12月9日、49才の誕生日を迎えられた雅子さまは、『お誕生日に際してのご感想』の文書を発表した。この文書、毎年、『東宮職医師団の見解』とともに発表されるが、2012年は12月7日の午後4時から始まる東宮大夫の定例会見で、記者たちに配布される予定だった。ところが、その発表が直前になって時間変更となってしまった。
「その日、記者たちは、午後4時からの大夫会見に向けて準備していたのですが、午後2時になって宮内庁から、“文書の配布は、午後8時からになります”と、突然に連絡があったそうです。これには、一部の記者から“またか…”という声が上がったようです」(宮内庁関係者)
記者たちの「またか…」という声には、こんな背景がある。2007年12月、雅子さまが44才の誕生日を迎えられたときのことだ。当初は2日前の12月7日に文書が発表される予定だったが、当日の午後3時になって「今日はお渡しできない」と東宮職から伝えられた。結局、その文書が記者たちの手に届けられたのは翌12月8日のことだった。
「このときは、もしかしたら雅子さまのご体調が急に悪くなられたのかもしれないといった、さまざまな憶測が流れました」(前出・宮内庁関係者)
また例年、文書とともに発表される『東宮職医師団の見解』が、2009年には雅子さまの誕生日から2か月も遅れて発表され、大きな波紋を呼んだこともあった。
そんな例があるために、記者たちからは「またか…」という声が上がったのだ。だが、今回の時間変更は、雅子さまの強いご希望からだったという。
「今回は、雅子さまが文章を最後の最後まで練られ、推敲を重ねられたために遅れたようです。ご感想はA4用紙3枚にわたって綴られており、例年に比べると、かなりの長文でした。この12月で療養生活も10年目に入られますから、国民に、現在のご自分のお気持ち、お考えをきちんと伝えたいと願われたのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)
別の宮内庁関係者はこうも言う。
「通常、両陛下へのご挨拶は午前中に行われることが慣例です。今回は午後に挨拶に行かれています。あまりないことですから、“雅子さまは、朝起きられるか不安だったのでは…?”という声が一部から上がっていました」
さらに続ける。
「今回も参内を午後に設定されたことで、“文書では前向きなことを書かれていたけれども、実際、雅子さまの体調はよくないのでは?”といった疑念の声も上がったそうです。
万が一、両陛下をお待たせしておいて、雅子さまが直前になってその時間に行けないということにでもなったら大変なことになりますから、“東宮職は何が起こっても対応できるようにと用心して午後にしたのでは”という声も少なくありませんでした。実際のところは、両陛下のご都合もあって“午後”となったようですが、当日は気をもんだ職員も多かったと思いますよ」(前出・宮内庁関係者)
※女性セブン2012年12月27日・2013年1月1日号