ラジオ深夜便一覧

【ラジオ深夜便】に関するニュースを集めたページです。

『ラジオ深夜便』、道上洋三、大沢悠里…ラジオ番組の魅力
『ラジオ深夜便』、道上洋三、大沢悠里…ラジオ番組の魅力
 ラジオの地上波放送をネットで配信するサービス「ラジコ」の登場もあり、個性的なメディアとして復権しつつあるラジオ。長寿番組があることも特徴的。毎日、お決まりの時間にスイッチを入れれば“あの人”の声が聞こえることが、ラジオの大きな魅力なのだ。 1990年に始まった『ラジオ深夜便』(NHKラジオ第1)は毎日深夜11時15分から翌午前5時までの生放送。「アンカー」と呼ばれるパーソナリティーが番組進行を担当し、深夜・早朝にもかかわらず200万人のリスナーを誇る。 チーフプロデューサーの浦田典明さんは「主なリスナーは60代以上です」と言う。「人生を豊かにする教養や年齢を重ねてこられたゲストの深みのある話をお伝えして、第2の人生を歩んでいる60才以上のリスナーから支持されています。特に人気なのは、午前4時台の『明日へのことば』というコーナー。著名、無名を問わず一生懸命生きてこられたかたの生き様や人生観を40分にわたってお伝えします。早朝の放送にもかかわらず、熱心に聞かれるコーナーです」 現在18人いるアンカーの1人、遠藤ふき子さん(72才)は1993年からアンカーを務める。長寿番組となった秘訣は「安心感」であると指摘する。「ひとり暮らしのかたや、介護をしていて睡眠が不規則なかたは、深夜にラジオから聞こえる“いつもの声”に安心感を抱くのではないでしょうか。歌謡曲からポップスまで懐かしい音楽が流れるため、世代ごとに青春時代に戻れることもポイントです」 朝日放送ラジオ(ABC)の『おはようパーソナリティ道上洋三です』は1977年から続く長寿番組だ。 41年にわたってパーソナリティーを務める道上洋三さん(75才)は、今年7月から髄膜腫治療のため2か月休養したが、治療を終えて9月に生放送に復帰した。大の阪神ファンである道上さんは闘病の疲れも見せず、よく響く声で言う。「番組を始めたのは34才の時でしたが、今では社長も常務もみんな年下で、この会社にぼくより年上はいませんよ(苦笑)。毎朝6時半スタートなので深夜2~3時に起きる必要がありますが、プロ野球のシーズン中は阪神のナイターを見なければいけないので、睡眠時間は4~5時間。起床時に睡眠不足で不機嫌な自分を何とか上機嫌にして生放送に臨んでいます」 阪神タイガースが優勝した時も、阪神・淡路大震災の時も、常にラジオとともに歩んだ道上さんは、「ラジオ番組の宝はリスナーです」と言う。「番組30周年のイベントでは、大阪城ホールを借り切って1万5000人のリスナーと『六甲おろし』を歌いました。リスナーの中には、地元の果物などを送ってくれるかたがいて、こういうつながりがラジオならではと思います。今は確かにラジオを聞く人が減り、ラジオそのものを知らない若者も増えていますが、それでも聞いてくれている人たちに、きちんとした内容を伝えることが大事だと思っています」 一昨年、平日4時間半の生放送『大沢悠里のゆうゆうワイド』(TBSラジオ)に幕を下ろし、土曜日のみの『大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版』に舞台を移した大沢悠里さん(77才)もまた、ラジオの向こうから「いつもの声」を発信する1人だ。「みなさん、私の声を聞くことが生活習慣になっているんですよね。主婦のかたは洗濯したり、アイロンをかけたり、家事をしながら、さりげなく聞いている。その時、ぼくが横にいる、という感じになるんですね。一青窈さん(42才)に初めて会った時に“大沢さんのことをよく知ってる。母が聞いているラジオを小さい頃から一緒に聞いていました。その人が、私が大きくなってもラジオを続けているのが嬉しい”って言われたんです。長く続けるってこういうことなんですよね。 テレビには4時間半の生放送で30年続く番組はない。ラジオだからできたんだと思います。疲れてもたもたした放送をしだしたら、やめるかもわからないけど、それまでは要望がある限り続けたいですね」(大沢さん)※女性セブン2018年11月22日号
