しかしすぐに母の知るところとなり、「高校生のくせに!」と半狂乱で私の髪をつかんで大騒ぎ。それでも私が「絶対に別れない」と言うと今度は、「教え子に手を出すとはとんでもない教師だ」と、学校に乗りこんで彼の懲戒解雇を求め、すったもんだの末、彼は高校教師を辞めました。
学校は、私のことも不純異性交遊で退学させるつもりだったようですが、「うちの娘は悪くない」と母が聞き入れず、そのうち学校も体面を気にしたのでしょう。私はいっさいのおとがめなしで、付属大学に入学できました。
母は彼との交際にはずっと反対していましたが、それも彼がアルバイトをしながら公認会計士の試験に受かるまで。
結婚したのは私が大学2年の時。卒業式の2日後、私は長男を出産しました。その直後、夫は会計事務所を開業。人件費などかけられないので、私は息子をおんぶしながら夫の仕事を手伝いました。
3年後に長女が生まれると、長男を3年保育の幼稚園に預け、そのまま長女をおぶって事務所へ。家事と育児と夫の事務所の雑事で寝る時間もありません。
それでも、夫から見たら私は自分の指示で動く生徒だったのでしょう。それは、夫の普通でない怒り方と金銭感覚に表れるようになりました。
◆買ったばかりの新車をぶつけた私を怒り、廃車にするまで滅多打ち
こんなことがありました。事務所のクライアントさんのおつきあいで車を買う約束をしたものの、夫は運転をしません。「お前が免許を取れ」と言い出し、私が車で夫や子供の送り迎えをすることに。
そんなある時、免許取りたての私は、車庫入れの時に車をぶつけてしまいました。夫に伝えたら激怒するのはわかっていたけど、修理をしないわけにもいきません。ビクビクしながら伝えると、いきなりでした。
バットを持って車庫に行き、「こんなものがあるからだ」と怒鳴りながら、バットを思い切り車に振り下ろしました。フロントガラスは割れて、車体はボコボコ。車を廃車にするまで、夫の怒りは止まりませんでした。
これを境に、夫は怒りで見境がつかなくなることを、自分に許したのか、私にも暴力を振るい出しました。
理由は、朝、「おはよう」というタイミングが悪い。コーヒーがぬるい。トーストがこげた。生活のあらゆる場面で夫は「何度言わせるんだ!」と怒鳴り、それは日に日にエスカレートしていきました。
ある日、私が、「私だって仕事をしている」と口答えをしたことがよほど癇かんに障さわったのでしょう。こめかみを殴られて脳震とうを起こし、救急車で運ばれました。