韓国には外国から「ウリジナル」と揶揄されるとんでもない「文化」がある。空手であろうが生け花であろうが中国の儒教であろうがどんなものでも韓国が発祥の地であるという韓国起源説だ。
まずは冷静に考えて欲しい。こんなことを主張している国は世界の中で他にあるかということだ。確かに個々の事物あるいは文化について「それはわが国が発祥だ」と言い争っている国々はある。しかし、すべてのものが自分の国の発祥だと言っている国家は韓国以外には無い。あの、自分の国が世界の中心だという中華思想の本家本元中国ですら、そんなことは主張していない。つまり、これは韓国人だけの発想だということにまず気がついて欲しい。
では、これは正しい主張なのか? 韓国人は当然正しいと主張する。多くの外国人はそこで「そんなバカな」と笑い出すだろうが、ここで論理的に彼ら韓国人の主張が正しいと仮定してみよう。
そうすると、すべてのオリジナルなものは韓国人の発見および発明ということになる。
一方、ノーベル賞というものの本質は何かと考えてみれば、特に自然科学の分野におけるノーベル賞というのは、オリジナリティーの極致であると言える。これは誰しも異論が無いはずだ。すると、韓国人のオリジナリティーを生み出す能力が、その主張どおり人類最高だとしたら、当然韓国人から自然科学の分野におけるノーベル賞の受賞者が輩出、いや韓国人で独占しても不思議はないはずだ。論理的にはそうなるはずである。
しかし、そうではない。実際は輩出、独占どころか2016年の時点で韓国人の受賞者は一人もいない。ということは大前提とした「すべては韓国発祥である=韓国人のオリジナリティー創作能力は人類最高」という仮説が間違っていたということだ。
むしろ一人もいないのだから仮説とは真逆の「韓国発祥のものはほとんど無い=韓国人のオリジナリティー創作能力は人類最低」というのが真実であるか、少なくとも真実に近い、ということなのである。
ここで、そんなことは絶対に認めないと叫んで、冷静な議論が耳に入らなくなるようでは、韓国人は永遠に朱子学の悪影響を脱することはできない。そう叫ぶこと自体、じつは朱子学の毒に冒されているのである。
※週刊ポスト2017年1月13・20日号