宿敵・西武を倒して日本一になった1994年オフには、ヤクルトから広沢克己がFA移籍し、原が守るサードにはジャック・ハウエルがやってきた。それでも、たまに訪れるスタメンの機会で活路を見出そうとした。5月30日のヤクルト戦では『3番・サード』で出場し、4対6の9回裏には1死満塁という一打同点の場面で打席が回ってきた。
しかし、長嶋監督は前の打席にタイムリー二塁打を放っている原に代わって、『代打・吉村禎章』を告げた。俯きながらベンチに戻る原を尻目に打席に向かった吉村は、セカンドゴロ併殺打でゲームセット。試合後、野村克也監督は「原によう代打を出してくれた。原の方がイヤだった? いや、それは何とも言えんがな」と話している。
「この時(1994、1995年)の経験があるから、監督になった今、ベテランの亀井を取っておきの場面で代打に送るし、丸の2軍落ちというピンチにはスタメンで使っているのではないか。起用法で『おまえさんを頼りにしてるぞ』というメッセージを送っている。100号達成後の『200号を目指して頑張るでしょう』というコメントも粋です。今まで巨人を引っ張ってきたベテランを無碍に扱うと、チーム内の空気が悪くなるとわかっているからでしょう。
当時、吉村は長嶋監督に『原さんの代打だけは勘弁してください』と訴えたそうです。実際、原への代打はいずれも成功していない。原や高橋由伸、阿部慎之助、そして亀井と生え抜きのベテランは登場するだけで球場の雰囲気を一変させる力を持っている。原監督はファンの声援も味方になるとわかった上で、ベテランを上手く使っている印象です」
原監督は選手に対し、「この経験を肥やしにしないといけない」と頻繁にコメントする。自らが現役時代の苦い思い出を生かしているからこそ、説得力のある言葉になっているのかもしれない。