◆もっと旅行に連れて行ってあげればよかった
岡江にとって、母の介護の“心強い助っ人”であった美帆も、心配の種の1つだった。
美帆は、岡江が『はなまる』を降板した直後の2014年6月に、高校時代からの友人である一般男性と結婚。翌年9月には長女を出産したが、それには大きな困難が立ちはだかっていた。
「美帆さんは2013年に多嚢胞性卵巣症候群という診断を受け、担当医に『妊娠しづらい体』だと宣告されていました。それを乗り越えての妊娠、出産で、担当医には『奇跡ですね』と言われたそうです。それだけに、岡江さんにとって初孫の誕生は心の底からうれしかったでしょうね」(別の知人)
美帆の出産のちょうど1週間後にイベントに出席した岡江は、美帆が里帰りで実家に戻ってきていることを明かし、
「朝昼晩の食事作りは最後の子育てだと思ってやっている。ちょうど朝の番組を終わって落ち着いて、この時期に孫ができて恵まれた」
と満面の笑みを浮かべていた。
「岡江さん、みんなにお孫さん誕生の喜びを話していましたけど、介護についてはほとんど知らせていませんでした。
『はなまる』終了後とはいえ、お母さまの介護に里帰りの娘の面倒と、あの頃はかなり大変だったはず。それでもいつも笑顔で何の苦労もないように見せる。どうやって乗り切っていたのかと思います」(前出・別の知人)
2017年11月に母親は他界。その1年後、美帆が離婚。慌ただしい日々は続いた。岡江はどうやって家族の転機を乗り越えたのか。後悔はないのか。なぜ笑顔でいられるのか──。
「今、振り返ると“もっと旅行に連れて行ってあげればよかった”とか、もっとできたんじゃないかなって思うことはあります。後悔というか…でも、介護生活を終えてわかったのは、やりきった、満足したって、なかなか言えないんじゃないかって」
──大変な介護だったと聞きました。
「晩年は認知症が進んでいましたしね…乗り越えられたのは、以前の母の元気な姿を覚えているからです。その頃のことを思い出しながら介護にあたっていました」
──介護で大切なことは何でしょうか。
「介護は、やりきった、満足したと言えるのが難しいぶん、頑張りすぎてしまう人がいる。ひとりで抱え込んでしまい、結果的に家族を巻き込んで共倒れになっちゃうケースがあります。私は自分の経験から、プロに頼んで分担するというのは重要だと思っています。
私の母の場合、施設の人たちが本当によくしてくださった。自分の家族のように接してくださって、お葬式では施設のかたがワーッて泣いてくれたんです」
──どんな葬儀だったのでしょうか。
「家族葬でした。生前、母から“葬儀は派手にしないでほしい”と言われていたので、母の希望通りにしました。お経は読まない音楽葬です。母の好きだった曲から私が選んで流しました」
話し終えると岡江は、茶目っ気たっぷりの表情でカメラマンに、「どうしよう、スッピンで。恥ずかしいなぁ…どうせなら、もっと明るいところで撮ってほしいわ~!」と言うと、照れ笑いを浮かべながら背筋を伸ばした。そんな彼女を隣で大和田が笑顔で見守っていた。
※女性セブン2019年5月23日号