当時の日本の基幹産業は繊維産業であり、米国に「1ドル・ブラウス」と呼ばれる安い綿製品を大量に輸出していた。ニクソンは日本に輸出規制を要求。通商法発動による輸入禁止をちらつかされ、日本政府は米国への繊維輸出を大幅に規制、繊維産業は壊滅的打撃を受けた。
それと引き替えに佐藤首相はニクソンから沖縄返還の合意を取り付けたのである。さらに沖縄返還にあたっては、日本政府が本来なら米軍が沖縄の地権者に払うべき基地の原状回復費用などまで負担するという日米密約が交わされていたことが後に判明した。
ロン・ヤス以来の日米蜜月と呼ばれたのが13回の首脳会談を行なった小泉純一郎首相とブッシュ(子)大統領との関係だが、小泉首相が電撃的な北朝鮮訪問(2002年)を発表すると、北朝鮮を「悪の枢軸」と批判していたブッシュの逆鱗に触れた。
ブッシュは訪朝直前だった小泉をニューヨークに呼びつけ、首脳会談(2002年9月12日)で「金正日はウラン濃縮計画を進めている」とクギを刺した。その5日後、小泉首相は北朝鮮を訪問して金正日と会談、日朝平壌宣言をまとめて拉致被害者5人を連れて帰国する。
ブッシュ政権は日朝接近をぶち壊しに動き、同年10月、「北朝鮮がウラン濃縮計画推進」という情報を公表して金正日を追い込み、日朝平壌宣言は事実上、空文化していった。外務省国際情報局長などを歴任した外交評論家・孫崎享氏はこう語る。
「小泉首相はその後、米国のイラク攻撃にいち早く支持を表明し、自衛隊をイラクに派遣して日米同盟を強化したと言われるが、北朝鮮外交で米国の虎の尾を踏んだことで煮え湯を飲まされた結果、対米従属外交に傾倒せざるを得なくなった」
戦後70年間、日米首脳会談の実相は米国大統領がヘゲモニーを振りかざし、「NOと言えない」日本の首相が要求を丸呑みするセレモニーなのである。安倍首相もまた、その屈辱を甘んじて受け入れてしまうのか。(文中一部敬称略)
※週刊ポスト2017年2月17日号