白血病一覧

【白血病】に関するニュースを集めたページです。

「CAR-T細胞療法」で命を救われたエミリー・ホワイトヘッドさん(本人のTwitterより)
がん治療「CAR-T細胞療法」白血病の少女が10年後も寛解維持した例も
 がん治療法は長年にわたって手術、抗がん剤、放射線の「3大療法」が標準とされてきたが、それが大きな変革の時を迎えている。新たな治療法の登場により、これまで3大療法では命が救えなかった症例に光が差している。 そのひとつが2019年に日本で治療薬(キムリア)が承認された「CAR-T細胞療法」だ。がん細胞を攻撃する免疫細胞で中心的役割を果たす「T細胞」の働きを“増強”することで効果を発揮する。毎日新聞医療プレミア編集長で『がん治療の現在』の著書がある永山悦子氏はこう話す。「CAR-T細胞は一部の血液がんの治療薬として2017年に米国で実用化されました。これまで治療が進まず命を救えなかった種類のがん患者が長生きできるようになり、医師たちは『驚異的な効果だ』と口を揃えています」 どのような薬なのか。『親子で考える「がん」予習ノート』の著者で国際医療福祉大学病院教授の一石英一郎医師が説明する。「CAR-T細胞療法は、患者さんから採取した血液に含まれる『T細胞』という免疫細胞の遺伝子を改変し、がんへの攻撃力を高めて、体内に戻す免疫療法です」 2007年以降、米国を中心に臨床試験が始まり、現在は臨床の現場で使われている。この治療法が一躍世界に知られることになったのが、2012年に実施された臨床試験だった。米国人女性エミリー・ホワイトヘッドさん(当時7歳)の命が救われた。「急性リンパ性白血病で、抗がん剤も効かず骨髄移植もできなかったエミリーさんにCAR-T細胞療法を施すと、がんが消えたのです。エミリーさんは毎年、『がんから解放されて○年!』と書いたボードを手にした写真をSNSに投稿して、関係者から注目されています。2021年5月には『9年』の写真を公開しました」(永山氏) 同療法をめぐっては、最近も成果が発表された。「英科学誌『ネイチャー』に今年2月に掲載された米ペンシルベニア大学の研究チームの論文によると、2010年の臨床試験でCAR-T細胞療法を受けた再発性・難治性の白血病患者2人が、10年経った今も寛解を維持しているそうです。この症例報告はがんに打ち克ったと読める。革命的なことだと思います」(一石医師) 一方、「血液がん」の治療薬として実用化されたCAR-T細胞療法は、肺がんや胃がんなど臓器にできる「固形がん」への応用が今後の課題とされており、国内でも多くの研究者が心血を注いでいるという。 近い将来、より多くの命が救われることになるのかもしれない。※週刊ポスト2022年3月18・25日号
2022.03.09 16:00
週刊ポスト
「池江璃花子の涙に感動」六代目山口組が機関誌で綴った熱い思い
「池江璃花子の涙に感動」六代目山口組が機関誌で綴った熱い思い
 六代目山口組総本部が年3回発行する機関紙『山口組新報』の最新号が傘下組織に配布された。巻頭には幹部の一言が掲載されるなど山口組の最新情勢を知ることができる資料として警察関係者の間では注目されているが、幹部の旅行手記や、俳句、川柳などのコラムもあり、組員の素顔が窺える一面もある。 最新号には編集部名義のコラムとして、東京五輪の感想が掲載されている。多くの日本人金メダリスト誕生に沸いた東京五輪だったが、分裂抗争中の六代目山口組組員たちもアスリートたちの姿に興奮したようで、〈最高のパフォーマンスで演技する選手には心からエールを送った〉〈日本を代表する若者の活躍で、数々のドラマが生まれ私は感動させられた〉と熱いコメントがズラリ。 記憶に残った競技として〈宿敵アメリカや韓国を破り全勝で金メダルを勝ち取った侍達〉と、野球の侍ジャパンを筆頭に、〈金メダルをもぎ取った卓球男女ダブルスペア〉、〈同日優勝柔道兄妹〉と選手名こそあげないものの、2週間、熱心に観戦していたことが見受けられる。 そんな組員たちの胸をもっとも打ったのは水泳の池江璃花子の復活だったようだ。〈白血病を患い、過酷な闘病生活からの復活を遂げた女子水泳選手〉として、池江の幼少期からの経歴を丁寧に掲載している。2019年2月に池江がSNSで白血病を公表し、そこから懸命の努力で競技の場に戻ったことには〈その屈強なる精神を私たち日本人は見習わなければならない〉と、敬意を示している。  池江は8月1日の女子400メートルメドレーリレーの決勝後、「一度は諦めかけた東京オリンピックだったけど、リレーメンバーとして決勝の舞台で泳ぐことができてすごく幸せだなと思った」と涙をにじませながら胸中を語った。この姿には組員たちも胸を打たれたようで〈結果はどうであれ今大会で見せた彼女の涙は決して理解出来る代物ではない。創造(原文ママ)を絶する程深いのだ〉と絶賛している。 記事の最後は3年後のパリ五輪でのメダル獲得を願って〈どうか頑張って欲しいと心から願う〉と結ばれている。  六代目山口組の組員からの熱いメッセージに当の池江は困惑するかもしれないが、パリ五輪でも強力な応援が繰り広げられることだろう。
2021.09.22 07:00
NEWSポストセブン
池江璃花子選手 重症化リスクを乗り越え五輪出場、希望のスタート台へ
池江璃花子選手 重症化リスクを乗り越え五輪出場、希望のスタート台へ
 白血病を短期間で克服し、ついに不可能と言われていた東京五輪出場まで実現。池江璃花子選手は、いまや日本中に勇気を与える存在となった。だが、その彼女がひとり不安の中で闘っていることを我々は知らない。「生きててよかったと素直に思います」 7月4日、この日21才の誕生日を迎えた池江璃花子選手は喜びをこう表現した。池江選手は400mリレーの五輪代表チームの一員として、神奈川県相模原市で行われた記録会に出場。非五輪種目の200mリレーで、チームは日本新記録を樹立した。池江選手は第2泳者として出場し、快挙に貢献している。 チームが東京五輪に向けて弾みをつけた一方で、池江選手は人一倍大きなリスクを抱えながら本番を迎えようとしている。要因はいまだ収束の見えない、新型コロナウイルスだ。 6月28日、日本オリンピック委員会の山下泰裕会長(64才)は、会見で「日本の選手、候補選手たちのワクチン接種に関しては、95%くらいがすでに1回目のワクチンを打っている。95%はかなり高い数字」と強調した。ワクチンは感染予防の安心材料ともいえるが、池江選手には当てはまらない可能性があるのだ。 池江選手の白血病が発覚したのは2019年2月のことだった。「入院生活は当初の予定よりも長引き、約10か月に及びました。抗がん剤治療による抜け毛や吐き気にも苦しめられ、体重は入院前より15kgも落ちたそうです」(スポーツジャーナリスト) その苦しみは、池江選手がのちにテレビ番組で、「(当時は)死んだ方がいいんじゃないかって思っちゃったときもありました」と語ったほどだ。2019年12月に退院するも、競技復帰など考えられる状況ではなかった。「昨年3月、池江さんは406日ぶりにプールに入ることができました。しかし最初は水に顔をつけることも許されない状態からのスタートでした。そればかりか、ほんの少しの練習ですぐに息苦しくなってしまい、再起への道のりはなかなか順調には進まなかったようです」(前出・スポーツジャーナリスト) そこに追い打ちをかけたのが、新型コロナの感染拡大だ。昨年4月から5月にかけて緊急事態宣言が発出され、その間は感染リスクを考慮して、再びプールから離れざるを得なかった。 しかし、度重なる困難も彼女は凄絶な努力で乗り越えた。昨年8月に約1年7か月ぶりにレース復帰すると、次々に好成績を記録していく。そして今年4月4日、東京五輪代表選考会を兼ねた日本選手権で見事優勝を果たし、五輪代表(リレーメンバー)の切符を勝ち取ったのだ。