2018.11.11 16:00
女性セブン
現代の“モダンガール”と“モダンボーイ”が建てた、大正末期~昭和初期の薫り漂う文化住宅 テーマのある暮らし[4]
現代の“モダンガール”と“モダンボーイ”が建てた、大正末期~昭和初期の薫り漂う文化住宅 テーマのある暮らし[4]
「日本モダンガール協會」を立ち上げ、自らモダンガール(=モガ)を追いかける淺井カヨ(あさい・かよ)さんと、音楽史研究家の郡修彦(こおり・はるひこ)さん。大正末期から昭和初期にかけての文化やライフスタイルに惚れ込んだご夫婦がつくり上げた「新文化住宅」とは? 完成に至るまでの苦労話、個性的な暮らしぶり、そのすべてをご紹介します。【連載】ひとつのテーマで住まいをつくりあげた方たちにインタビュー。自分らしい空間をつくることになったきっかけやそのライフスタイル、日々豊かに過ごすためのヒントをお伺いします。1920~30年代に流行した「文化住宅」をゼロから建てる、という挑戦細い通りが入り組み、時折子どもたちの元気な声が響く東京都小平市の住宅街。一般的な住宅が立ち並ぶ中、和風の木造建築に青緑色の三角屋根の洋館が付いた一戸建てが異彩を放っています。表札は「小平新文化住宅」。淺井カヨさんと郡修彦さんが、2016年の秋に建てたご自宅です。古い建築物への造詣が深い2人が熱望したのは、1920年代から30年代にかけて流行した和洋折衷の「文化住宅」でした。現在は、当時の文化を伝えるため、随時見学会を開催していらっしゃいます。レトロな自転車とともに自宅の前に立つ淺井さん。このドレスは1920年代のアメリカのドレスを再現したもの。「ドレスは、古着を見本として仕立屋さんに持ち込んで、同じものをつくってもらうことが多いですね」(写真撮影/内海明啓)この家を建てるにあたって一番苦労したのは、工務店を見つけることだったそう。現在の住宅とは資材も工法もまったく違うため、引き受けられる工務店が都内では見つからなかったのです。半年間あちこちで断られ続け、最終的にはハウスメーカーや工務店とユーザーのマッチングサービスを提供しているザ・ハウスを通して、あきる野市の来住野(きしの)工務店と奇跡的な出会いを果たすことができました。「妥協は絶対にしたくありませんでした。希望通りの家ができないのなら何もいらない、という気持ちでしたからね」淺井さんは、そう振り返ります。工務店探しに奔走していた時期、設計図を見せてもなかなか理解してもらえないことに困った郡さんがつくった1/40の模型。「計画は細部まで決まっていたので、あとは実現してくれる工務店を見つけるのみでした」と郡さん(写真撮影/内海明啓)伝統的な素材と工法にこだわり尽くしたエクステリア壁面に板を少しずつ重ねて取り付ける工法は「下見板張り」といって、昭和初期の木造建築では一般的なものだったそう。こうした古い工法で仕上げるためには、工務店と何度も打ち合わせを重ねなければなりませんでした。玄関の引き戸の格子は「横に5本、縦に9本」という、当時からある形のひとつを参考にしたもの。寸法もすべて細かくオーダーしたそうです。2階の面積を小さくしたり、屋根瓦の代わりに金属製のスレートを使用したりしているのは地震対策。かつての文化住宅に最新の耐震技術を盛り込むことも、テーマのひとつでした(写真撮影/内海明啓)表札を固定する2本のマイナスねじは、よく見ると縦方向に止められています。これは、雨が降ったときに水がたまらないので、さびを防げるという昔ながらの知恵なのだとか(写真撮影/内海明啓)小さくかわいらしい庭には、立派な3本の和棕櫚(わじゅろ)が植えられています。