。 来るべき「大量介護社会」を映す鏡として、有名人の認知症告白、そしてその介護体験にはますます大きな意味を持ってくる。もちろん、実際に認知症を患い、言い知れぬ不安を抱える当事者、またその介護をしている人々の「こころの道しるべ」となっていくことだろう。ただし、共感を得るためだけに介護経験は語ることは、私見ではあるが慎んでもらいたいところだ。(文・内堀隆史 放送作家・ライター。『誰だって波瀾爆笑』(日本テレビ系)など)
2016.07.05 07:00
NEWSポストセブン
妻を老人ホームに入れる? 野末陳平氏、安仁屋宗八氏ら見解
妻を老人ホームに入れる? 野末陳平氏、安仁屋宗八氏ら見解
 認知症を患っていた人気アニメ『ドラえもん』(テレビ朝日系)の声優・大山のぶ代さん(82)を、夫で俳優の砂川啓介氏(79)が「老人ホームに入居させた」と告白し、議論を呼んでいる。 砂川氏が妻を老人ホームに入れたことについて、「むしろ遅すぎた」と語るのはタレントで元参院議員の野末陳平氏(84)である。「老老介護を美談みたいにいうけど、それは大きな誤解。家族による介護は、する方もされる方も犠牲になるのが現実です。 そもそも介護は、素人が簡単にできるようなことじゃない。プロのヘルパーさんでさえ一般家庭でサービスするのが大変だから、なり手がいないんです。介護される方も、相手が身内だとわがままをいうし、夫婦喧嘩も絶えなくなる。老老介護での夫婦喧嘩は互いに逃げ場がないから悲惨です」 しかし、住み慣れた自宅を離れることに寂しさを感じるのも事実だ。内閣府が行なった「世論調査報告書」(2004年)によれば、「どこで介護を受けたいか」という問いに対し、「可能な限り自宅で」と答えた人が44.7%。「施設で介護を受けたい」という人は、42.3%だった。“自宅派”と“施設派”がほぼ拮抗している。 問題は「可能な限り自宅で」と望んだ場合は、どこまでが可能な範囲なのか。経済アナリストの森永卓郎氏(58)は自らの経験から、日常生活全般に介助が必要で、問題行動や理解力の低下も見られる「要介護4」に達した場合は「無理だ」と語る。「カミさんはずっと僕の父の介護をしてくれていましたが、24時間拘束されるので、仕事を辞めざるを得なかった。それでも介護に専念すればやれると思います。 でも、『要介護4』になると努力しても厳しい。父がそうでしたが、施設に預けるしか手はないと思いますね。夫婦で“妻と離れたくない”というのであれば、近くにある施設に入居させて、毎日通うというのが現実的ではないでしょうか」 40代を過ぎると、森永氏のように「親の介護」に直面するケースが珍しくない。そこで、「介護の厳しさを実感した」と50代の男性会社員がいう。「母親の介護をしたのは40代後半でしたが、寝たきりの状態の母親を抱き抱えた時に“小柄なのにこんなに重いのか”と愕然としました。60歳を過ぎたら介護は体力的に厳しくなってくると思います。むしろホームに入れないことで、自分の身体が先に壊れてしまう」 とはいえ、症状は少しずつ変化していくため、「もう自分では無理だ」と決断するタイミングは非常に難しい。野球評論家の安仁屋宗八氏(71)は、その分岐点をこう考えている。「現役時代、家内の支えがなければ野球を続けることはできなかった。だから家内がそうなったら、頑張ってできる限り面倒をみてやりたい。それでもダメだった時は、施設に入れることになるんでしょうね。 その分岐点は、僕が辛いかどうかよりも、家内がプロに世話してもらった方が辛くない、心地良いという状況になった時です。介護度が上がれば、家庭内での介護には限界があると思います」※週刊ポスト2016年6月24日号
2016.06.17 16:00
週刊ポスト
妻が認知症になったら… 林家ペー「施設入れるのは切ない」
妻が認知症になったら… 林家ペー「施設入れるのは切ない」
