◆歴史に残る怪著
私はこうしたトンデモ名古屋論の横行を折にふれ新聞や雑誌で批判してきた。これをまとめた『真実の名古屋論』も上梓したばかりだ。しかし、モグラ叩きのように、次々に新手が現れる。その上、マスコミもこうしたトンデモ説を喜んで取り上げる。私には知的荒廃の露頭のように思える。
トンデモ名古屋論をまきちらしている代表が「県民性評論家」を名乗る岩中祥史である。県民性評論家というのも珍しい肩書きだが、岩中にはもう一つ珍しい肩書きがある。「出版プロデューサー」だ。編集プロダクションの社長という意味らしい。これは大手出版社の外注で編集の下請けをする会社のことで、出版界では通常「編プロ」と略称する。岩中の肩書きは、大手自動車会社の下請けの町工場社長が「自動車プロデューサー」と名乗るようなものだ。歪んだ虚栄心、自己顕示欲が感じられる。
岩中祥史には、名古屋本が十冊ほどある。どれも無知と曲解に満ちているが、『中国人と名古屋人』がとりわけひどい。この本は歴史に残る怪著だと思う。
この本のサブタイトルは「内村鑑三はなぜ、中国人と名古屋人を並べてこきおろしたのか!?」である。
明治・大正期のキリスト教思想家であった内村鑑三に「余の見たる信州人」という小文がある。内村は、信州人(長野県人)は頑固で不器用で純朴である、と言う。こういう人間こそ「明治の偽善政府の治下にありて望みを嘱する」に値いする。一方、小賢しい人間は「救済の希望絶無」である。それは中国人や名古屋人であり、この人たちは「絶望の淵に瀕するなり」と批判する。
これを読んで、自身名古屋出身者である岩中祥史は思うところがあった。そうだ、確かに、中国人と名古屋人は小賢しく、両者はそっくりだ。両者を並べてみれば、また新しい名古屋本が書ける、と。