「昔の洋館には棕櫚(しゅろ)が付きものだから、絶対に欲しかったんですよ」と淺井さん。クレーンでつり、前もって掘っておいた穴に植え付けてもらったのだそうです(写真撮影/内海明啓)庭の片隅には、パクチー、パセリ、バジルなどが青々と葉を茂らせていました。「今は雑草防止のために庭全体に小石を敷いているのですが、いずれは取り除いて畑にする予定です。できる限り食べるものをいろいろつくって、生活道具は自然素材のものにしたいですね」玄関脇には、ピンク色の可憐なバラが咲いていました。モダンガールが帽子をかぶっている様子に似ていることから、品種名は「モガ」。「この家の完成と同じ、2016年の新種なんです」と淺井さん(写真撮影/内海明啓)居間、台所、お風呂も、当時のライフスタイルを取り入れてでは、家の中にお邪魔しましょう。まず目につくのは、現役で使っているという黒電話。以前は昭和38(1963)年製のものを使っていましたが、その後、昭和8(1933)年製という、より古いものに“機種変更”したそうです。「見学に来る若い人のなかには、黒電話のダイヤルの回し方が分からない人もいますよ」という淺井さん。ちなみに携帯電話は持っていません(写真撮影/内海明啓)四畳半の居間では、2人の祖父母の家財道具が日常的に使われています。淺井さんの実家からやって来たのは、立派なちゃぶ台と柱時計。柱時計は裏に「昭和四年」と記されています。長い間眠っていたのですが、つい最近時計修理の職人さんに見せたところ、動くように直してくれたのだそうです。郡さんの実家に眠っていたのは、火鉢。祖父母の結婚記念品だったという1930年代の桐たんすは、削り直したというだけあってとてもきれいです。障子にはめ込まれた、付け書院(明かり取りの装飾は)古い木造建築が解体されるときに譲ってもらったもの。「襖(ふすま)を切り抜いてこの装飾を入れてあるので、夜は奥の部屋から漏れる光でほんのりと明るいんです」(写真撮影/内海明啓)火鉢は大正時代のもの。四畳半くらいだと、これですぐに暖まるのだそうです(写真撮影/内海明啓)鏡台と衣紋掛け(着物を掛ける用具)も、あるお屋敷が解体されたときに譲ってもらったそう。「だんだんと人とのつながりができてきて、いろいろなものをお譲りいただけたことはうれしいですね」と笑う淺井さん(写真撮影/内海明啓)キッチンには、昔ながらの形をしたガス七輪が。本当はかまどを使いたかったのですが、住宅が密接しているので煙を出すことができず、断念したのだそう。「冬は火鉢のために炭をおこさなければならないのですが、自動消火機能が付いたコンロだと、途中で消えてしまうんですよ。そこで昔ながらの鋳物(いもの)コンロを使っています」と淺井さん。昔のものと今のもの、それぞれの短所と長所を理解した上で、ライフスタイルに合うものをていねいに選んでいます。シンクは、職人さんが手作業でつくり上げた「人造研ぎ出し」。種石(天然石を細かく砕いたもの)とセメントを塗りつけて、固まったところを研磨するという昔ながらの技法です。これを手がける職人さんも、もう少ないのだそう。炊飯器や電子レンジはありません。「現代の料理本はそういった調理器具がある前提で書かれていることが多いです。大正~昭和初期の献立で昔ながらの調理器具を使って料理をしています」冷蔵庫は電動ではなく、大きな板氷で冷やす氷冷式です。「新居に合わせて特注でつくってもらいました。近所に氷屋さんがあるので、時々、買いに行きます。氷を自転車で運ぶのは大変です」と淺井さん。しかし、決して無理をして昔風の暮らしをしているのではなく、この生活が一番自分たちにしっくりくるのだそうです。「何でも使い捨てにするような慣習も、だんだん見直されつつありますね? 昔の生活を見直すきっかけになれたらと思っています」と2人は言います。