萩原健一一覧

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水谷豊の黎明期 子役デビューと家出、ショーケン、優作との出会い
水谷豊の黎明期 子役デビューと家出、ショーケン、優作との出会い
 ドラマや映画、CMなどテレビで見ない日はない、水谷豊(69才)。俳優のトップランナーとして、常に主演を張り続けているが、その道のりは決して平たんではなかった。俳優歴50年を超える彼の素顔をよく知る人たちの証言から追った。【全3回の1回目】 *  * *16才のとき特撮ドラマでいきなり主演を飾る 水谷は子供の頃からかなりのテレビっ子だったと言うのは、社会学者の太田省一さん。「幼いながらに、『どうしてこんな小さな箱の中に映像が映し出されているんだろう』と不思議に感じ、『いつか自分もこの箱の中に入ってやろう』と思ったと、2008年の『SmaSTATION!!』(テレビ朝日系)で、話しています」(太田さん・以下同) 北海道・芦別生まれの水谷は、父の仕事の関係で、8才のとき、東京・立川市に引っ越した。転機は12才のとき。「立川で、水谷さんをかわいがってくれていた近所に住む女性から、児童劇団『劇団ひまわり』のパンフレットをもらい、即座に入団。すぐに舞台に出演するようになり、子役として活動を始めます。当時は山崎努さんや岸田今日子さん、橋爪功さんなどと共演したこともあったそうです」 16才のときに大きなチャンスを掴む。特撮ドラマ『バンパイヤ』(1968年)で800人の応募者の中から主役に大抜擢され、順調に俳優人生をスタートさせていく。 子役出身であることは、「いまもなお水谷さんの根底にある」と、映像ディレクターの池澤辰也さんは言う。「事あるごとに、『ぼくは子役出身だからさ』と、おっしゃるんです。ドラマの現場で子役出身の役者さんと一緒になると、『ぼくたち、子役あがり保存会だから』なんて、茶目っ気たっぷりに言いながら、すごく喜ばれるんです」(池澤さん) 1970年には、岩下志麻(80才)主演の『その人は女教師』で映画デビューも果たし、そのまま勢いに乗って活躍するかと思われた矢先、突如、水谷は芸能界から姿を消してしまう。突然の家出、そして… 思春期を迎えた水谷は、なんと引退を考え始めていたのだという。その決意は固く、1970年には『劇団ひまわり』を退団。アメリカの大学への進学を目指し、猛勉強を始めたのだ。だが、受験を前に父の会社が倒産。アメリカ行きを諦めた彼は、日本の大学受験を試みるも、失敗してしまう。その心の傷はとても大きかった。「目の前の道が閉ざされてしまった彼は、18才のときに家出をします。所持金はわずか400円。野宿をするも寒さで寝付けず、偶然出会った男性に世話になったり、山中湖畔のドライブインで住み込みのアルバイトをするなどして2か月間を過ごしたそうです」(太田さん・以下同) この家出は、その後の水谷をつくる、大きな出来事となる。「何か、劇的な出来事があって家出をしたわけではなく、自分探しといったところだと思いますね。でも、帰ってから、周囲の人に『なんか変わったね』と言われたと、音楽番組で語っていたことがありました。人生を考える上でいい機会になったのではないでしょうか」 自分探しの旅から戻り、19才となった水谷は、知り合いのプロデューサーから「ちょうど19才の役を探している」と声をかけられ、収入のいいアルバイトという感覚で、俳優の仕事を再開する。マカロニと対峙する犯人役にぴったり 俳優に戻った水谷は学園ドラマに出演。1960年代後半から1970年代は学園ドラマのブーム全盛期。数々の学園ドラマが制作されていた。水谷は『炎の青春』(1969年/日本テレビ系)で優等生役。その後、『飛び出せ!青春』(日本テレビ系)ではカンニングに手を染める生徒役を、『泣くな青春』(フジテレビ系)では、不良のリーダー役を演じている。 これらの役に目を留めたのが、元日本テレビプロデューサーの岡田晋吉さんだ。岡田さんは、当時の水谷の姿を次のように振り返る。「『炎の青春』と『飛び出せ!