池江選手の復活劇は「奇跡」と称され、日本はもとより、世界中に大きな感動をもたらした。血液がん患者は50%しか抗体ができない そもそも池江選手は東京五輪を諦め、2024年のパリ五輪に照準を定めたはずだった。それが新型コロナの影響で東京五輪が延期。その結果、なんとか出場に間に合った。そうした経緯もあり、池江選手は以前にも増して東京五輪の象徴的存在と見られるように。感染拡大が収まらない中での五輪開催をめぐり、世間で「中止論」が取り沙汰されると、池江選手のSNSには「五輪を辞退してほしい」「反対の声を上げてほしい」といった声が寄せられた。 それを受け池江選手は5月7日、自身のツイッターを更新し《私に反対の声を求めても、私は何も変えることができません。ただ今やるべきことを全うし、応援していただいている方達の期待に応えたい一心で、日々の練習をしています》と反応している。そしてこの投稿の中で、《持病を持ってる私も、開催され無くても今、目の前にある重症化リスクに日々不安な生活も送っています》と、新型コロナに対する不安な胸の内も明かしたのだ。 池江選手は、持病、つまり白血病を克服したと思われているが、この告白で、彼女が日々恐怖と闘っていることが明らかになった。医療ガバナンス研究所理事長で、血液・腫瘍内科が専門の上昌広さんが言う。「新型コロナワクチンを接種して体内に『抗体』を作るためには、白血球の一部である『リンパ球』の働きが必要です。しかし白血病などの血液がんの患者は、白血球に異常が起きていてリンパ球が正常に働かない。そのため、抗体が産生されにくくなります。 ファイザー社製ワクチンに関する報告によれば、『健康的な成人は2回の接種を終えれば95%の感染を予防する』というデータがありますが、がん患者ではそうはいきません。特に、免疫力が低下する血液がんの患者の場合は、その傾向が顕著です。2回打っても半数くらいしか抗体が産生されないでしょう」 退院時のマネジメント事務所の報告によれば、池江選手は入院中に合併症を併発し、化学療法の継続が困難になったことで2019年夏、骨髄移植などに代表される「造血幹細胞移植」を行っている。その後、同年12月の退院時には「寛解」したとされている。 寛解とは、骨髄の中の白血病細胞が5%未満の状態のことを指し、「治癒」とは意味合いが異なる。検査では見つからずとも、白血病細胞が残存している可能性がある状態を指している。「寛解したとしても、まだ2年程度しか経っておらず、白血球の状態は不安定といえます。そのため、抗体が産生されにくい状態に変わりはありません。 池江選手のように造血幹細胞移植を行った患者さんの中には、術後数年間は、移植した細胞が体を攻撃する、GVHD(移植片対宿主病)という合併症を発症するケースもあります。それらを抑えるために、ステロイドなどの免疫抑制剤が投与されます。そうすると免疫不全の状態になるので、ワクチンを接種しても抗体はできにくくなります」(前出・上さん) たとえ抗体が産生されたとしても、不安は残る。「ワクチンの接種は抗体によって感染を防止すると同時に、感染した後の重症化を防ぐ目的もあります。しかし白血病患者の場合は抗体ができたとしても、その働きも弱い可能性があり、健康なかたほどの効果は望めない場合もあります。つまり、健康な人よりも新型コロナにかかった際に、重症化しやすいリスクを抱えているといえます」(前出・上さん) 池江選手のワクチン接種に関し、マネジメント事務所は「お答えすることはできません」とのことだったが、自らのSNSで重症化に関する不安を打ち明けたのには、こうした背景もあるのだろう。それでも彼女は、前だけを見続けてきた。「池江さんはトレーニングを続ける中で、一時は『誰かのために泳ぐのではなく、自分が楽しいから泳ごう』という考えを抱いたことがありました。ですが、自分の泳ぎが周囲への恩返しになり、『コロナ禍で閉塞感が漂う日本を元気にできるのではないか』という気持ちもあるんです。 五輪期間中は海外からも多くの選手団や関係者が来日します。当然、感染リスクは高くなる。池江さんは人一倍、感染対策に気を配りながら、競技に挑まなければいけません。東京五輪はまさに“命がけ”ともいえるのです」(前出・スポーツジャーナリスト) 競技の初日は7月24日、池江選手は困難を乗り越えてスタート台に立つ。※女性セブン2021年7月22日号
2021.07.11 16:00
女性セブン
池江璃花子、奇跡の780日 驚異の回復へと導いた母の「魔法の言葉」
池江璃花子、奇跡の780日 驚異の回復へと導いた母の「魔法の言葉」
 白血病という大病を乗り越えて掴んだ五輪切符。彼女の“偉業”は、日本のみならず、海外でも大々的に報じられている。彼女が起こした奇跡をひもとくと、その裏には彼女自身の想像を絶する努力、そして最愛の家族の存在があった──。 こんなにも早い復活を、誰が予想しただろうか──。白血病から復帰した池江璃花子選手(20才)が、4月4日、東京五輪代表選考会を兼ねた、日本選手権の女子100mバタフライで優勝。日本水泳連盟が定める400mメドレーリレーの選考基準(派遣標準記録)をもクリアし、リレーメンバーとして東京五輪代表に内定した。さらに8日には100m自由形も制し、400mリレーの内定を獲得している。 池江選手が白血病を公表したのは、2019年の2月12日。わずか780日ほどでの歓喜に、ナビタスクリニック理事長で血液専門医の久住英二さんは「奇跡としか言いようがない」として、こう解説する。「池江さんは2019年の夏に造血幹細胞移植を行っています。これは、手術後に移植した細胞が体を攻撃するGVHD(移植片対宿主病)という疾患をもたらし、食欲はなくなり、筋肉も落ちて、どんどんやせ細っていきます。2年も経っていない状況では、競技に復帰すること自体が難しい。ましてや、五輪代表を勝ち取るタイムを叩き出すなんて信じられません。世界的に見ても『歴史的出来事』といえると思います」 五輪内定直後のインタビューで、池江選手は《努力は必ず報われる》と声を震わせてコメントした。だが実際は、「努力」の二文字では言い表せない壮絶な日々を送っていた。 白血病の治療は心身ともに大きな苦痛を伴う。池江選手も苦痛の連続だった。「抗がん剤の治療が始まると、髪の毛が抜け落ちていくことに大きなショックを受けたようです。10代の女の子ですから、当然です。副作用の吐き気にも悩まされて、1日に5回以上もどしてしまうこともあった。食欲もなく、栄養を点滴で摂取するのが精一杯という日もあったようです」(スポーツジャーナリスト) 当時の様子を、池江選手はのちにテレビ番組で《死んだ方がいいんじゃないかって思っちゃったときもありました》と明かしたほどだ。池江選手を支えたのは、友人や競泳関係者、ファンの人たちからの励ましの声だったという。 なかでもいちばん近くで彼女を支えたのは、母・美由紀さんだった。幼児教育の会社の代表をしている美由紀さんは、とにかく認めて、褒めて、愛して育てるのが教育方針。幼少の頃から池江選手にはポジティブな言葉をかけ続けてきた。「愛娘が病魔に侵され、冷静ではいられないほどつらいはずなのに、それを微塵も感じさせませんでした。お母さんは講演活動などをすべてキャンセルし、毎日のように大きなキャリーケースを引いて、入院中の池江さんのもとへ通っていました。午前中に家を出て、病院を出るのは21時過ぎということも珍しくはなかった。 池江さんが小さい頃から、お母さんはいつも『できるよ』と声をかけて自信を持たせていました。闘病中もこの言葉が、池江さんの支えになっていたようです」(競泳関係者)体重は15kg減、筋力はほぼ失われた 池江選手の入院生活は約10か月に及び、退院することができたのは2019年12月のこと。退院後も、復活への壮絶な努力が続いた。「地元の友達と女子会を楽しめるまでに回復していたのですが、手足は細くなり、以前とは別人なほどやせてしまった。