萩原さんとの思い出について、2019年5月4日放送のTBSラジオ『土曜朝6時 木梨の会。』に出演した水谷は、次のように語っている。
〈あれ(『傷だらけの天使』)始まったとき、いま、思い出すと、始まって間もなく『きょうウチ来る?』って言って、ショーケンさん、結婚してたんだけど、泊まっていけよって。泊まったんだ。一緒に風呂入れよって。2人でショーケンさんの家の風呂に一緒に入って背中流して、一緒につかって……そんなところから始まった〉
もう1人、水谷が「生涯の友」と語る俳優がいる。『太陽にほえろ!』で共演した松田優作さん(享年40)だ。岡田さんは、2人の出会いについて回顧する。
「当時、優作はほぼ新人の状態。豊は優作より3才年下ではありますが、キャリアとしては先輩でしたから、優作に芸能界とはどんなところなのかを教えるための、いわば教育係も兼ねて、再び犯人役に起用したんです」
2人はすぐさま意気投合。「豊ちゃん」「優作ちゃん」と呼び合い、2人で旅行に出かけるような関係になっていく。
そして、1975年『俺たちの勲章』、1979年『探偵物語』(ともに日本テレビ系)で共演。『俺たちの勲章』のもう1人の主役、中村雅俊(70才)とも出会い、友人関係を築いていった。
『傷だらけの天使』で知名度が上がる
1974年『傷だらけの天使』(日本テレビ系)では、萩原さんが演じる“雇われ探偵”小暮修の弟分・乾亨役を好演。この作品は社会現象となり、「アニキィ〜」という口癖や、スカジャンにリーゼントというファッションを真似た若者が街にあふれていた。
この亨役に水谷を指名したのが、萩原さんだった。
「『太陽にほえろ!』でマカロニが殉職し、ショーケンを主役にしたドラマの企画の話が持ち上がりました。
当時、まだ東京・麹町にあった日本テレビの喫茶店で、ショーケンとプロデューサーと私で話していて“ショーケンとコンビを組むのは誰がいいか”という話になりました。そのとき、ショーケンが『水谷くんでいこうよ』と、指名したんです」
『傷だらけの天使』をきっかけに水谷の知名度も上がっていったが、本心は複雑だったのではないかと、岡田さんは推察する。
「豊は立派に役をまっとうしていましたが、ショーケンや優作のサブ役で、『傷だらけの天使』でもまた二番手。彼の中ではいつか主役を演じたいという気持ちが強かったと思います。だからこそ、『熱中時代』(日本テレビ系)で教師という役に抜擢されたときは、ぼくもうれしかったです」
この『熱中時代』との出会いは、傷だらけだった俳優・水谷豊を一気にスターダムに押し上げていく。
(第2回に続く)
取材・文/廉屋友美乃
※女性セブン2021年12月9日号