青春』に出ている豊を見て、10代の若者が持つ発散できないようなイライラ感を表現するのがうまいな、と思いました」(岡田さん・以下同) 当時、『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)の企画に携わっていた岡田さんは、水谷を犯人役に抜擢する。「『太陽にほえろ!』の第1話はショーケン(萩原健一さん・享年68)が演じるマカロニ刑事の登場シーンから始まります。 マカロニは、ピストルを撃ちたくて刑事になったような男で、刑事になっていなければ、犯人になっていたかもしれないという、危うい設定でした。マカロニと対峙し、そのキャラクターを浮き彫りにする犯人役には、豊がぴったりだと思ったのです」 岡田さんの予想は的中。2人の息はぴったりだった。「クライマックスシーンは印象的でしたね。後楽園球場で犯人役の豊を、マカロニ刑事のショーケンが走って追いかけるのですが、観客席は広くて段差があるので、途中で休んだり、いい加減に走っても編集でうまくつなぐことができるのですが、2人とも全力疾走! 懸命に走る彼らを見て、『このドラマは当たる!』と、私は確信したのです」 萩原さんとの思い出について、2019年5月4日放送のTBSラジオ『土曜朝6時 木梨の会。』に出演した水谷は、次のように語っている。〈あれ(『傷だらけの天使』)始まったとき、いま、思い出すと、始まって間もなく『きょうウチ来る?』って言って、ショーケンさん、結婚してたんだけど、泊まっていけよって。泊まったんだ。一緒に風呂入れよって。2人でショーケンさんの家の風呂に一緒に入って背中流して、一緒につかって……そんなところから始まった〉 もう1人、水谷が「生涯の友」と語る俳優がいる。『太陽にほえろ!』で共演した松田優作さん(享年40)だ。岡田さんは、2人の出会いについて回顧する。「当時、優作はほぼ新人の状態。豊は優作より3才年下ではありますが、キャリアとしては先輩でしたから、優作に芸能界とはどんなところなのかを教えるための、いわば教育係も兼ねて、再び犯人役に起用したんです」 2人はすぐさま意気投合。「豊ちゃん」「優作ちゃん」と呼び合い、2人で旅行に出かけるような関係になっていく。 そして、1975年『俺たちの勲章』、1979年『探偵物語』(ともに日本テレビ系)で共演。『俺たちの勲章』のもう1人の主役、中村雅俊(70才)とも出会い、友人関係を築いていった。『傷だらけの天使』で知名度が上がる 1974年『傷だらけの天使』(日本テレビ系)では、萩原さんが演じる“雇われ探偵”小暮修の弟分・乾亨役を好演。この作品は社会現象となり、「アニキィ〜」という口癖や、スカジャンにリーゼントというファッションを真似た若者が街にあふれていた。 この亨役に水谷を指名したのが、萩原さんだった。「『太陽にほえろ!』でマカロニが殉職し、ショーケンを主役にしたドラマの企画の話が持ち上がりました。 当時、まだ東京・麹町にあった日本テレビの喫茶店で、ショーケンとプロデューサーと私で話していて“ショーケンとコンビを組むのは誰がいいか”という話になりました。そのとき、ショーケンが『水谷くんでいこうよ』と、指名したんです」『傷だらけの天使』をきっかけに水谷の知名度も上がっていったが、本心は複雑だったのではないかと、岡田さんは推察する。「豊は立派に役をまっとうしていましたが、ショーケンや優作のサブ役で、『傷だらけの天使』でもまた二番手。彼の中ではいつか主役を演じたいという気持ちが強かったと思います。だからこそ、『熱中時代』(日本テレビ系)で教師という役に抜擢されたときは、ぼくもうれしかったです」 この『熱中時代』との出会いは、傷だらけだった俳優・水谷豊を一気にスターダムに押し上げていく。(第2回に続く)取材・文/廉屋友美乃※女性セブン2021年12月9日号
2021.11.30 16:00
女性セブン
「杉下右京」に出会うまでの道のりは?(時事通信フォト)
水谷豊、苦節の時代 「スターの相棒」が「杉下右京」に出会うまで
