チームメイトが見舞いに来ることが励みになり、「誰かが来てくれると時間が経つのが早かった」と岩下氏は振り返る。幸いなことに治療は順調に進み、同年11月に退院することができた。
「入院中は、ガリガリになると体重を戻すのが大変だと思ったので、副作用で吐き気がするなかで一度も食事を戻しませんでした。我慢していた。妻にいろんなものを差し入れしてもらい、退院した時に体重が10キロ増えていましたね。病院の先生や看護師から“太って退院していく人は初めてみた”といわれました。歩けるときは歩くようにしていましたが、それでも退院した時は足が細くなっていましたね。
退院後はすぐにトレーニングを始めました。球団からは“焦らずにやってください”といわれていたし、チームメイトからも“あまり無理しないほうがいい”とか“焦りは禁物”と声を掛けられましたが、そんな悠長なことはいってられなかった。プロの世界は、病人だからと優遇されるような世界じゃないですから。退院直後は1時間ほど歩いたり、エアロバイクで運動する程度でしたが、1か月後には軽いキャッチボールができるようになりました」
正月返上で自主トレし、春季キャンプで復帰。教育リーグでの登板を経て、開幕一軍の切符を手に入れる。さらに、開幕戦では3番手で復帰登板を果たしたのである。
「開幕戦後の囲み取材で、記者の人たちには 『“復活”と書いてください。“奇跡”というような書き方だけはしないでください』とお願いしました。奇跡は誰もが無理と思ったことが起きた時に使う言葉であって、僕は病気が治ると思っていたし、野球もできると思っていましたから。これは体験した者でないとわからない気持ちだと思います」
岩下氏は計6シーズンをオリックスで過ごし、2005年オフに戦力外通告を受けるが、白血病を克服した精神力をヒルマン監督(当時)から評価されて日本ハムにテスト入団した。