生ものは買ってくるとすぐに調理、果物などは外に出して水につけておく……など、電気冷蔵庫に頼らない暮らしを楽しむ2人。「冷凍保存もできないから、あるもので料理をするようになります。無駄がなくていいですよ」と郡さん(写真撮影/内海明啓)光沢のあるタイル張りの浴室も、文化住宅を再現したもの。現在の建築業界では、滑るので危険だという理由から、原則として浴室の床に光沢のあるタイルは張らない決まりになっているのだそう。「何かあったら自己責任で、ということで、なんとか張ってもらえたんです」と淺井さん。当時の文化住宅では、浴室の木枠を白く塗るのが一般的でした。明るく見えることと、水気を弾いて湿気を防ぐことがその理由だったそう(写真撮影/内海明啓)洋風建築の魅力を最大限に活かした応接室と2階こちらは、こだわりの応接室です。漆喰(しっくい)の壁、高い天井、出窓の木枠。どれもこれも、大正末期から昭和初期の洋館がもっていた特徴です。「窓枠は特注なんです。ひとつひとつの寸法を細かく指定して、職人さんにつくってもらいました」と淺井さん。細部へのこだわりが、統一感を生み出しています。後ろに積んである箱には、郡さんのレコードが詰まっています。郡さんは古いレコードなどの音源をCDに復刻するお仕事をされているのです。「この部屋には約2000枚、博物館に寄託したものは約5000枚あります。内容は、ほとんどが昭和の流行歌とクラシックですね」(写真撮影/内海明啓)郡さんの祖父母が、昭和5(1930)年に結婚記念として購入した蓄音機「ビクトローラ4-40」。昭和4(1929)年にアメリカで製造されたもので、電気ではなく、ぜんまいの力でターンテーブルを回します(写真撮影/内海明啓)洋風の応接室にぴったりのシャンデリアは、1920年代のフランスのもの。骨董屋さんで見つけたそうです(写真撮影/内海明啓)最後に2階を見せていただきましょう。思わず歓声をあげたくなるようなこの部屋は、淺井さんの私室。「和洋折衷」というのが大正末期から昭和初期の文化住宅の特色ですが、2階はまさに洋風です。所狭しと並ぶコレクションは、淺井さんが子どものころから集めてきたもの。貴重な資料が並ぶ本棚は一見の価値あり。『主婦之友』シリーズや、昨年復刻された『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)の初版本なども並んでいました(写真撮影/内海明啓)この部屋の主役は、旧高田義一郎邸が解体されるときに譲ってもらったという、昭和初期の窓だそう。木枠の塗料をはがして塗り直し、割れていたガラスのみ新品に入れ換えました。「この窓をどうしても使いたかったので、2階は窓に合わせて設計したんです」と淺井さん。新しく再現したものと、実際に当時使われていたものがあちこちでミックスされているデザインからも、2人らしさが伝わってきました。窓の持ち主だった高田義一郎さんは医学博士であり、文筆家でもあった方。以前から著書の『らく我記』を愛読していた淺井さんにとって、窓との出会いは思わぬ幸運でした(写真撮影/内海明啓)「1920年代~30年代の普遍的なかっこよさも、ものを無駄にせず、自然を大切にする生活も、もっともっと発信していきたいですね。ここは生きた博物館のようにしたいと思っています」と語る2人は、当時の文化に憧れるだけなく、実際に生活に取り入れて楽しんでいます。「一生遊べる家が出来上がりましたね。2人だったからできたことです」と語る淺井さんの晴れ晴れとした笑顔が印象的でした。淺井さんの著書『モダンガールのスヽメ』(2016年/原書房)。大正末期から昭和初期の文化に興味をもった理由から、当時のライフスタイルについての歴史的考察に至るまで、読み応え満点の1冊です(写真撮影/内海明啓)●取材協力・淺井カヨさん昭和51(1976)年名古屋生まれ。平成19(2007)年に、大正末期から昭和初期とモダンガールを愛好する「日本モダンガール協會」を設立。