 水谷豊(69)が主演を務めるドラマ『相棒』(テレビ朝日系)が、「season20」の節目を迎えた。今でこそ「杉下右京」のイメージが定着した水谷だが、そこに行き着くまでには、長くスターの横で彼らの輝きを“引き立てる”苦節の時代があった。 今でこそ名優としての地位を不動にした水谷だが、その俳優人生は浮き沈みの連続だった。 水谷は根っからの俳優志望ではなかった。13歳の時に劇団ひまわりに入団し、子役として活躍したが、それは子供時代の一時の好奇心に過ぎなかったという。 実際、16歳で手塚治虫の漫画を原作とするドラマ『バンパイヤ』(フジテレビ系)の主人公に抜擢され、18歳で映画『その人は女教師』に出演したが、その年にあっさりと芸能界からフェードアウトする。 しかし、大学受験に失敗した後、家出して公園で野宿したり、住み込みでアルバイトをしたりしていた20歳の頃に、かつての知人に促されて稼ぎのために俳優として復帰することになった。 アルバイト感覚で始めた水谷だったが、本人の意思とは裏腹にオファーが殺到した。 ドラマ『太陽にほえろ!』(1972年・日本テレビ系)の記念すべき第1話で演じた犯人役もそのひとつだった。同作を手がけた元日本テレビプロデューサーの岡田晋吉氏が振り返る。「わかりやすい悪人ではなく、複雑な背景や人物像を演じられる若い役者が必要だった。そこでかねてから仕事をしたいと思っていた水谷君を起用することにしました。彼は若いけれど、芝居の上手さは抜群でしたから」『太陽にほえろ!』にはその後も度々犯人役としてゲスト出演し、刑事役のショーケンこと萩原健一や松田優作とも共演した。岡田氏によれば、起用にはこんな狙いもあったという。「ショーケンにしろ優作にしろ、当時はまだ俳優としての経験が少なかった。水谷君は年齢こそ2人より少し下ですが、役者としてのキャリアは長い。だから現場で彼らをサポートしてもらおうと思ったんです。 とくに優作の場合は、水谷君に『頼むよ』とリードしてもらっていました。撮影現場でカチンコが鳴ってから演技を始めるタイミング、石原裕次郎をはじめ大物俳優と一緒に仕事をしていく上での振る舞い方など、役者入門のガイドのような役割をこなしてくれましたね」(岡田氏) 優作とは初共演で意気投合し、暇さえあればつるんで遊んでいた。 それでも、スター俳優として眩い輝きを放ったショーケンや優作とは違い、水谷自身が脚光を浴びることはなかった。 好機が巡ってきたのは、ショーケンの弟分・アキラを演じたドラマ『傷だらけの天使』(1974年・日本テレビ系)だった。独特のイントネーションで「ア~ニキ~」と言いながらショーケンについて回る、ちょっと情けない水谷の不良役は、コミカルな中にも孤独と屈折を感じさせる演技で話題を呼んだ。 共演したホーン・ユキ(70)は、撮影現場での水谷の印象をこう語る。「やんちゃな若者という感じでしたね。よく覚えているのは“スカートめくり”。あの頃はスカートめくりが流行っていて、撮影の合間に水谷さんが近づいてきて、パッと私のスカートをめくり上げると、キャッキャと逃げていく。それを萩原さんや監督さんたちがゲラゲラ笑って見ているんです。今思えばたぶん、兄貴分の萩原さんがやらせたんでしょうね。 だけど、そんないたずらっぽさの一方で、緻密に考え抜いてキャラクターを作り上げていく真面目さもあった。もしかしたらスカートめくりも、役に合わせて勇気を振り絞ってやっていたことなのかもしれません」『傷だらけの天使』の放送直後には、アキラのリーゼントを真似る若者が急増するなど、ショーケンに並ぶ人気を得たが、「当時の水谷君には複雑な思いもあったのではないか」と、当作にも企画として携わった岡田氏は推し量る。「アキラ役を演じてもらった経緯は、ショーケンが『相手役は水谷君がいい』と提案してきたからなのですが、こちらとしては、ショーケンが現場で多少わがままに振る舞っても、水谷君がいれば上手くこなしてくれるだろうという考えもありました。 水谷君にとっては、またしてもサブみたいな役どころは嬉しくなかったかもしれない。自分が主役をやりたいという気持ちも抱えていたんじゃないかな。