◆各国首脳夫人を思い一念発起
家の内でも外でもプレッシャーにさらされていた昭恵さんだったが、2007年9月、さらなるどん底に落ちる。夫が首相在任1年で退陣した時のことだった。昭恵さんは女性セブンにこう振り返っている。
《急にすべての風向きが変わってしまった感じでした。すっかり落ち込んで、精神的にどん底状態。家を出ることすらできなくなり、食べてはゴロゴロする生活で太ってしまい、体調も本当に悪くなりました》
そんな時、思い浮かべたのは各国の首脳夫人たちだった。「肩書に圧倒された」経験から、2011年、立教大学大学院に入学。学生は20代から70代まで年齢も職業も幅広く、そこでの学びと出会いが彼女を劇的に変えた。昭恵さんはこうも語っている。
《以前は主人の言っていることがすべて正しいと思っていたんですが、対極の考え方もあって、それはそれでアリなんだということがわかりました》
夫の考えを黙って受け入れるだけでなく、時には真っ向から反対意見を述べる。2012年12月に夫が首相に就任して再びファーストレディーになったのち、昭恵さんは「家庭内野党」を宣言し、「原発の再稼働反対」「TPP反対」など、安倍首相とは違った見解を声高に打ち出す。周囲から「夫の足を引っ張ってどうする」と批判されても、自分のスタイルを貫くようになった。
昭恵さんの大学院の修士論文は「ミャンマーの寺子屋教育と社会生活-NGOの寺子屋教育支援」だった。全国紙政治部記者はこう語る。
「昭恵さんが外遊に出かけたとき、教育施設や貧困地域に足を運ぶのは大学院で学んだ影響から。自分が得意とするライフワークは教育や若者の支援と見定めたんです。森友学園の幼稚園で講演したり、小学校の名誉校長になったのもそうした背景からです」
跡継ぎを産めなかったという葛藤も吹っ切れる。昭恵さんはあるインタビューで明確にこう話している。
「政治家の一族だから後を継がなきゃいけない、地盤を継がなくてはいけないというものでもない。本当に国を思い、志を持っている人ならば、自然と選挙で出てくる」
もう“ゴッドマザー”洋子さんの視線も気にしない、ということなのだろう。2012年10月、昭恵さんがオーナーとして東京・神田にオープンした居酒屋「UZU」も、象徴的だ。
「安倍首相と洋子さんは居酒屋に反対でしたが、昭恵さんは“夫の耳に入らない市民の本音を聞き出したい”と強引に押し切りました」(前出・記者)
彼女が深めた自信と独立心。ただ、周囲から暴走といわれても、ブレーキをかけることはなかった。
※女性セブン2017年3月23日号