 認知症を患っていた人気アニメ『ドラえもん』(テレビ朝日系)の声優・大山のぶ代さん(82)を、夫で俳優の砂川啓介氏(79)が「老人ホームに入居させた」と告白し、議論を呼んでいる。「我々は介護のプロではない」「むしろホームに入れないことで、自分の身体が先に壊れてしまう」といった声がある一方で、「絶対に入れたくない」と思う人もいる。ジャーナリストの鳥越俊太郎氏(76)は、施設のほうがサービスが良いことを理解しながらも、こう話す。「結婚してからもう50年近く一緒にいるから、妻は自分の身体の一部とも言える存在です。だから私の身体が動いて、面倒を見られる限りは施設には入れません。もし反対の立場に立ったとき、妻も私を施設に入れることはしないでしょうね」 長い時間を共に生きてきたのだから、最後まで一緒にいたいというのも素直な気持ちだろう。取材を進めると、「どちらかが施設に入ったら“添い遂げた”という達成感が得られないような気がする」(60代・無職の男性)と話す人もいた。 人によっては、老人ホームに「向かない」場合もある。芸能界を代表するおしどり夫婦、林家ペー氏(74)は妻のパー子さん(67)に対して、こんな「心配」をしている。「テレビでは明るく見えるかもしれないけど、ああ見えて、妻は極度の人見知りなんですよ。見知らぬ人がたくさんいるところに入れたら、おかしくなっちゃうと思う。そう考えると、入居させるのは切ないね」 老人ホームに入れたことで「認知症の進行が急激に進むケースが少なくない」と介護施設の関係者はいう。「共同生活になじめない人は、食事もひとりで済ませて、他の入居者と一緒に歌を歌うなどのレクリエーションにも参加しようとしません。これではいくらサービスが行き届いていても、人と接する機会が減って、症状が悪化してしまいます」※週刊ポスト2016年6月24日号
2016.06.16 07:00
週刊ポスト
大山のぶ代を施設に入れた夫 苦渋の決断は他人事ではない
大山のぶ代を施設に入れた夫 苦渋の決断は他人事ではない
 認知症を患っていた人気アニメ『ドラえもん』(テレビ朝日系)の声優・大山のぶ代さん(82)を、夫で俳優の砂川啓介氏(79)が「老人ホームに入居させた」と告白し、議論を呼んでいる。 2人は「おしどり夫婦」として知られ、昨年10月には砂川氏が『娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記』(双葉社刊)という本も執筆していただけに、反応は複雑だった。 だが、この入所には大きなきっかけがあった。今年4月、砂川氏は尿管がんを患って入院することになったのだ。「1人で家に残すわけにはいかない」という「苦渋の決断」だった。 介護を「する側」も「される側」も65歳以上の高齢者の「老老介護」世帯は増加の一途をたどっており、要介護高齢者がいる世帯の51.2%を占める(2013年『厚労省 国民生活基礎調査』)。団塊世代が65歳を超えたいま、その割合が今後ますます増加するのは確実だ。 介護する側の約7割が女性という現状から、「妻を介護する」ことにピンとこない夫も少なくないだろう。だが、パートナーを介護する側に回った時に苦労するのは男性の方が多いという。介護ジャーナリストの太田差惠子氏が説明する。「介護には当然、家事が伴いますが、男性は家事の経験が少ない人が多いので、両方を担うのは大変です。また、女性と違って地域コミュニティのネットワークが弱いので、介護に関する地域の情報も得られにくい。そのため、男性は自分ですべてを抱え込み、孤立しやすいのです」 そこで介護の専門家に託すという選択肢が出てくるが、ここでも男性は悩む人が多いと日本ケアサポートセンター理事長の高室成幸氏はいう。「妻を老人ホームに入れることには親族や世間の目もあります。何より男性は、これまで『奥さんに支えて貰った』という意識が強いので、後ろめたさを感じて葛藤する人が多い」 もし同じ状況になったら、あなたは妻を老人ホームに入れられるだろうか。砂川氏が迫られた苦渋の選択は、他人事ではない問題なのだ。※週刊ポスト2016年6月24日号
2016.06.13 16:00
週刊ポスト
40年間寝室別だった大山のぶ代夫妻 認知症発症後は毎日ハグ
40年間寝室別だった大山のぶ代夫妻 認知症発症後は毎日ハグ