実際、キャリア的にもそろそろ主演を務める時期にきていたし、いつまでもショーケンや優作を仰ぎ見るポジションに甘んじていることは、本意ではなかったと思う」(岡田氏)1番ショート 雌伏の時期もあった水谷が大きな「主役」を勝ち取ったのが、1978年のドラマ『熱中時代』(日本テレビ系)だ。 役どころはアキラとはまったく違う、真面目で朴訥な小学校の新米教師・北野広大。熱血漢で底抜けに明るい北野先生は子供から大人まで魅了し、最高視聴率は46.7%を記録した。 お茶の間が文字通り“熱中”し、北野先生に憧れて教師を志すようになった子供や若者も少なくなかった。劇中、警察官役として共演していた谷隼人(75)が語る。「厳しくて細かい演出家の要望を、遥かに超えるような演技でこなしていく。小回りがきくし、本当に上手いなあ~と感心しましたね。子供たちに呼びかける時の『先生はね~』という独特のセリフ回しをはじめ、北野広大という教師のキャラクターをしっかり作り込んでいた。 僕は喧嘩仲間のお巡りさん役で、豊ちゃんとはやり合うシーンが多く、丁々発止のやり取りは演じていても楽しかったですね。僕が豊ちゃんの肩に手をかけると、豊ちゃんがその手をパッと外す。打てば響くというか、タイミングとかリズム感がすごく良かった。 ゴールデンタイムのドラマ主演ということで、もちろん気合は入っていたと思うけど、そういう素振りは少しも見せない。気迫は感じさせても、気負いは決して見せないところが豊ちゃんの凄いところです」 谷はショーケンや優作と水谷を比較して、こう続ける。「2人は野球にたとえるなら4番DHみたいな存在。一方、豊ちゃんは1番ショート。守備も上手くて盗塁もする。ホームランもそこそこ打つけど、打率をしっかり残す。主役だけど共演相手にも光を当てて、活かすことができる。今の『相棒』にもどこか通じていますよね」 先輩であり親友だった岸田森(享年43)は、当時の水谷についてこう語っていた。〈豊は常に、極限、極限の連続で生きている男です。こんなに極限、極限で生きていたんでは、最終的に自殺する可能性さえあると思うんですよ〉(『微笑』1979年2月24日号)見つけ出した役者像『熱中時代』を経て、役者としてのキャリアに花を咲かせた水谷だが、その後はしばらく大役から離れる時期が続いた。 極限まで役作りに没入する性格上、立て続けに仕事を入れることはなく、ひとつの仕事が終わるたびに長期休暇を取ることが珍しくなかった。 水谷の中では、『熱中時代』のブレイクすら自分の求めたものではなかったという。かつて『non-no』(1981年10月20日号)のインタビューで、同作が消化不良だったと明かした上でこう語っている。〈大体僕は普段から楽になりたぁい、楽になりたぁーいと思ってますからね、心身ともに。(中略)かるーくやりたいという気持ちがあるんですよ〉 多忙な芸能活動からしばらく距離を置いた水谷が、再びスポットライトを浴びるきっかけになったのが、47歳で出会った『相棒』だったのだ。2016年まで『相棒』シリーズの演出を務めた映画監督の和泉聖治氏が語る。「右京のキャラクターもあるけど、緊張感を与えない大御所って、この業界では珍しいんですよね。武闘派の萩原健一さん、無頼派の松田優作さんと、昭和のスターはみな周囲に威圧感と緊張感を与える存在でした。でも、豊さんは違う。張り詰めたものを一切感じさせない。あの空気感は唯一無二です。 萩原さんと松田さんを間近で見て、2人が亡くなった今でも一線でやっている同年代の役者は豊さんだけ。自分だけの役者像をようやく見つけ出したのかな。豊さんの“いつまでも変わらないテンション”がある限り、『相棒』シリーズはこれからも続いていくと思います」 冷静沈着に犯人を追い詰める右京は、水谷の半生があってこそ生まれたものだった。※週刊ポスト2021年10月29日号
2021.10.20 07:00
週刊ポスト
沢田研二ソロ50周年 伝説はここから始まった!白馬の王子様からの七変化
沢田研二ソロ50周年 伝説はここから始まった!白馬の王子様からの七変化