食事中、何度もトイレに立っていましたし……。本人は“食べられないものがいっぱいあって、筋肉がちょっと落ちちゃったの”と話していたけど、闘病生活の大変さが伝わってきました」(池江選手の知人) 長期療養によって体重は入院前より15kgも落ち、筋力はほぼ失われた。闘病前は当たり前にできていた懸垂も、軽くなった体ですら、その細い腕では1回も持ち上げることができなくなっていた。 それでも「できる」という言葉を胸に、諦めることはしなかった。退院直後から自宅にトレーニング器具を設置し、軽い負荷をかけたトレーニングを開始。気が遠くなるような毎日だったが、もう一度プールにもどることを目標にトレーニングを重ねたという。そして昨年3月17日、406日ぶりにプールに入ったことを、SNSで笑顔で報告した。「最初は水に顔をつけることも許されない状態からのスタートでした。地上でのトレーニング同様に、少しずつ練習量を増やしていきました。ただ、少し泳いだだけで苦しく、試合に出ることなんて想像もできなかった」(前出・スポーツジャーナリスト) 待ち望んだプールでの練習再開だったはず。それなのに、弾んだ気持ちは、練習が本格化するにつれて徐々に沈んでいってしまう。 練習でチームメートについていけない。白血病に襲われる前の自分の映像を見返せば、「この人、すごいな」とまるで他人事のような感覚を抱くようになっていた。「もう、自分はダメだ」。そう思う日々が続いた。それでも努力をやめなかったのは、ある心境の変化があったからだ。「ひとり周囲から取り残されたことで、誰かのために泳ぐわけではなくて、自分が楽しいから泳ぐんだということに気づいたそうです。池江さんは常に周囲の期待に応える選手生活を送ってきました。プレッシャーから解放されたことで、持ち前の負けず嫌いも復活したそうです」(前出・スポーツジャーナリスト) 体重を戻すのにも苦労した。競泳はある程度の体重がないと、飛び込みで加速できず、スタートでほかの選手に遅れをとってしまう。池江選手は体重を増やそうと「食トレ」も行っていて、3食以外でも食事をとり、夕食後に無理してラーメンを食べたこともあったという。 目標は2024年のパリ五輪出場だった。しかし、新型コロナウイルスの影響で東京五輪が1年延期になったことで「奇跡」を引き寄せた。筋力や体力は徐々に回復し、昨年8月には東京都の大会で約1年7か月ぶりにレース復帰。10月には日本学生選手権に出場して50m自由形で4位に入賞した。今年に入ると2月の競泳ジャパン・オープンで同種目2位、同月の東京都オープンでは50mバタフライで優勝する。東京五輪出場の期待が高まるなかで迎えたのが、冒頭の日本選手権だった。 五輪内定を決めた池江選手は、インタビューで泣きながら家族への感謝を口にした。「池江選手は決勝のレースで会場入りする際、『ただいま』と口にしました。日本一を決める舞台に帰ってくることができたという思いなのでしょう。母親の美由紀さんの“できるよ”という魔法の言葉が、彼女の強靭なメンタルを支えている。家族のサポートが彼女を絶望のふちからよみがえらせたのです」(前出・競泳関係者) 母と娘が起こした奇跡の物語は今夏、第2章を迎える。※女性セブン2021年4月22日号
2021.04.10 07:00
女性セブン
五輪代表入りの池江璃花子、偉業達成の背景にあった「GRIT」とは?
五輪代表入りの池江璃花子、偉業達成の背景にあった「GRIT」とは?
 臨床心理士・経営心理コンサルタントの岡村美奈さんが、気になったニュースや著名人をピックアップ。心理士の視点から、今起きている出来事の背景や人々の心理状態を分析する。今回は、白血病を克服し、東京オリンピックへの出場権を手にした競泳の池江璃花子選手について。 * * *「努力は必ず報われる」とはよく聞く言葉だが、こんなにも鮮やかにその場面を目にすることがあるのだと、彼女のゴールを見て思った。見た人に勇気と感動を与える結果の裏には、努力を積み重ねてきた本人にとって尋常ではない苦しさや葛藤があっただろう。4月4日、東京オリンピックへの出場を決めた池江璃花子選手は、レース直後のインタビューで、口元を手で覆いこぼれる涙を拭いながら「すごく辛くてしんどくても努力は必ず報われると思います」と声を震わせた。 東京オリンピックの代表選考を兼ねた競泳の日本選手権で、池江選手は4日、女子100メートルバタフライ決勝で3年ぶりに優勝、8日の女子100メートル自由形決勝でも1位を獲得し、東京オリンピックメドレーリレーの代表内定に続き、400メートルリレーの代表入りも決めた。2019年2月に白血病と診断されてから約2年。2018年のアジア大会では、日本人初の6冠を達成し大会最優秀選手にも選ばれ、この年には女子100メートルバタフライで日本記録の56秒08をマーク。絶好調だった彼女にとって、病気の宣告は突然谷底に突き落とされたような気持ちだっただろう。 闘病の様子は度々テレビでも報じられ、退院してからもその動向は話題になっていた。昨年8月にはレースに復帰。こんなに早く復帰できるのかと思いながらも、やはり活躍する姿を期待した。以前とは違う泳ぎを見て、「完全復帰するにはまだまだ時間がかかるだろう」、「それより本当に復帰できるのだろうか?」と思ったものだ。 その後いくつかの大会に出場し、着実に以前の泳ぎを取り戻しつつあったことは知っていたが、1年も経たないうちにここまでの結果を出すとは驚きしかない。池江選手は、得意の女子100メートルバタフライでは57秒77、女子100メートル自由形では53秒98をマークしどちらも優勝。派遣標準記録を突破し、東京オリンピックへの切符を掴んだのだ。 2016年に日本でも出版されベストセラーになったビジネス書に、『GRIT やり抜く力-人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける』(ダイヤモンド社)がある。著者は米ペンシルベニア大学の心理学教授、アンジェラ・ダックワース氏。この本では、偉業を達成する人に共通するのは「才能」よりも「やり抜く力」という研究成果がまとめられている。 GRITとは、困難にあってもくじけない気概や気骨という意味。ダッチワースの研究によると、目標を達成するには、才能よりも情熱と粘り強さ、継続することが重要であり、さらに目的を見出し、もう一度立ち上がれる考え方を作り、希望を持つことが大切だという。 池江選手にはまさにGRITがあり、それにより見事目標を達成した。彼女のTwitterにはこうある。「パリを目標と言っていたのに心のどこかには東京五輪に行きたいと言う気持ちも少なからずあって、それを達成できたからこその言葉なのかもしれません」。レース直後、「努力は必ず報われる」と語ったことについての言葉だ。 陸上の元日本代表藤光健司氏は、「勝者=報われるという考えだと大半の人の努力が報われていないことになる」と前置きし、「正しい努力とは一体何なのか」とツイート。それに対し池江選手は、「どんな人も、努力はしてると思います。ただその努力という定義も難しいな、と思います。本気で目指してきたことをたとえ達成できなかったとしても、その努力は必ず誰かが見てて、誰かが勇気をもらえるのではないでしょうか」とリツイートした。 報われない努力は多いが、努力の過程で、見ている誰かが勇気をもらえることは、案外多いのかもしれない。
2021.04.09 07:00
NEWSポストセブン
池江璃花子のように、白血病から復帰を果たしたアスリートは多い(時事通信フォト)
プロ野球、Jリーグ… がん、白血病から復活して輝いたアスリート達
