時あたかも、佐賀の乱に始まり、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱と、維新によって特権を剥奪された士族が各地で反乱を起こしていた。明治政府が勢力を増大させた私学校を警戒し、動向を探ろうとすると、私学校の急進的な若者らが激昂し、政府側の火薬庫を襲った。それを知った西郷は「おはんら(お前ら)何たることをしでかしたか」と漏らしたという。私の想像だが、西郷は、挙兵しても政府軍に勝てるとは思っていなかったのではないか。だが、若者らの思いを考えると、引くに引けず、行動を起こさざるを得なかったのだろう。明治10(1877)年2月、こうして西南戦争の火蓋が切られた。
西郷軍は3万余り。北上して熊本鎮台(軍政機関)のある熊本城を攻めるが落とせず、田原坂での激戦の末、敗走を余儀なくされ、鹿児島城下を見晴らす城山に籠もる。囲む政府軍は5万人、籠もる西郷軍は300人。西郷は故郷に死に場所を求めたに違いない。9月24日、猛攻撃を受けて腰に2発の銃弾を浴びた西郷は「もうここらでよか」と配下の者に声を掛け、介錯を命じて49歳の生涯を閉じた。西郷らしい最期だと思う。
西郷は維新の大立者でありながら、新政府内に自ら地位を求めず、請われて要職についても恋々とせず、野に下った。死を前にしてもあがかず、運命を受け入れた。大人を思わせる風貌と相まって、そうした潔さが西郷の魅力のひとつである。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也」
西郷が残した有名な言葉だ。そういう人物こそが人の上に立ち、大きな仕事を成し遂げられる、という意味が込められている。西郷は失敗というか、思うようには結果が出ないことが多い人だった。でも、誠実に生きた。そのことが人々の心の琴線に触れるのだと私は思う。西郷と対極の生き方が当たり前になってしまった今の時代にこそ、西郷は求められるのではないだろうか。(松平氏・談)
【プロフィール】まつだいら・さだとも/1944年生まれ。早稲田大学卒業後、NHK入局。『NHKニュース7』『その時歴史が動いた』など数々の看板番組を担当。2007年にNHKを退局し、現在は京都造形芸術大学教授などを務める。武将の智略について考察した『謀る力』(小学館新書)など歴史についての著書多数。
◆撮影/太田真三
※週刊ポスト2018年1月1・5日号