著書に『モダンガールのスヽメ』(原書房)、共著に『東京府のマボロシ』(社会評論社)など。・郡修彦さん東京生まれ。作曲家・音楽評論家の故・森一也先生に師事。SPレコード時代の音楽史を、CD解説書・新聞・雑誌・同人誌に発表している。「山田耕筰の遺産」「古賀政男大全集」「古賀政男黄金時代の集大成」「復刻盤軍歌・愛国歌撰集」等を手がけ、企画・構成・復刻の「SP音源復刻盤信時潔作品集成」は平成20年度(第63回)文化庁芸術祭大賞を受賞。元・昭和館音響専門委員、平成15(2003)年5月から翌年4月まで月1回、NHK「ラジオ深夜便」に出演し、選曲・録音・解説を担当。平成19(2007)年11月よりライブハウスにてSP盤鑑賞会を定期開催中。(棚澤明子)
2018.06.21 08:00
SUUMOジャーナル
「老眼」テーマに夫婦愛を歌った作品が大きな感動呼びヒット
「老眼」テーマに夫婦愛を歌った作品が大きな感動呼びヒット
「老眼」をテーマにし、深い夫婦愛を歌った作品が大きな感動を呼んでいる。タイトルは『老眼になった君へ~愛~』。ハワイアンミュージックの夫婦デュオ「石川優美&Pono Lani」による安らぐボーカルと、優しいギターの音色が心地よいこの歌は、2010年8月15日にインディーズでリリース(初回プレス500枚)され、瞬く間にクチコミで評判が広がった。 NHK「ラジオ深夜便」の“深夜便のうた”で連日放送され、シニア層を中心に大きな話題となっている。11月には、歌を元にした絵本も発売された。 作詞・作曲は、嵐やSMAPなど、ジャニーズを中心に詞を提供し続けている作詞家・相田毅氏(54)。この歌は2009年に、相田氏が夫人・恵美さん(52)のために書き下ろしたプライベートな作品だった。 きっかけは、検眼に行った夫人が、医師に老眼だと告げられたこと。帰宅後、その報告を受けた相田氏が、「夫婦になって、僕らもそんな時を迎えたのだなァ」 と感慨に浸り、歌を作ることを決意した。予備校時代に知り合って結婚してから、24年目の出来事だった。歌を作るにあたって、相田氏は新婚からの日々に思いをめぐらせた。最初は夫人の誕生日に、自宅でささやかに完成披露。夫人は涙ぐんだという。「夫婦の絆」は多くの作品で歌われてきた、永遠のテーマだ。代表的なのは、デューク・エイセスが1963年に歌った名曲『おさななじみ』。幼なじみが大人になって再会して結婚、子供を持ち、親になって老いてゆく一生の物語である。 相田氏はこれに共感しながらも、実は少し違和感を覚えていた。それは歌における「子供」の存在である。「僕たち夫婦には子供がいません。これまでの夫婦愛について歌った曲はほとんど、“子供を含めた家族としての歌”なんです。子供がいないことを表現に組み込んだ作品は見当たらない。ならば僕が作ってしまおう、と思った」 歌う石川氏もこう語る。「実は、私たちも子供のいない夫婦なんです。それで悲しい思いもしました。この曲は1回だけでなく、何回か聴くうち、自分の人生と重ね合わせて感じ取る作品だと思います。この歌が、多くの家族の方に広まっていけば嬉しいです」 メジャー・リリースされたCDは現在5000枚のセールス。特定のアーティストしか売れないCD不況の中、無名のアーティストでこの数字は大健闘といえる。相田氏はいう。「今はもう自分の歌じゃない感があり、里子に出したような感覚。でも、少しでも多くの人に感動を届けることができればと思います」※週刊ポスト2013年12月13日号
2013.12.08 07:00
週刊ポスト
NHK深夜便で紹介『統合失調症の母との歩み』圧倒的共感呼ぶ
NHK深夜便で紹介『統合失調症の母との歩み』圧倒的共感呼ぶ
