「あのデビュー時があったからこそ、伊藤智仁が世に出たのは間違いない。あそこで壊れたとは思っていない。あいつのせいとか、誰かのせいとか考えたことはない」
当時、野村監督の酷使が批判の対象となり、後年野村自身も雑誌、書物等で「伊藤を壊したのは自分だ、申し訳ない」といった記述をしている。その野村から直接、謝罪のような言葉はあったのだろうか。
「別にそんなのはないですね。酷使がどうこうとか気にしてない。元々の僕のフィジカルな問題だったし、温存して使われてもいずれそうなったのかもしれないし……、結局どうなったのかわからないですけど、いいところで使ってくれたのは嬉しいことです。
野村さんとは、球場に来たら挨拶はします。特別プライベートでは仲良くないですけど(笑い)」
伊藤はおどけたようにニヤッと、意味深な笑いを周囲に振り撒いた。
●いとう・ともひと/1970年、京都府生まれ。花園高から三菱自動車京都を経て1992年ドラフト1位でヤクルトに入団。1993年は前半戦だけで7勝2敗、防御率0.91の成績で、松井秀喜(巨人)を抑え新人王受賞。その後、怪我に悩まされるが1997年に7勝2敗19セーブでカムバック賞受賞。2003年に現役引退。リハビリ期間を抜いた実働7年で生涯成績は37勝27敗25セーブ、防御率2.31。2004年よりヤクルト二軍投手コーチに就任し、2008年より一軍投手コーチとして2015年のリーグ優勝にも貢献。
撮影■桜井哲也 取材・文■松永多佳倫
※週刊ポスト2017年3月3日号