 水泳の池江璃花子(20)が白血病の長期療養を経て、東京五輪代表選考会を兼ねた4月の日本選手権への出場権を獲得。2月21日には東京都オープンで優勝するなど、完全復帰を目指している。 池江と同じように、重病を患いながらも、舞い戻ってきたアスリートは多い。元プロ野球選手の岩下修一(47)は、1999年にドラフト4位でオリックスに入団。希少な左サイドスローとして1年目から44試合に登板する活躍を見せたが、2年目の01年7月、「急性骨髄性白血病」と診断された。「このまま野球ができなくなったら、何のためにプロに入ったのかわからない。しかし抗がん剤治療は1回の投与が1週間ぶっ通し。“二度と病院に行きたくない”と思うくらいつらかった。そんな自分を救ってくれたのは、『退院後は再び野球ができる』という主治医と、『来年も契約するので、病気を完全に治してください』という球団の言葉でした」(岩下) 11月に退院するとすぐにトレーニングを再開。正月返上で自主トレに励み、教育リーグでの投球が認められて翌年に開幕一軍の切符を手に入れた。「記者に囲まれたときに“奇跡ではなく、復活と書いてください”と頼みました。奇跡は誰もが無理と思ったことが起きたときに使う言葉。僕は病気が治ると思っていたし、野球もできると思っていましたから」(同前) 岩下は2005年オフに戦力外となったが、日本ハムにテスト入団。1年後、打撃投手に転向し、現在も裏方としてチームを支えている。 がん告知を受けて重い選択を迫られたのは、足のスペシャリストとして活躍していた元広島カープの赤松真人(38)だ。胃がんが判明したのは、2016年のオフ、34歳のとき。医師からは“ステージ3で抗がん剤治療が必要”と言われた。「野球を続けるなら体力が落ちる抗がん剤をやらないという選択もあった。しかし、抗がん剤をやらなければ死ぬ可能性が高い。生きるか死ぬかを考えて、僕は生きるほうを選びました」(赤松) 2018年3月に実戦復帰。2019年に引退したが引退会見では、「病気になってから(プロ野球生活が)長く感じた。ぜいたくな時間でした。楽しかった」と胸を張った。引退後はカープの二軍コーチに就任した。 サッカー界には3年半にも及ぶ闘病生活を経てフィールドに戻ってきた選手がいる。早川史哉(27)は2016年5月、アルビレックス新潟入団1年目に急性白血病が判明。骨髄移植を受けて2017年に退院し、2019年10月、ついに公式戦出場を果たした。「骨髄移植を受けてからが地獄だったそうです。筋力が落ちて歩くことすらできない。やっと歩けるようになっても10分で両足が動かなくなる。2017年末にようやくトレーニングを始めることができましたが、2019年2月に池江選手が同じ病気になったことで、“自分も病気に負けられない”と発奮したそうです」(サッカー担当記者) 海外には、精巣がんが脳や肺など14か所に転移した自転車ロードレースのランス・アームストロング(49)の復活劇がある。「それまで世界ランク1位にのぼりつめたこともあったが、1996年にがんが発覚。腫瘍の摘出手術と化学治療で克服し、1年以上の闘病生活を経て1998年にプロに復帰し、1999年からツール・ド・フランス7連覇の偉業を達成しました。ただ、その後にドーピングが発覚し、1998年以降の成績が抹消されてしまいましたが……」(スポーツジャーナリスト) 池江も必ずや再び最高の輝きを取り戻せる。※週刊ポスト2021年3月19・26日号
2021.03.17 11:00
週刊ポスト
池江璃花子は東京五輪に間に合うか(時事通信フォト)
池江璃花子「奇跡の五輪出場」 難関は21年前の千葉すずルール
 2019年2月に白血病を発症した競泳女子・池江璃花子(20)が、驚異的な復活をみせている。東京都オープン(2月20~21日)の50mバタフライで優勝するなど、“東京五輪に間に合うのでは”と思わせる活躍ぶりだ。 競泳の五輪代表は4月3日からの日本選手権で決まる。池江は同大会で自由形(50m、100m)とバタフライ(100m)の個人3種目で五輪が狙える状況になってきた。 各種目の代表枠は2つ。ただし、日本選手権では2位以内に入るだけでなく、日本水泳連盟が定めた「派遣標準記録」を突破しなくてはならない。「復帰後の池江のタイムは、50m自由形では派遣標準記録に0.5秒以内まで迫るものの、100m自由形、100mバタフライではいずれも2秒以上届かない。白血病発症前の自己ベストではクリアしていたので、持久力がどこまで戻るかがカギだが、個人種目での出場はタイムが高い壁となるかもしれない」(水連関係者) この「順位+記録」の厳しい基準には、元金メダリスト・北島康介も涙をのんだ。2016年リオ五輪選考レースの100m平泳ぎで、北島は2位に入ったものの派遣標準記録に届かず、引退を決めた。「当時、日本水連に抗議の電話もきたが、特例は認められなかった。ただ、キャリア終盤だった北島に対し、池江は泳ぐたびにタイムがよくなっていて、7月の本番までに記録が伸びる可能性は十分にある。日本選手権で『2位以内だけど記録が届かない』ということになれば、世間から北島のとき以上の反応があるのでは」(担当記者) 日本水連はあくまで、「公表している選考基準がすべてです」とするのみ。 こうした基準があるのは2000年シドニー五輪の代表選考時の「千葉すず問題」がきっかけだ。「2大会連続で五輪に出場していた千葉は、国際水連の標準記録をクリアして選考会で優勝したにもかかわらず、日本水連が“世界で戦えるか”を検討した結果、代表から漏れた。不服とする千葉が、スポーツ仲裁裁判所に提訴する騒ぎとなったのです。これを機に基準が明確になった経緯がある」(前出・担当記者) 透明性の高い選考になるきっかけを作った千葉の行動を高く評価する関係者は多い。その厳しい基準をクリアし、池江は笑顔で五輪切符を手にできるか。※週刊ポスト2021年3月12日号
2021.02.27 07:00
週刊ポスト
諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師
鎌田實医師が考える、募金と移住希望者の増加に共通するもの
 昨今、「募金」に対する関心が高まっているという。自身も毎年募金活動に参加している諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、募金に興味を持つ人が増えた背景を考察する。 * * * ぼくが代表を務めているJIM-NETでは、毎年チョコ募金を実施している。イラクの白血病の子どもたちが描いた絵をチョコ缶にプリントし、募金をしてくださった人にプレゼントするというもの。収益は、イラクやシリア難民の白血病の子どもたちの薬代になったり、国内では福島の子どもたちのために使っている。 今年は、チョコ缶を10万個用意した。コロナ禍のため例年より少なめだ。しかし、受付を開始して1週間でうれしい誤算に気付いた。なんと約4万個も申し込みがあったのだ。こんなにハイペースなのは、16年間やってきて初めてのことだ。 チョコレートを原価で提供してくれている六花亭や、缶をつくる工場、発送をしてくれている福祉作業所とも相談し、2万個を追加することになった。みんな快く引き受けてくれた。 それにしても、なぜ、こんなにも多くの人が協力してくれたのだろう。コロナ禍で自由に行動できない分、「募金」という形で社会のために何か役立ちたいという思いをもつ人が増えたのではないだろうか。地方移住問い合わせが殺到 もう一つ、注目している現象がある。空前の移住ブームである。ぼくが住んでいる茅野市では、移住相談がこれまでになく多数寄せられている。市役所での窓口相談やオンラインでの相談にも応じている。毎年実施している移住体験住宅はコロナのため中止しているが、感染が沈静化したころを見込んで、古民家を改築したプチ移住体験住宅を準備しているという。 生きているといろんな困難に直面するが、「働く場」があり、「愛する人」がいれば困難な状況のなかでも生き抜けるといわれている。