一体、いつ頃から業界外でも視聴率は話題に上るようになったのか。ビデオリサーチが調査を始めた1960年代から『NHK紅白歌合戦』が80%を超えたり、ボクシングのファイティング原田の世界タイトルマッチが60%に達したりすれば、1つのニュースになっていた。
「1970年代には土曜夜8時のドリフターズのTBS『8時だョ!全員集合』とコント55号の番組が視聴率を争い、『土8戦争』と言われていましたよね。1980年代になると、フジテレビが全日帯、ゴールデン帯、プライム帯の3部門で年間1位になったことを『視聴率三冠王』と言い始めました。1970年代にTBSが獲得した時、そのような言葉は使っていませんでした。
また、1982年頃には萩本欽一が『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ系)、『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)、『欽ちゃんの週刊欽曜日』(TBS系)など1週間の出演番組の合計から「視聴率100%男」と呼ばれました。1980年代に、一般的にも“視聴率”が馴染みのある言葉になったのかもしれません。当時から、高視聴率が話題になったことで、さらに注目が集まるという現象はあった」
視聴率が民放テレビ局の命運を握る側面
高視聴率があれば、低視聴率もある。1983年の『笑ってポン!』(TBS系)はビートたけし、たのきんトリオなど当時の人気者を集めたコント主体の番組だったが、わずか3か月で終了。その後、たけしが頻繁にネタにしており、終了後に知名度が上がるという不思議な現象が起こった。また、1994年10月から6か月間、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)と同じ平日の昼12時台に『まっ昼ま王!!』(テレビ朝日系)というバラエティ番組が放送されていた。しかし、1%台を連発し、0%台を記録した日もあった。レギュラーだった浅草キッドの水道橋博士は、近年もこの番組をネタにすることがある。
「放送していた頃から、一部ではネタにされていましたけど、最後まで数字は上がりませんでした。悪い数字が取り上げられて、嬉しい人はいないでしょう。ただ、芸人にとって低視聴率番組に出ていた過去は、おいしいネタになる。今のように全体的に低いと、ネタにしづらいですけどね。
しかも、当時はどの局も“世帯視聴率”の獲得を目標にしており、いわば“共通言語”があった。今は“コア視聴率”(49歳以下)重視になってきているが、局によって微妙にターゲットの年齢層が違うし、基準が統一されていないので、ネタにもできない。今回の松本さんの発言は世帯とコアの違いについて説明し、現代のテレビ事情を知った上で、ちゃんとした記事を書いてほしいという話なので、ネタにするしないの問題ではないと思います」