 明治神宮が朝早く開門するとラジオ体操をする高齢者グループが訪れる。「ラジオ深夜便」を聞いて、終わると外に出てくるというラジオ体操参加者から教えられた「深夜便」で繰り返し放送され、若者からも反響が大きかった『統合失調症の母との歩み』について、作家の山藤章一郎氏が紹介する。 * * * 渋谷〈NHK放送センター〉から歩いて20分ほど。5時40分、明治神宮の代々木門が開く。ほどなく、ラジオ体操・爺さん軍団が10人ほど、鼻息荒く競歩の勢いでやってきた。ついで、婆さん軍団も同じ数集まってくる。〈明治神宮宝物殿〉前。杖をついた爺さんが、ヨイショとベンチに腰かけた。「3時に起きて。やることないの。〈深夜便〉終わる5時、外に出て。まあ掃除でもやるかって。でも、あんた、ホウキって、シャッシャッ、結構、音出て。うるさいっ、近所迷惑だっ。うちの婆さんに叱られて。まあほんと、ラジオ体操ぐらいしかやることないの」 ベンチから立ち上がる。6時30分。宝物殿の受付脇のラジカセから放送が流れてくる。ラジカセは〈明治神宮お早う体操会〉のメンバー会費で買った。♪「腕を前から上にあげて大きく背伸びの運動から」 10月の朝。腕、脚を動かすと汗ばむ陽気である。全国には、約820か所のラジオ体操会場、2800万人の愛好家がいる。ラジオ体操はいまから85年前に始まった。「国民保健体操」と呼ばれたという。歌もつくられた。♪「躍る朝日の光を浴びて まげよ伸ばせよわれらが腕 ラジオはさけぶ一 二 三」 定年から20年経つという爺さんが、意外なことをいいだした。「『ラジオ深夜便』聞いて。ほんとに毎朝、大晦日も元旦も雨が降っても雪が降ってもここへ来て、ちょっとシャキッとすんの。もうなんにも楽しみないからね。そうそうあんた、〈深夜便〉でなんども繰り返し放送された話。あれは泣けた。もういっぺん聞きたいんだけどな」 あとで調べた。4時から放送される「明日へのことば」というコーナーで紹介された話だった。タイトルが『統合失調症の母との歩み』という。 私が2歳のとき母は「発症」した。父は外に女をつくり帰ってこない。娘の私は母の料理をいちど「美味しい」といった。母はそれを8年間毎日つくりつづけ、自分はせんべいだけを食べ、ひたすら煙草をすいつづけていた。 夜は寝ずに闇のなかをのそりのそり歩きまわり、わけの分からないことをぶつぶつ呟く。家は貧しい。中学になって、母が制服をつくってくれた。できあがったのは変なもので、あちこち針が残っていた。学校ですさまじいいじめにあった。踊り場から突き飛ばされた。 転げ落ちて、スカートがめくれ、下着が丸見えになった。落ちた痛みより、そのことが恥ずかしかった。私は、突き落とした5人の男女を階段の下から見上げて、心に決めた。「あいつらより絶対にいい人生を生きてやる」 同時に母への怖れが憎しみに変わった。身なりが貧しいからこんな目に遭う。母を恨んだ。見返してやる職業をめざす。医学部に合格し、精神科医になった。精神科の勉強で、母の病気は〈統合失調症〉だったと知る。 だが同時に思う。目的を達成しても、動機が復讐だと心は救われない。私の過去はボロボロだ。そしていまは孤独。母とはまったく会わなかった。もう1分1秒も生きたくない。2度の自殺をはかる。 助かったが、しょんぼりと生きていた。人にいわれた。お母さんとこのまま会わなかったら、あなた自身が幸せになれない。そうだ、母を見捨てたままでは、自分はどうせろくな人生しか生きられない。札幌の奥の方に住んでいた母親に会いに行く。 母は空港まで迎えに来ていた。1台1台のバスに首を突っ込んで、私の名前を呼びながら探している。「いっちゃん、いっちゃん」その姿が目に飛びこんできて私は驚く。なんてちっちゃくなったんだろう。再会への不安も恨みもすべて消し飛んで私は声をあげた。「お母さん」 ひとり暮らしの家に入ると、あの8年続いた料理が出てきた。母の私への思いは子どものころに止まってしまっていた。 私は50歳を過ぎている。人が回復するのに、締切はない。「もう遅い」といってしまってから、可能性はしぼんでいく。精神科医、夏苅郁子さんの話は、圧倒的な共感を呼んだ。中村プロデューサーも驚いた。「別の枠で再放送したらまた要望があって再々放送。〈深夜便〉だから長いお話を静かにお届けできて。この時は、若い人からも痛切な感銘が寄せられました」※週刊ポスト2013年11月1日号