逆に言えば、「働く場」がないこと、「愛する人」がいないことそのものが、大きな困難になるということだ。 新型コロナウイルスの感染が広がりだした初めのころは、昨年と比べても自殺者は少なかった。だが、夏以降、急激に自殺者が増え始めている。一度失業した人がなかなか次の仕事が見つからない状況になったことは大きいと思う。 そんななかで、人とのつながりを求める人が出てくるのは、当然のことだと思う。寄付の増加も、地方への移住も、従来にない「らしくない」生き方の始まりだと思う。こうした行動バターンは、今後も増していくのではないか。故郷で農業と福祉を結び付ける元Jリーガー この秋、代々木公園で野外音楽フェスに参加した。多くのミュージシャンに混ざって、元Jリーガーの巻誠一郎さんとセカンドキャリアについて対談した。 引退したとはいえ、鍛えられた体格が目をひく。話をしていくと、よく考えぬかれた言葉と信念の強さにすっかり魅了されてしまった。 巻さんはジェフユナイテッド千葉のストライカーだった。ロシアや中国のチームでも活躍。2014年から故郷の熊本に本拠地を置くロアッソ熊本に移籍した。 引退後は、熊本を中心にビジネスを展開した。初めはピザハウスを経営したが失敗した。「お金儲けには向いていないと感じた」という彼は、自分自身の強みを生かそうと、人の役に立つビジネスを考え始めた。故郷の熊本で、スポーツと教育と農業を結びつける仕事だ。 現在、障害をもつ子どもたちの放課後デイサービス「果実の木」を4店舗経営。障害者たちの就労支援や、農業と福祉を結びつける事業も考えているという。利益重視のビジネスマンらしくない実業家になりそうな気がする。 熊本地震の経験から、避難所や被災者に支援物資を送るシステムを作った。ぼくも被災地支援を続けているので、今度一緒に活動しようと意気投合した。農業や木工。介護予防らしくない介護予防 農業は間口が広い。農業人口こそ減少の一途を辿っているが、49歳以下の新規就農者は、若干の増減がありながら一定数を占めている。農業法人にサラリーマンとして雇用されるという形の新規雇用就農者は年々増加しているという。 最近は、ドローンやロボット技術を駆使した「スマート農業」なども注目されている。こうした新しい農業の形が生まれるなか、農業を介護予防にしようとしている地域もある。高知県香美市では定年退職者を対象に、菜園クラブで農業指導を行なっている。土づくりから始まって、苗の植え付け、手入れ、収穫までを体験できる。一般に女性は趣味やボランティアなどの集まりに気軽に参加する傾向があるが、高齢の男性はなかなか腰が重い。家に閉じこもって孤独になること自体が、要介護の原因になりやすい認知症やフレイル(虚弱)のリスクを高めてしまう。 イギリスでは2018年から孤独担当大臣というポストができた。コミュニティセンターの一角に「男たちの小屋」という作業所を設け、中高年らがテーブルやベンチ、木製のサラダボウルなどを作ったりしている。それをバザーで売ったり、小学校にベンチを寄付したりしている。参加者は男性も女性もいて、なかには、本格的に修業して木工職人になる人もいるとか。 こんなふうに楽しみながら、仲間と集い、孤独を解消していくのはとてもいい方法だ。介護予防というと、みんなで歌をうたったり、体操をしたりするというイメージがあるが、こういう介護予防らしくない介護予防はこれから注目されていくだろう。日本でも、農業だけでなく、いろんな形の介護予防の形がうまれるといいなと思う。定年後は、NPOで人のために働く 今、一生一つの会社で、定年まで働くということは、ほとんどありえない時代になった。何度か職場を変えながら、定年までたどり着いたとしても、その後の長い人生、どんな働き方や社会参加ができるのか、まだ理想的なモデルは現れていない。 ただ、定年後はより社会のためにということを意識した働き方を求める傾向は想像できる。ぼく自身も、病院を早期退職し、NPOの活動に力を入れるようになった。 先月、JIM-NETに、60歳のOさんがアルバイトとして入ってきた。大学を卒業した後、主に商工中金で働いてきたが、50歳くらいのときから毎週土曜日に介護施設で認知症の人の話し相手をしたり、散歩や部屋の掃除をするボランティアをしてきた。金融マンらしくない時間を過ごしてきた。 今は、殺到するチョコ募金の電話対応に追われながら、募金をしてくれる人の思いに元気をもらっているという。実に楽しそうだ。「お金より心」などときれいごとを言うつもりはないが、すでに多くの人が、心の通った働き方にシフトしていることに、ぼく自身うれしい驚きだった。【プロフィール】鎌田實(かまた・みのる)/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。著書に、『人間の値打ち』『忖度バカ』など多数。イラクや福島の子どもを支援するJIM-NETのチョコ募金(https://www.jim-net.org/choco/)活動も。※週刊ポスト2021年1月1・8日号
2020.12.30 07:00
週刊ポスト
デビュー40周年の節目にパートナーの闘病
柏原芳恵が40周年記念ライブ開催 白血病のパートナーが後押し
「この40年、たくさんのかたに出会いました。つくづく出会いというのは一つひとつが大事だと、改めて感じています」 10月17日、東京都北区の北とぴあさくらホール。ここで開催されたデビュー40周年記念コンサートの最中、純白の衣装に身をまとった柏原芳恵(55才)は、しみじみとそう語り、往年と変わらない艶やかな歌声を披露した。もともとこのコンサートは7月に予定されていたが、新型コロナの影響で延期。無事に開催された記念公演に駆けつけたファンは、SNSでこう歓喜した。《すごくお若くておきれいでビックリ!》《歌声とスタイルと美貌は変わらずそのままでした》 6月には約12年ぶりとなるシングル『KU・ZU~ワタシの彼~/A・RU・KU~愛してる人にちゃんと愛を伝えてますか?~』を発表し、デビュー40周年が経ったいまでも、第一線の歌手としての貫禄を見せつけた。しかし、こうした彼女の活発な活動に驚きの声も上がっている。音楽関係者が重い口を開く。「芳恵さんは、いままではテレビに出るといっても年に1回ぐらいで、芸能活動はかなりセーブしていた。最近の活動を見ていると、背中を押してくれる出来事があったんだと感じます。 芳恵さんといえば、恋多き女として知られましたが、1990年を境にスキャンダルはパタリとなくなっています。それは異国で出会ったある男性K氏との出会いがきっかけでした。以降、彼女は今日までその男性との事実婚生活を貫いているんですよ。ただ、数年前その彼に深刻な病が見つかって……」 2015年、70才を超えたK氏が、白血病を患ったのだ。柏原は、献身的にK氏の闘病を支えてきたという。 それから5年あまり経ち、病状が落ち着いたK氏は現在、自宅療養をしているという。「ヘルパーの人が自宅を訪れることはなく、Kさんの身の回りの世話はすべて芳恵さんが行っています。彼女はテレビなどでは『自販機の使い方がわからない』『身の回りのことはすべてスタッフがやってくれる』と話していますが、最近は買い物や料理、掃除といった家事をすべてひとりでこなしているんです」(前出・音楽関係者) 迎えた今年のデビュー40周年。看病のため仕事をセーブしていた柏原の背中を押したのはK氏だった。「『せっかくの40周年なので、ぼくのことはいいから、きみの記念になるようなことをやるべきだ』とKさんがアドバイスしたんです。最初は躊躇していた芳恵さんですが、最後には記念コンサートと新曲の発表を行うことを決断しました」(前出・音楽関係者) 両親のサポートもあった。「芳恵さんは、いまでも両親を年に一度、2泊3日の旅行に連れて行くほど親孝行。彼女はよく、『デビューしてからは年に数回しか会えなかったから、その埋め合わせをしてあげたい』と話しています。その両親から『無理のない範囲で頑張ってみたら』と言われたことも、彼女にとっては前に進む支えになったようです」(芸能関係者) 最も大きかったのは、柏原がずっと胸に秘めてきた「覚悟」と「責任」だ。「芳恵さんはこれまでKさんとの仲について、公式には一切語っていません。彼女の中には彼の奥さんと子供からKさんを奪ったという罪悪感と償いの気持ちがあるのでしょう。どんな状況になっても彼の面倒を見続けるという強い覚悟と責任感があり、介護や家事についても精一杯頑張っています。 それでも彼女も気づけば55才。病身のパートナーと家族から後押しされたこともあり、これまでの人生に恥ずべきことがないことを示すためにも、彼の介護を続けながら、表舞台に立って仕事を再開しようという気になったようです。それが彼女にとっての30年のけじめなのでしょう」(前出・音楽関係者) 12年ぶりの新曲『KU・ZU~ワタシの彼~』で柏原は自ら作詞を手がけた。そこで彼女は、一途な思いを寄せる「ワタシの彼」について書いている。それは30年の歩みに後悔がないことを告げる、柏原の宣言ではないだろうか。※女性セブン2020年12月3日号
