実際、「ニュースステーション」の久米宏氏や「サンデープロジェクト」(いずれもテレビ朝日系)の田原総一朗氏が政権交代を積極的に支持し、そのため細川連立政権は「田原・久米政権」と呼ばれた。
民主党政権が誕生することになった2009年の総選挙の際も、自民党のベテランに挑戦する民主党の「小沢ガールズ」が好意的に取り上げられた。私は、ローマ時代に円形競技場のなかで繰り広げられた女性剣士が猛獣を倒すショーを想起した。それほどに扱いは一方的だった。
これらのテレビは、明らかに放送法違反だった。少なくともその精神を踏みにじっている。その構造は、実はいまも続いている。その典型がニュース番組のコメンテーターで、「報道ステーション」(テレビ朝日系)、「ニュース23」、「報道特集」、「サンデーモーニング」(いずれもTBS系)などは、出演するコメンテーターがリベラル、左翼系だけということが多い。
逆に、私のような保守系が単独で出演することはほとんどなく、多くはリベラル側のカウンターパートとしての出演である。最近、リベラル側の論客が次々干されていると言われているが、むしろリベラル側の意見だけが偏重されてきたこれまでが異常だったのだ。
その意味で、自民党の「お願い」は「介入」でも「圧力」でもなく、当たり前の意見にすぎない。昨年11月18日、安倍首相はTBSの生放送に出演し、景気回復について否定的な街頭インタビューが多く流されたことに「選んでますね」「おかしい」と発言したことも批判されているが、これもあくまで首相は、事実に基づく公平を求めたに過ぎない。
実はその背後には、一般国民の同様の声がある。以前は「物言わぬ多数」だった一般国民が、インターネット、とりわけSNSの普及によって自らの意見を表明する手段を獲得し、メディアを批判するようになった。メディアが一番恐れているのはそうした一般国民の声であり、それと対峙する勇気はない。だから、メディアに「お願い」する政権を批判しているにすぎない。
※SAPIO2015年5月号