2013.10.27 07:00
週刊ポスト
リスナー200万「ラジオ深夜便」ゴールデンタイムは朝3~4時
リスナー200万「ラジオ深夜便」ゴールデンタイムは朝3~4時
 ラジオの深夜放送といえば、『オールナイトニッポン』に代表されるように長らく若者向けの放送と考えられていた。ところが、1990年に「ラジオ深夜便」が始まると、高齢者が新たに深夜放送のリスナーに加わった。今では異例の高い聴取率をもつ同番組の制作現場を、作家の山藤章一郎氏が訪れ、報告する。 * * * 渋谷〈NHK放送センター〉の13階〈ラジオセンター〉。学校の職員室ほどの広さが早朝班、夜間班などのシマに分けられ、24時間体制で〈NHKラジオ第1〉を放送する。夜9時20分、いまは静まり返って深夜班の6人しかいない。 フリースペースで元・チーフアナウンサーの迎康子さんがパソコンに向かっている。定年後、シニアスタッフとして『ラジオ深夜便』をアンカーとして支える。「今日のインタビューを忘れないうちに編集しちゃおうって。年取ると忘れっぽいですから」 迎さんなど、実際に放送の最前線に立つ人をアンカーと呼ぶ。深夜11時20分から5時まで、土曜、日曜も欠かさず、14人のアンカーが交替して放送する。主に、以下の構成で成る。〇日本の地方からの話題。〇ポピュラーソングコンサート。〇歌謡曲、おもいでのヒット曲などの再放送。〇人生にチャレンジしている人へのインタビュー。〇海外からの報告、自然観察記、「老後の幸せ」への提言など、放送の引き出しは豊富である。 チーフプロデューサー・中村豊さんのコンセプト。「お目覚めでしたらお付き合いください。眠かったらお寝(や)すみください、のスタンスです」 リスナーは毎晩ほぼ200万人。視聴者事業局への反響は、『あさイチ』『ためしてガッテン』などに続いてNHKテレビ、ラジオ番組の中で、上位10位に入ることも多い。「朝3時から4時、歌謡曲などを流しているときが、聴取者の多いゴールデンタイムです」 11時19分。「そろそろ1分前です。今日もよろしくお願いします」ディレクターが声をかける。ブースの宮川アナが手をあげる。台風のニュースから始まり、11時30分、次のコーナーに続く。「日本列島くらしの便りです」 電話で山中湖村の住民から村のイベント情報が伝えられ、11時58分「今日の日の出時刻をお知らせします」になる。札幌5時42分。仙台5時40分。東京5時43分。以下、那覇6時26分まで、全国11か所の夜明けの時刻を読みあげる。変わらぬ重要なキー放送である。 引き出しには、他に〈アンカー企画〉もある。この日の宮川アンカーは、長く〈のど自慢〉の司会で毎週、旅に出ていた。「もう行ってないところはないぐらい。観光地ではなくこんな素晴らしいところがありますと、旅のディスクジョッキーというかたちで喋ってるんです」 リスナーは60歳以上が相手である。入院中の人もいる。〈ゆったり〉を心がけているという。「現役時代より口調を落としてね。昼間の番組は今に合わせますが、〈深夜便〉は、経てきた時代とキャリアと知識がそのまま出せる。しかも、ダイレクトに聴いてくださる人に届く。アナウンサー生活30数年、OBになって。意義深い番組です」 アンカーは7時にNHKに入る。8時から夕飯。9時半から、選曲担当やディレクターと打ち合わせ。11時にスタジオ入り、朝6時、NHKを出る。※週刊ポスト2013年11月1日号
2013.10.26 16:00
週刊ポスト

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