2020.11.21 07:00
女性セブン
デビュー40周年の節目にパートナーの闘病
柏原芳恵 事実婚の22才年上夫が白血病患い献身介護の日々
 1980年にデビューした柏原芳恵(55才)にとって、今年はデビュー40周年を迎えるメモリアルイヤーだ。同期に松田聖子、田原俊彦らがいる“アイドル黄金期”に活躍し、80年代を代表するトップアイドルの1人だった彼女はいま、30年前に出会ったパートナーとの絆を改めて感じているのかもしれない──。 1979年、大阪に住む中学2年生だった柏原は、伝説のオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)でグランドチャンピオンに輝き、スカウトされた。 翌年、単身上京し、阿久悠作詞の『No.1』でデビュー。1980年といえば、松田聖子(58才)、田原俊彦(59才)、河合奈保子(57才)らが綺羅星のごとく現れた記念すべき年。そのなかで「柏原よしえ」としてデビューした彼女は、『No.1』で14才ながら、体を艶めかしくくねらせた歌い方で一躍注目された。 1982年、17才の誕生日に本名の「柏原芳恵」に改名し、谷村新司(71才)や松山千春(64才)など、ビッグネームのシンガーソングライターが提供する楽曲路線に挑んだ。なかでも忘れられない名曲となったのが、中島みゆき(68才)が作詞作曲した『春なのに』(1983年)だ。恋人との切ない別れを繊細に表現したこの曲は多くのファンの心をつかみ、『ハロー・グッバイ』(1981年)に次ぐ大ヒットとなった。 ちなみに中島が作詞作曲した楽曲で最も多くトップ10に入るヒットを出したのは、研ナオコ(67才)でも工藤静香(50才)でもなく、柏原だ。「中島さんは芳恵さんに『春なのに』の歌唱法を伝授するほど入れ込んでいました。中島さんから『すべての歌詞が悲しいのではない』と教えられた芳恵さんは、“春”は楽しい、“別れ”は悲しいというように、メリハリをつけて歌うようになりました」(音楽関係者) 1986年10月には、柏原の大物ぶりを物語る、異例の出来事が発生した。かねてから柏原の大ファンを公言されていた浩宮さま(現在の天皇陛下)がリサイタルを訪れ、庭に咲く一輪のプリンセス・サヤコ(バラの花)を柏原に手渡されたのだ。この出来事は、翌日の一般紙とスポーツ紙の一面を埋めた。「そのバラは原色ドライフラワー処理をして、そのままの色と形で保存してあるそうで、芳恵さんにとって“家宝”です」(前出・音楽関係者) 大阪から単身上京して6年、20才になった柏原は両親に5LDKの家をプレゼントするほどの売れっ子となった。「デビュー後はトップアイドルとしてだけでなく歌手や女優、グラビアモデルとしても幅広く活動して多忙を極め、25才のときには自由を求めて突然姿を消したことがあります。そのときは南の島に逃亡したそうですよ(笑い)」(前出・音楽関係者)香港で出会った22才年上男性と事実婚 浩宮さまに見初められたことから、「ロイヤル・アイドル」とまで称された柏原だが、異性関係がゴールに結びつくことはなかった。これまでマスコミから何度も「結婚しないの?」と尋ねられても、現在まで独身を貫いている。「交際報道はたびたびありましたが、彼女の場合は決まって年上がお相手でした。最初の噂は当時所属していたプロダクションの20才ほど年上の社長で、次が1才年上の歯科大生。その後、俳優の宅麻伸さん(64才)とも浮き名を流しましたが、結婚にはいたりませんでした」(芸能記者) しかしその裏には、ある年上男性との長きにわたる禁じられた恋が存在する。1990年、柏原はVシネマの撮影で出かけた香港で、アクション監督兼俳優として活躍していたK氏と運命の出会いを果たした。「Kさんは芳恵さんの22才年上で、出会った頃のふたりは20代半ばと40代後半。その翌年に日本と香港の合作映画『メイプル・オン・ファイアー』の監督と主演女優として再会し、2か月にわたるロケの最中に急接近しました」(前出・音楽関係者) 年齢差をものともせず深い仲となったふたりだが、異国で芽生えた恋には大きな障害があった。このとき、K氏には妻と2人の子供がいたのだ。「Kさんの奥さんは中国籍の女性で、香港での撮影時は親身になって、英語と中国語が不自由な芳恵さんの世話をしていました。芳恵さんも奥さんを慕い、『ママ』と呼んでいたほどです。もちろん奥さんは夫と芳恵さんが男女の関係になったことを知りませんでした」(前出・音楽関係者) その後、事態は急展開を見せた。香港の芸能誌が柏原とK氏の関係を報じ、不倫が妻にバレてしまったのだ。「Kさんは奥さんを見捨てるかたちで、芳恵さんを追い、はるばる日本にやって来ました。芳恵さんも“運命の相手”を受け入れて、ふたりは東京で同棲を開始。突然の不倫略奪同棲は日本でも大きく報じられ、詳細を知ったKさんの奥さんは、『恩を仇で返した!』と芳恵さんを恨んだそうです。その後、Kさんと奥さんは離婚協議を始めましたが、2人の子供のこともあり、なかなかうまく進まなかった。 それに香港の法律では離婚した人は最長で5年間は再婚できない規定があり、芳恵さんとKさんは正式に結婚することができず、事実婚状態となりました」(芸能関係者) 当時、テレビリポーターからたびたび、不倫同棲について直撃取材されたが、ふたりはそれからも揺らぐことなく愛を育み続けた。「ふたりは都内にある芳恵さんの自宅で同棲し、ゴミ捨てをしたことがないという彼女の代わりに、Kさんがゴミを出す姿がたびたび目撃されました」(前出・芸能記者)誰の手も借りずひとりで介護 その後も事実婚を続けたふたりに再び大きな転機が訪れたのは、2015年。70才を超えたK氏が、白血病を患ったのだ。「当時は、芳恵さんが連日通院するので、彼女が病気にかかったのではないか……と噂されたほどです。しかし違った。それはKさんの見た目が変化していたことで明らかになりました。抗がん剤の使用で髪の毛が抜け落ち、以前よりやせたKさんを芳恵さんは甲斐甲斐しく看病しました。 退院時は『ご心配をおかけしました』とふたりそろって近所に挨拶に行くこともありましたが、その後もKさんは入退院を繰り返しました。この頃の芳恵さんは仕事をセーブして、入院時は毎日のように看病に行っていましたよ。 それまで身の回りのことは全部ほかの人がやってくれていたようですから、彼女にとっては初めてのことばかりだったみたいで、それはそれはお疲れのようでした」(ふたりをよく知る知人) それから5年あまり経ち、病状が落ち着いたK氏は現在、自宅療養をしているという。※女性セブン2020年12月3日号
2020.11.20 07:00
女性セブン
2021年の開催の現実味は…(時事通信フォト)