 まばゆいばかりの1970~1980年代をリードし、平成を駆け抜け、令和でも精力的に活動するジュリーこと沢田研二(73才)。いまも、輝き続けているジュリーの魅力に迫る──。「ジュリーは、人生がロックそのもの」と、沢田好きで有名なミュージシャンのダイアモンド☆ユカイ(59才)は熱く語る。「常に新しいジュリー像を作り出そうと戦ってきた人。過去よりもいまのベストな表現を求め、思い切り生きるジュリーは永遠のロックスターです」(ユカイ) 伝説は1967年、19才でバンド『ザ・タイガース』のメンバーとしてデビューしたことから始まる。 ジュリーと呼ばれるようになった経緯を、沢田は自叙伝(『我が名は、ジュリー』中央公論社)の中でこう明かす。《僕ははじめ、沢ノ井謙(※1)になりかかったんです。僕はジュリー・アンドリュースが好きだった。(中略)ステージで、ジュリーですと言ったら、ファンの人がすぐそう呼んでくれて~》(※1 「沢ノ井謙」は、デビュー前からの恩人で先輩ミュージシャンの内田裕也さん(享年79)が考案し、ジュリーにすすめた幻の芸名) いまから54年前のことだ。『シーサイド・バウンド』『君だけに愛を』『銀河のロマンス/花の首飾り』などのヒットで、ザ・タイガースは一躍スターダムへ駆け上る。だがその活動は4年で終了し、ソロ・沢田研二が、1971年に誕生する。 そんな《草創期》のジュリーに魅了された、とダイアモンド☆ユカイは言う。「ぼくがファンになったのは小学3年生の頃。親友から『沢田研二ってかっこいいんだよ』と教えられ、首を振りながら『許されない愛』を歌うジュリーの姿を見たのが最初です。女子が熱狂していた “新御三家”(※2)とは違う大人っぽさを感じ、ジュリーでかっこよさに目覚めたんです」(ユカイ)(※2 新御三家は、1970年代に男性アイドル歌手として絶大な人気を得た、郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎の3人の総称)白馬の王子様からイメージが七変化 1971年はジュリーにとって激動の年だった。ザ・タイガースが解散し、ソロデビューするまでの間に、『PYG(ピッグ)』(※3)という6人組のロックバンドも結成している。(※3 PYGは、1971年にザ・タイガース、ザ・テンプターズ、ザ・スパイダースから2人ずつメンバーが集結。沢田研二と萩原健一さんがツインボーカルを務めた)「ただメンバーのショーケン(萩原健一さん、享年68)が役者に傾倒し、PYGはほどなく自然消滅しました」 そう当時を振り返るのは、50年来のファンで『沢田研二大研究』(青弓社)の著者である國府田公子(こおだ・きみこ)さんだ。「その後、ソロになったジュリーは、当時はフルバンドで歌うのが当たり前だったテレビ局の常識を覆し、自前のバンドで歌番組に登場。歌謡界に風穴を開けたんです」(國府田さん) また、音楽評論家のスージー鈴木さんは、「いまから考えるとソロ初シングルが『君をのせて』で本当によかった」と語る。「 “日本版・明日に架ける橋”と評する声もあるほど。ロックバンドへのこだわりが強かった沢田研二の、シンガーとしての側面を見ることができた、傑作バラードでしたね」(スージーさん) その『君をのせて』の作曲者・宮川泰さんが、《君の色気は天下一品。男が惚れる色気で、千年に1人出るかどうかのスーパースター》(※4)と評したように、色気とルックス、甘い歌声が作家陣の創作意欲をかき立てた点も見逃せない。(※4 2001年放送で沢田研二出演の『スタジオパークからこんにちは』(NHK)で紹介された手紙より)「沢田研二は、新曲ごとにイメージの殻を破る。そこがすごいところ」(ユカイ) オリコン1位と日本歌謡大賞を初獲得した『危険なふたり』は、作詞・安井かずみ、作曲・加瀬邦彦による軽快なロックだが、その後も沢田の変化は続く。「PYG結成時は“白馬の王子様のジュリーが不良になっちゃうのでは”と心配しましたが、その後、さらにイメチェンに拍車がかかりました」(國府田さん) フランス志向の曲も発表し、アイシャドーなどのメイクにも挑戦し始める。「沢田さんのスタッフをしていた知人の話では、沢田さんは、『なんでも自分の歌にする!』