 その本の表紙に写るふたりの笑顔は、50年連れ添った夫婦ならではのいたわりと愛情がにじみ出ていた。 10月23日、声優・大山のぶ代(82才)の夫・砂川啓介(78才)が著書『娘になった妻、のぶ代へ』(双葉社)を出版した。5月に大山の認知症を公表した砂川は、同書で、病の発症から現在までの2700日におよぶ介護模様に加え、大山との夫婦仲についても包み隠さずに綴っている。 おしどり夫婦といわれたふたりだが、同書では40年にわたりセックスレスだったことが明かされた。最初の妊娠が死産で終わり、1972年に生まれた長女・絵梨加を生後3か月で亡くしたことがきっかけだった。《実は、僕たちは娘の絵梨加を亡くして以来、今日に至るまでずっと、寝室を別にしている。そう、いわゆる“夫婦生活”がまったく存在しなかったということだ。お腹に宿した二つの命を失ったカミさんは、妊娠恐怖症──つまりセックスを怖がるようになった》(『娘になった妻、のぶ代へ』より。以下《》内同) 自分はもう夫の子供を産むことができない…。そう思った大山は、砂川に対し、「他の女性と浮気してもいいわよ」と告げたこともあったという。だが、体が触れあわなくとも、この夫婦の絆が切れることはなかった。 2012年に大山が認知症を発症し、5分前のことを忘れ、徘徊をするようになっても、砂川は懸命に妻を支えた。大山の排泄処理も彼の日課だった。大山はトイレの使い方を忘れ、ところかまわず粗相してしまう。大便をつかんだ手でベッドやシーツを触り、そのたびに砂川が洗った。 悩んだ末に、大山には大人用おむつをはいてもらうことにした。だが、彼女はおむつに出した排泄物もまた、手で触ろうとするのだった。衣服を汚した大山を風呂に入れて体を洗う作業は、傘寿を控える砂川にとって重労働だった。 医師からは認知症の進行を遅らせる薬を複数処方されていたが、何度説明しても大山はのみ方を忘れてしまう。砂川は声を荒らげ、そのたびに自己嫌悪に陥った。心身共に追い詰められ、酒の量も増えた。《「認知症妻を抱えた夫が、心中を図った」。このようなニュースが流れると、思わずハッとして、食い入るように画面を見つめてしまう》 それでも砂川には、妻を施設に入れるという選択肢はなかった。彼を支えていたものは、やはり大山への愛に他ならない。《「おやすみなさい、啓介さん」。こういうと両手を大きく広げて、あのドラえもんのような笑顔で僕にハグを求めるカミさん。(中略)結婚から半世紀経った今になって、毎晩ギュッと夫婦で抱きしめ合うようになるなんて。この年になって初めて、夫婦のぬくもりを今、痛切に感じている》 微笑みながら抱擁を求める大山に、砂川は娘の姿を見るのだという。「長女が夭折し、子供を持つ夢が叶わなかった砂川さん夫婦ですが、“代わりに今、妻が子供になって自分の元に来てくれたんだ”って。なんと深い夫婦愛でしょうか」(前出・芸能関係者)※女性セブン2015年11月12日号
2015.10.30 07:00
女性セブン
こども電話相談室が終了 天国と宇宙どちらが近いのか名回答
こども電話相談室が終了 天国と宇宙どちらが近いのか名回答
「『反省の色』って何色なんですか?」「ヘビはどこからがしっぽなんですか?」 こんな子供たちの素朴な疑問に半世紀以上も答え続けてきたTBSラジオ『全国こども電話相談室』(2008年に『全国こども電話相談室・リアル!』にリニューアル)が3月29日の放送で終了した。 番組開始は1964年7月13日。平日午後1時から6時の『オーナー』という番組内のコーナーだったが、1997年に日曜午前9時からの独立した1時間番組となった。 歴代回答者は放送作家の永六輔氏、ドラえもん役を長く務めた声優・大山のぶ代氏、ジャーナリストの池上彰氏などの著名人で、のべ1000人超の“先生”が、電話を通じて生放送で子供たちの質問に答えた。 思いもよらない“難問”に回答者がいかに答えるかも番組の聴きどころだった。 例えば、「人生って何ですか?」という質問には、「私もまだ人生って何なのか考えている途中です」(サイエンスプロデューサー・杉木優子氏)と子供と同じ立場になって一緒に考えたり、「『おじさん』は何歳からおじさんなのですか?」という質問には、思わず回答者も「……ん? おじさんですか?」(泉福寺住職・無着成恭〈むちゃくせいきょう〉氏)と戸惑ったりする場面もあった。 50年前から回答者を務め、味わい深い名回答でリスナーを唸らせた無着氏は、番組スタートのきっかけを次のように話す。「当時、池田勇人内閣で学習指導要領が強化され、文部省の『全国中学校一斉学力調査』が始まりました。