安倍辞任で「2021東京五輪」どうすべきか 郷原信郎氏の意見
 新型コロナウイルス収束の見通しが立たないなか、来年7月開催の是非が議論を呼ぶ東京五輪。安倍晋三首相の辞任は開催の行方にどう影響するのか。日本、そして世界にとって最良の選択とは何なのか、元検事で弁護士の郷原信郎氏(65)の意見は──。 * * * 安倍首相が辞任を表明したことで、来年7月の五輪の開催可否について次期政権が大きな役割を担うことになります。開催判断の最終権限はIOCにあるとはいえ、誰が首相になっても常識的な判断を求めたいと思います。 そもそも世論は、来年7月開催は難しいとの方向に傾いていました。例えば今年7月のNHKの世論調査では、「中止すべき」「さらに延期すべき」が66%でした。新型コロナの感染状況や、開催に向けた追加コストなどを鑑みた結果だと考えられます。 そんな逆風においても安倍首相が来年7月開催にこだわったのは、政権のレガシー(花道)だと考えていたからでしょう。内閣支持率が低下し、世論が五輪中止に傾くなかでも、来年の開催への望みをつなごうとしていた様子が見てとれます。 7月23日の「開催1年前記念イベント」も、その動きのひとつでしょう。白血病からの復帰を目指す競泳の池江璃花子選手(20)が、「今から1年後、オリンピックやパラリンピックができる世界になっていたら、どんなに素敵だろうと思います」とメッセージを発した。この記念イベントに池江選手が起用された経緯について、毎日新聞「東京開催の危機『池江一択』 組織委、世論の打開狙う オリンピック1年前メッセージ」(7月23日オンライン版)にはこう書かれています。〈大会関係者によると人選は「池江一択」だったという。池江が白血病を公表した昨年2月、池江の呼び掛けに応じて日本骨髄バンクのドナー登録が急増した。社会的な影響力の高さに加え、組織委内には闘病生活を乗り越えプールに戻ってきた池江の起用で、新型コロナウイルスで様変わりした環境に苦悩する世界中の仲間へ勇気を届ける思いも込めた〉 しかし、病から復帰しようとする池江選手の姿勢を、来年7月開催に結び付けることに違和感を覚えた人は多かったと思います。イベントの後、ツイッターで「池江璃花子」と検索すると、「違和感」「政治利用」などの言葉を並べたツイートが見られました。来年7月開催を維持したいという安倍政権や組織委員会の政治的な意図が透けて見えたからではないでしょうか。 7年8か月にわたった長期政権のなかで、政府・与党内からは、常識的にありえないこと、不当なことでも「おかしい」と声をあげる動きが出なくなっていた。これは「桜を見る会」問題の構図とも共通します。公金が投じられる会が、安倍首相の“接待行事”と化していたことを問題視する内閣府や官邸の職員がいたといても、彼らは異を唱えることはできなかったわけです。 五輪開催の是非を論じる際には、来年7月開催のためには多額の追加費用が必要になることも念頭に置くべきです。IOCは800億円程度しか負担しない方針を示しており、日本側の追加拠出は3000億円程度が必要といわれています。しかし、東京都は新型コロナ対策で財政調整金の多くを使い果たしてしまい、追加費用を負担できる状況にありません。必然として、スポンサー企業に頼らざるを得なくなる。 しかし、スポンサー企業にとっては追加費用拠出のメリットは縮小しています。新型コロナにより積極的な宣伝活動が難しく、五輪自体が簡素化されるため、本来の宣伝効果が見込めない可能性が高い。しかも、結局五輪が中止となれば、拠出した費用は戻ってきません。そのような状況で追加拠出を行なえば、株主の利益を損なう結果になりかねず、拠出を決定した取締役が善管注意義務違反に問われる可能性すらあります。 次期政権には、世界や日本国内の感染状況、ワクチンの開発・供給の見通し、追加費用やボランティアの確保の現状等から、本当に来年夏開催できるのかを総合的に検討してもらいたい。その結果、開催困難と判断されるのであれば、IOCと協議して中止を決定するべきです。出場予定の選手達には大変気の毒ですが、決断を長引かせることは、選手にとってかえってつらいことだと思います。 中止の判断を下した場合、選手のためにも中止で終わらせず、2024年のパリ・東京共同開催を検討してもよいかもしれません。フランスも新型コロナのダメージを受けており、競技場などの建設も大幅に遅れる可能性がありますが、東京はすでに施設が揃っている。2都市で共催できれば、国際協調の姿勢を世界に示すことができます。来年7月開催を早めに断念すれば、東京・パリ共催などの新たな可能性を模索し始められます。
2020.09.06 07:00
NEWSポストセブン
山本寛斎氏、白血病で逝去 7月末のイベント準備中も力尽く
山本寛斎氏、白血病で逝去 7月末のイベント準備中も力尽く
 ファッションデザイナーでイベントプロデューサーとしても知られる山本寛斎さんが、7月21日に急性骨髄性白血病で逝去していたことがわかった。享年76。 山本さんは、3月31日に、白血病であることを自身のインスタグラムで発表し、闘病を続けていた。その傍ら、7月31日に予定されているオンラインイベント「日本元気プロジェクト2020『スーパーエネルギー!!』」の準備を続けていたが、残念ながら参加は叶わなかった。 イベントは、当初6月中に都内で開催することを予定していたが、新型コロナ感染拡大の影響で中止に。代わりにオンラインで開催することになっていた。山本さんは6月に、「長年、皆さまに『ファッションを通して元気になろう!』とお伝えしてまいりましたが、闘病中の今、身をもって『ファッションには人を元気にするチカラがある!!』ということを実感しております」とコメントを発表していた。 1971年に、日本人として初めてロンドンでファッションショーを開催した山本さん。1970年代からパリコレなどにも参加し、精力的に活動を続けてきた。娘で女優の山本未来と2003年に結婚した椎名桔平の結婚式(2019年に離婚)では、2人の衣装をデザインしたことでも話題となった。 遺族の意向により、葬儀は近親者のみで済ませたという。また、「お別れの会」の実施については、コロナの状況を見極めながら、決定次第、報告するという。 また、7月31日のオンラインイベントは、予定通り開催される予定だという。
2020.07.27 12:55
NEWSポストセブン
池江璃花子、ベリーショートで撮影 「この姿残したい」決意
池江璃花子、ベリーショートで撮影 「この姿残したい」決意
 プールサイドで濡れた黒髪をかき上げる──あの印象的な光景とは大きく異なる。 5月18日、競泳の池江璃花子選手(19才)が自身のインスタグラムで、ウイッグを外したベリーショートヘアを公開。この“衝撃写真”に、「ものすごくきれいです」「希望と勇気をありがとう」といった称賛のコメントが相次いでいる。これは池江選手をスポンサードする、コスメブランド『SK-II』とのコラボレーション企画。だがその撮影は、にこやかな表情からは想像だにしない、文字通り“命がけ”だった。 昨年2月、池江選手は白血病で入院し、抗がん剤治療や造血幹細胞移植を受け、病と闘ってきた。「約10か月の入院で、昨年12月に退院しました。2024年のパリ五輪に向けて少しずつトレーニングも再開したのですが、医師からプールで泳ぐことへの許可はなかなか下りませんでした。それでも池江さんは前向きに治療とトレーニングを続けて、3月17日にやっとの思いでプールに復帰することができました」(池江選手の知人) 髪はすべて抜け落ち、生え始めたのは昨年秋頃。退院したときは、たくましかった肩はほっそりし、体重も闘病前と比べて10kgも減っていた。 再起をかけてリハビリを開始――そんな矢先に新型コロナの緊急事態に。それでも、池江選手の心は折れず、『SK-II』の撮影に臨むことを決意した。 