三つ目は、自動運転車が社会に与える多大な影響だ。すべて機械が道交法に従って判断する自動運転車が普及していけば、運転者は自動運転のスイッチさえ押せればよいので、最終的には運転免許が不要になり、原則としてスピード違反も駐車違反も酒気帯び運転も居眠り運転もなくなる。
今は警察が交通違反の反則金を年間約700億円も取り上げて警察OBの天下り先などの利権を確保しているが、それもなくなる。となれば、役所の認可もすんなりとはいかないだろう。
その一方では、誰が事故や安全性に対して責任を持つのか──自動車メーカーなのか、プログラムを開発した会社なのか、購入者や運転者なのか──という問題が出てくる。そして、いずれにしても事故率はプログラムの良し悪しに左右されるので、人間の運転ミスに対して保険を掛けている現在のような自動車保険は要らなくなり、損害保険会社は収入が激減するだろう。
そうした様々な影響を受け入れられるのか? 今は技術的な課題をクリアしていく過程だからニュースにもなるが、実際のドライバーの心理的な問題や社会的なシステムの問題を考えると、自動運転車が広く普及していく絵が、私には描けないのだ。
※週刊ポスト2015年11月27日・12月4日号