学校が勉強だけの場になり、生徒が素朴な質問をすると『馬鹿なことを考える暇があったら勉強しろ』と諭されるようになった。 そこで、子供のどんな疑問にも答える番組を作りたいというTBSのディレクターの相談を受け、それはいい発想だと答えたんです」 番組でやり取りされた名質問・名回答を振り返ろう。──「天国と宇宙はどちらが近いんですか?」 超難問に「名人」永六輔氏はこう答えた。「天国に行ったら帰って来られないけど、宇宙は帰って来られる。だから宇宙のほうが近いの」 1980年代から30年以上にわたって回答者を務めた気象予報士の森田正光氏は永氏のこの回答を鮮明に覚えている。「すばらしくウィットの利いた答えで『すげぇな、この先生は』と思いました。僕自身は『天国のほうが近そうだ』と考えてしまったけど(苦笑)」※週刊ポスト2015年4月10日号
2015.03.30 16:00
週刊ポスト
アニメ『ドラえもん』の声を初めて聞いた故・藤本弘氏の感想
アニメ『ドラえもん』の声を初めて聞いた故・藤本弘氏の感想
 1979年4月2日にスタートし、35周年を迎えたアニメ『ドラえもん』(テレビ朝日系)を世に送り出したシンエイ動画の元会長・楠部三吉郎氏は、原作者である故・藤本弘(藤子・F・不二雄)氏を前に、「『ドラえもん』をボクにあずけてください!」と言った日のことを今でも思い出すという。 その熱意が通じて、藤本氏から「『ドラえもん』を嫁に出す」とまで言われ、アニメ化権を手にした楠部氏だったが、当初はどこのテレビ局に話を持っていっても門前払いだったという。とはいえ、観てもらえさえすればその魅力がわかってもらえると思い、持ち出し覚悟でアニメのパイロット版を制作した。楠部氏は当時のことを、著書『「ドラえもん」への感謝状』(小学館)のなかで、こう述懐している。 * * * 大山のぶ代(ドラえもん)、小原乃梨子(のび太)、野村道子(しずか)、たてかべ和也(ジャイアン)、肝付兼太(スネ夫)、千々松幸子(のび太のママ)……。力のある声優陣です。その後、リニューアルする2005年3月18日まで、26年間にわたって、この方々には、『ドラえもん』を支えていただきました。 早速、できあがったパイロット版を先生のところに持っていきました。1978年の秋のことです。1年経ってしまったことを先生に詫びながら、声優たちと一緒に、パイロット版を観ました。特に主役の大山のぶ代さんは、先生の反応を気にしていました。 見終わった先生はひと言。「びっくりしました。ドラえもんってこういう声だったんですね」 先生の懐の大きさに、改めて感謝しました。「嫁に出した」という言葉に嘘はなかったのです。 ひと言ふた言、言いたいこともあっただろうに、それは口にしない。そればかりか、「ドラえもんってこういう声だったんですね」と驚いてみせることで、その場を一気に和やかな空気に変えてみせる。 一発OKでした。※楠部三吉郎・著/『「ドラえもん」への感謝状』より
2014.10.10 16:00
NEWSポストセブン

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広末涼子、“破壊力強すぎ”コーデは健在「背中に蜘蛛」私服に続き目撃された「謎バッグ」
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結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
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選挙活動中に有権者に抱き付かれる女性候補者の様子を再現した動画[内閣府提供](時事通信フォト)
選挙活動で顕在化する「票ハラスメント」 政党や後援会の意向も要因に
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不祥事を理由に落選したはずなのに、比例で復活されては…(左は塚田一郎氏、右は中川郁子氏/写真=共同通信社)
「不倫路チュー」「USBは穴に…」失言・不祥事で落選しても比例復活するゾンビ議員たち
週刊ポスト