「小学生の頃、夏休みのたびに連れて行ってもらった、親父の地元の横浜『野毛山公園』にあるゴーカートが、自分の原点なんです。住んでいた気仙沼(宮城)には遊園地がなかったから、すごくびっくりした。親父に『今年もあそこに連れて行って!』とよくねだっていました。66才の今でも、当時の高揚感が鮮明に思い出されます。あそこのゴーカートは私の中で『憧れ』や『都会』の象徴でした」
栃木県在住の60代男性は、こんな思い出を語る。
「子供たちに楽しい思い出を作ってやりたい一心で、仕事で疲れた体を奮い立たせて、近くの『小山ゆうえんち』によく行ったものでした。ひととおり遊んでお腹が空くと、いつもみんなで屋台の大きな肉まんを頬張った。お化け屋敷で子供が泣いてしまったり、当時流れていたCMの桜金造さんのモノマネをしてみんなで大笑いしたりした。家族の楽しかった思い出は全部、小山ゆうえんちに詰まっています」
1980年代にアイドルとして活躍した芳本美代子(48才)は、遊園地を「アイドルの登竜門だった」と振り返る。
「MCとして出演していた1989年の『アイドル共和国』は毎回、西武園ゆうえんちで収録されていたんです。デビュー前のSMAPがレギュラーとして出演していて、今思えばすごく豪華な番組だった。ライブハウスやコンサート会場と違って、遊園地のステージは客席との距離が近く、お客さんの顔がはっきり見えました。『あの人、前も来てくれた人だ』と気づいたり、歌詞を忘れたときにお客さんが助け船を出してくれたり、ファンのかたと近くで触れ合えるのが、うれしかったですね」
※女性セブン2018年1月1日号