池江選手のマネジメント事務所が、経緯を説明する。「髪の毛が生え始めて“この姿もかわいいでしょ”と話せるまで心身ともに回復してきたのは昨年末のこと。“ここまで髪の毛が短い状態なのは、一生に一度かもしれない。この姿を残しておきたい”と考えるようになり、池江から、『SK-II』さんに撮影を提案させていただきました」 撮影が行われたのは、プール復帰直前の3月上旬。国内でも新型コロナの感染者が増え始め、政府が大型イベントの中止を要請していた時期だ。乳がん手術を受けていた岡江久美子さん(享年63)もそうだが、一般的に抗がん剤治療を受けていると、免疫力が大きく低下する。池江選手にとっては、わずかな気のゆるみも許されない。撮影は厳戒態勢で行われた。「マスクの着用や消毒を徹底し、スタッフも最小限の人数で、1時間弱の撮影でした。動画の撮影では流れに任せてカメラを回し、自然な表情を撮ってもらえました」(前出・マネジメント事務所) 現在、池江選手は再び自宅に籠もる生活を余儀なくされている。だが持ち前の明るさで、大学のオンライン授業をほぼ毎日受講し、トレーナーから送られてくるメニューを自宅でこなしている。 池江選手は動画のなかで、力強くこう話している。「髪の毛がないことが恥ずかしいことじゃないし、自分のいまのこの髪の毛、この自分自身に誇りを持っている」 美しさの中に、池江選手の鉄の覚悟があった。※女性セブン2020年6月11日号
2020.05.28 16:00
女性セブン
間質性肺炎はどんな病気?(写真はイメージ)
尿酸値の急激な上昇や低下 痛風以外のリスクへの注意が必要
 尿酸は痛風の原因となる物質で、基準値は成人男性で3.8~7.0mg/dlとされている。だが、これも基準値内だからといって安心はできない。ナビタスクリニック理事長の久住英二医師がいう。「一昨年が4、昨年が5、今年6というように、少しずつ上昇してきたら、体に何か変化があると思ったほうがいい」 肉食に偏った食生活や飲酒など何らかの原因で血液中の尿酸の濃度が上昇し、濃度が限界を超えると血液中に結晶が作られる。さらに尿酸値が高い状態が続くと、尿酸の結晶が関節の内側に沈着していく。この尿酸の結晶を、白血球が外敵と勘違いして攻撃する時に激痛が生じるのが、痛風発作だ。「痛風は遺伝的な要因が大きく、尿酸値が非常に高くても痛風になりにくい人もいれば、基準値内に保たれているのに痛風発作が起こる人もいる。一般に男性で太り気味の人は、基準値内であっても痛風の発作を発症しやすいため、数値の変化に気をつけるべきだと考えられます」(久住医師) 尿酸値の急激な上昇は、生活習慣以外の原因がある可能性もある。ナビタスクリニック川崎の谷本哲也医師が言う。「高血圧の治療によく使われる利尿剤や気管支喘息に用いられる薬、血液をサラサラにして血栓を予防する薬などの副作用で上昇することが知られています。ほかにも、がん細胞は尿酸を活発に生成することがわかっています。悪性腫瘍、とくに白血病やリンパ腫などの血液のがんを患うと尿酸値が高くなることが知られています」 飲酒習慣がなく節制しているにもかかわらず尿酸値が高いという人は、かかりつけ医に常用薬の相談をしてみるという手がある。 逆に尿酸値が下がりすぎると神経系の疾患になりやすい可能性がある。「パーキンソン病や筋萎縮性側索硬化症、アルツハイマー型認知症などの発症リスクが上昇する傾向が知られています」(谷本医師) 痛風とだけ結びつけて考えないほうがいいようだ。※週刊ポスト2020年4月17日号
2020.04.11 16:00
週刊ポスト
東京五輪1年延期なら池江、桃田、白井、荻野らはどうなるか
東京五輪1年延期なら池江、桃田、白井、荻野らはどうなるか
 新型コロナウイルスの感染が収束に向かわなければ東京五輪を1年後に延期してはどうか──国際オリンピック委員会(IOC)の委員からは、そうした提案も言及されている。実際にそうなったら選手選考がやり直される可能性もある。 競泳女子の池江璃花子(19)は、2018年8月のアジア大会で6冠に輝き、大会MVPとなった直後、まさかの白血病罹患が発覚。諦めざるを得なかった東京五輪まで1年の猶予があれば出場への希望は出てくるのか。スポーツ紙の担当記者が話す。「かつてプロ野球では、オリックスの岩下修一が急性骨髄性白血病の診断から1年も経たずに翌シーズンの開幕戦で復帰登板を果たした例があります。ただ、現時点で池江は、4年後のパリ大会、あるいは8年後のロサンゼルス大会を見据えている状況。今年2月にジムでトレーニングを再開させたことをSNSで公表しましたが、感染症などにも注意が必要だし、“来年の東京五輪”になったとしても、無理はできないでしょう」 一方で、ケガや不調に苦しむ選手では、万全の状態で五輪に臨めるケースも出てくるかもしれない。 バドミントンの桃田賢斗(25)は、今年1月のマレーシア遠征で交通事故に遭遇。裂傷や全身打撲を負っただけでなく、帰国後の精密検査で右目眼窩底骨折が判明し、手術を要す全治3か月の診断が下った。「『シャトルが二重に見える』などプレーヤーとしては最悪の結果となった。手術から3週間後の2月27日の検査で練習再開の許可が出たものの、患部が目だけに、パフォーマンスにどこまで影響するかは未知数。実戦復帰が遅れれば世界ランク1位のまま本番を迎えられるかわからないので、予選リーグの組み合わせにも影響する。五輪が1年後にスライドすれば、金メダルの可能性はかなり高まるでしょう」(スポーツ紙デスク) 体操男子では、前回のリオ五輪団体金メダルに貢献した白井健三(23)が、左足首や左肩の故障の影響によって昨年の世界選手権代表を外れた。4月の全日本個人総合と5月のNHK杯で橋本大輝(18)や萱和磨(23)といった新世代と争う。「今のままでは白井の代表落選もあるが、1年あれば得意とする床や跳馬以外の苦手4種目の克服にも時間が割ける」(同前) 競泳ではリオ五輪の男子400メートル個人メドレーで金メダルを獲得した萩野公介(25)が絶不調。モチベーションの低下による休養を経て、昨年8月にレースに復帰したが、復調の気配はない。「五輪代表選考を兼ねた日本選手権(4月1~8日)に向けて、約1か月間のスペイン高地合宿を行なっている。精神的な原因もあると考えられるので、1年後でも状態はわからないが、このままのスケジュールで選考が進めば出場の可能性はゼロに近いことはたしか」(スポーツジャーナリスト)※週刊ポスト2020年3月20日号
2020.03.11 16:00
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眞子さまの箱根旅行のお姿。耳には目立つイヤリングも(2018年)
小室圭さんの妻・眞子さん 華やかだった4年前の「箱根・女子旅ファッション」
NEWSポストセブン
メディアの前に久しぶりに姿を現したブラザートム(撮影/黒石あみ)
ブラザートムが不倫騒動・事務所独立からの今を語る「娘にはよくハガキを書いてあげるんです」
NEWSポストセブン
日本は世界が憧れる国だと思っていたが……(イメージ)
在日経験のある外国人たちが「日本の没落」を口にし始めているという厳しい現実
NEWSポストセブン
小室圭さんと眞子さん
小室圭さん妻・眞子さんがNYで行きつけのスーパーから見えてきた“妻の気遣い”「日本でいえば『成城石井』」 
NEWSポストセブン
高橋真麻
高橋真麻「おでんの卵8個食べても太らない」女性が憧れる美スタイルの理由
NEWSポストセブン
SDGs(持続可能な開発目標)についてテレビが取り上げる機会が激増していた(イメージ、時事通信フォト)
テレビ局が一斉に発信していた「SDGs」、最近見かけなくなった理由
NEWSポストセブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
NEWSポストセブン