【憲法改正で入り乱れる批判の応酬】
一つ目の憲法改正における対立については、今年1月26日に世界平和を願い踊るために行われたイベント「官邸前DISCO計画」に見られた。官邸前に特設DJブースを設置し、参加者は歌い、踊った。時期が邦人人質事件とも重なっていただけに、集団的自衛権に関連した政権の強気な姿勢が被害を誘発したといった主張も見られた。
社民党前党首の福島みずほ氏も参加し、「官邸前で、歌とダンスで、戦争反対。沖縄の歌もでて、楽しく戦争反対」とツイート。ピンクのマフラーを巻いた福島氏がにこやかに参加者と一緒に写った写真を公開。これが、2ちゃんねるのまとめサイトでは〈「福島みずほが”官邸前でビール片手に歌とダンスで楽しく戦争反対”→「湯川遥菜さんが殺害されたのに…」ネットで大炎上!〉というタイトルになる。そして、福島氏と参加者を叩く意見のみを抽出し、全世論が護憲派を叩いているかのような編集を行うのだ。
護憲派はあくまでも平和のためにやっていると説明するが、改正派(含むリベラル派に嫌悪感を抱く人々)からは、こうした運動を行う人々が沖縄の基地反対運動と同じような人々だと指摘し、「憲法改正反対と米軍基地反対のため、そして安倍政権打倒のために、彼らはなんでも利用する。別に人質を助けたいわけでもない」といった論調で叩く。
これについては評論家の石平氏がこうツイートした。
<日本政府や日本国民に謝意を述べた後藤さんの家族と、後藤さんの家族に謝罪した湯川さんの父親の立派な態度と比べれば、テロリストの暴行を政治的に利用して、日本国内の政権批判や倒閣運動を企む人たちはいかに卑劣なものか。幸い、彼らの目論みは完全に外れたようだ。日本国民は冷静である。>
平和と基地反対を訴える人がいる一方で、「単に騒ぎたいだけ」「単に政権に文句つけたいだけ」という人もいて、まったく両者は交わらない。こうした論争が行われていることについて、当事者はどう考えているのか。基地を擁する沖縄県うるま市在住の主婦・Aさん(30代)は、語る。
「私の周りでは、基地があることに反対している人はあまりいませんが、辺野古移転には反対する人が多いです。私達の世代は、普天間に基地があるのは普通のことで、『そういうもんだな』と思っていました。ただ、辺野古に移すのには反対。理由は、辺野古の自然がキレイだからです。普天間から移設する理由については『市街地にあって危ない』と言われますが、私にとっては基地の周囲なんて通学路だったので、危ないと思ったこともありません。でも、沖縄は観光的にはキレイな海がウリなのに、それをわざわざ壊してどうするの? と思うのです。
普天間基地が移転したとしても、跡地は何になるんですか? せいぜいショッピングモールができたりするだけでしょ? 辺野古だったら、スキューバとか泳ぎに来る人がいっぱいいるから守りたいんです。ただし、周囲の人も、Facebookの友達とかも、反対運動まではしたいとは思っていない。反対運動をする人に対しては『変わった人認定』をされがちです。ただし、親世代は違う考えを持っています。親の世代は、本土の人が嫌い。戦争で負けて、沖縄に全部嫌な部分を押しつけた、本土の人を信用しちゃダメ――といった考えをする人もよくいます」
そして、基地移転反対運動を「本土」のメディアが大きくニュースで扱うことについては「あたかも私達の代弁をしているかのように振る舞っていますが、私のような政治的考え以外の形で基地を捉えている人もいると知ってほしい」と語った。