──小学校の先生の経験が、高校野球の監督として活きていることは?
森林監督:1日の中で小学生と高校生を同時に見ている人はあまりいないだろうと思っています。大人の世界から見ると、やはり高校生は子供に見えるのかもしれませんが、小学生を見てから、高校生を見ると立派だなと思います。高校生になると体格は大人顔負けで、知能も大人にほぼ近いところまでいっていて、計画性や意思の強さや論理性なども大人と同じようなことが出来ます。
その一方で、試合中も小学生レベルのミスをしたり、ルールを破って叱られたり、高校生って大人だなと思う部分と小学生と大して変わらない部分が感じられます。要するに高校生がいかに大人と子供の中間をさまよっているかが凄く分かります。
両方見られるから、小学生と大人の間に高校生がいて、高校生の立ち位置みたいなものが見えますし、それが小学生レベルに見える場合もあるし、大人に見える場合もあります。高校生の不安定さがよく分かります。つまり、一人の高校生の中に、大人の部分もあれば小学生の部分も混在していることが見えてきます
──監督就任3年目で甲子園という成果が出ました。
森林監督:計画を立てたら、ある程度計画的にやれる意思の力と論理的に考えられる力。そういう大人と同じような部分の良さも引き出す一方で、何でも一生懸命にあきらめないでやる小学生のような良さ。大人と小学生の両方の良さを引き出すことで、もの凄い力が出て来るのではないかと感じています。
私は両方を求めているので、「冷静と情熱を両立しなさい」という話しもよくしています。これがある程度できたらうちのチームの強みになります。東海大相模や横浜に勝とうと思ったら、同じ野球の土俵でやっても仕方ありません。純粋に速い球を投げる、遠くまで飛ばす、足が速いことだけでは、うちがそう簡単に上回るという状況は来ません。相手をどう上回っていくかを考えた時、ちょっと違うアプローチというか、うちはここが強みというところに持っていかないといけない。これが「慶應の強み」というように本人たちが思ってくれれば、だいぶ変わってくるのかなと思います。
──監督と言うよりも、経営者目線ですね。
森林監督:慶應の使命感として、今までの高校野球と違う価値観や違うスタイルを世の中に提示していけたらという野望があります。皆さんが描いている高校野球の坊主頭で全力疾走、汗と涙だけではなくて、違うスタイルでもこうやって勝てるんだぞとか、こういうスタイルはどうだろうとか、というスタイルを野球界に対して提示していきたいと思っています。
──福澤諭吉の教えが野球部に与える影響は?
森林監督:福澤先生の「独立自尊」を野球部の中で考えると、練習のメニューの大枠が決まっていても、その中で自分がどんな課題をどこにポイントを置いてやってみようかなど、グラウンドで一人一人が考える要素を持つことを体現してみようというところだと思います。いかに独立した人間、自立した人間を作っていくかが学校としての使命だと思っていますし、選手にもそれは求めています。彼らには野球を通じて自立した人間になってもらいたいです。
──目指している監督像は?
森林監督:私のテーマは、自分で考えるということです。私が先頭に立って組織を引っ張ったり、カリスマ指導者になりたいとも思っていません。どちらかというと、今流行りのドローンのように、後ろや斜めからチームを見ているような視点でやりたいなと思っています。慶應は監督の顔が思い浮かぶようなチームではなくていいと思っています。私が練習に居てもいなくても同じように練習が回って欲しいし、一人一人が自分で考えて行動をして、自立して欲しいです。