律令では立法・司法・行政をつかさどる太政官と並ぶ形で、神祇官が置かれた。皇室の祖神とされる天照大神が祀られている伊勢神宮に神祇官から勅使が遣わされ、皇室と伊勢神宮の関係は不離一体のものとして制度化されることになったのだ。『日本書紀』『古事記』が編纂されたのもこの時期であり、神話の神と皇統が結びつけられた。
その関係は朝廷の力が衰えた武家政治の時代にも細々と続いたが、それを強力に復活させたのは明治維新期の王政復古であり、明治期以降日本は再び神道を国家の基礎に据えたのである。
敗戦後間もない1945年12月、政教分離を徹底しようとするGHQは「神道指令」を出す。神祇院は廃止され、公的に国家と神社との結びつきが絶たれた逆風の中で、神社関係者や関連団体によって設立されたのが宗教法人・神社本庁だった。
政教分離を求められたところで、皇室と伊勢神宮は切っても切れない関係にある。GHQとしても「信教の自由」を掲げる以上、配慮しないわけにはいかず、「国家神道は廃絶すべきだが、宗教法人化された伊勢神宮にはあまりうるさく容喙しない」という方針をとった。
それでも日本の神社関係者は、国家神道の復活を危険視するGHQを意識せざるを得なかった。伊勢神宮の祭主には明治以来、男性皇族が就く伝統があった。しかしそれでは戦前のイメージが残っていると見られると危惧し、改める必要があった。
そこで女性皇族が祭主に就くことになったのだ。その女性初の祭主になったのが前述の通り北白川房子さんだった。戦後の祭主を皇族出身の女性が務めているのはこのようないきさつがあったからである。
※SAPIO2016年11月号