というスタンスなのだそうです。つまり、どんな曲でも自分の歌にしてしまう自信と、作家が要求する“まな板の鯉”になる覚悟がある。それがいかに圧倒的な才能に裏打ちされたものか。同じシンガーだからこそ、その凄(すご)みがわかるんです」(ユカイ)【ダイアモンド☆ユカイの沢田研二『わが心のベスト3』】1位『時の過ぎゆくままに』(1975年)作詞:阿久悠、作曲・編曲:大野克夫ドラマ『悪魔のようなあいつ』(TBS系)の主題歌。大野克夫さんの曲はコンペで選ばれた。2位『気になるお前』(1973年)作詞:安井かずみ、作曲:加瀬邦彦、編曲:Harry Robinson洋楽的な魅力の隠れた名曲。コンサートでも人気で、ユカイ自身もカバーしている。3位『魅せられた夜』(1973年)作詞・作曲:J. Renard、訳詞:安井かずみ、編曲:東海林修ソロ草創期のフレンチポップス系の楽曲。【プロフィール】ダイアモンド☆ユカイ/ミュージシャン。1962年生まれ、東京都田無市出身。『RED WARRIORS』のボーカルとしてデビュー。俳優、声優、タレントとしても活躍中。取材・文/北武司 撮影/浅野剛 写真/女性セブン写真部 ※女性セブン2021年9月2日号
2021.08.23 11:00
女性セブン
菅原文太とガッツ石松はその後「飲み友達」に(共同)
ガッツ石松が明かす高倉健、菅原文太、そして萩原健一の秘密
『週刊ポスト』の人気企画「昭和のライバル秘話」シリーズでは、5月10日発売号で、東映任侠映画の二大スター、高倉健VS菅原文太を取り上げている。後輩だった菅原が高倉を立てつつも、まったく違うヤクザの姿を演じた熱演にファンは酔いしれたものだ。同企画で二人との共演の思い出を語ったのがガッツ石松氏。高倉&菅原の最後のそろい踏みになった『神戸国際ギャング』(1975年公開)に若い衆の役で出演している。二人を「俺たちの時代のヒーロー」と語るガッツ氏に、改めて思い出を聞いた。 * * *『神戸国際ギャング』は昭和50年だよな。健さんが親分で、その若い衆の一人として出させてもらった。健さんと文太さんは俺たちの時代のヒーローじゃないですか。そりゃ、うれしかったよね。当時、俺は現役の世界チャンピオンだったの(WBC世界ライト級王座)。しかも、その時はちょうど日本人の世界チャンピオンがガッツ石松しかいなかったんだよ。だから、東映の任侠映画の生みの親といわれた俊藤浩滋さん(東映プロデューサー)がね、「ガッツ石松を出したら面白いんじゃないか」ということでキャスティングしたんだと思う。 唯一の現役王者だから、健さんや文太さんから見てもスポーツ界のヒーローだというんで、撮影ではよくしてくれたよ。スタッフがあれこれ俺にぞんざいに指示してカチンとくることもあったんだけど、そういう時は健さんが、「おい、それはないだろう」と注意してくれていたね。健さんは明治大学でボクシングをやってたということで、興味もあったんだろうね。撮影の合間にシャドーボクシングを見せてくれたりもしたよ。 文太さんとは、その撮影から仲良くなったんだよね。よく酒を飲んだりもしたね。俺が新宿でやっていたサパークラブにもよく飲みにきてくれたよ。世間では、男が嫁さんの尻に敷かれてるとか、子供の家庭内暴力がひどいなんて言われてる時代だったから、親父が一家の柱として雷をドーンと落とさなきゃダメだ、なんて話を俺がして盛り上がってね。それで俺が発案、文太さんには会長になってもらって『雷おやじの会』なんてのを作ったの。相撲の輪島さんや坂本九さんなんかもメンバーだったよ。 健さんはお酒は飲まないから飲みにはこなかったけど、撮影では必ず自分用のコーヒーを持ってくるんだよ。それを俺にもくれるわけ。なんていうのかなあ、ミルクの入った甘いコーヒーだったのを覚えてるよ。 健さんとは、マイケル・ダグラス主演の映画『ブラック・レイン』でも共演したけど、俺が大阪府警に捕まるシーンを撮ってる時に、健さんは隅っこのほうでじっと見ていてくれてね。シーンが終わって健さんのほうを見たら、指でOKサインを出して「良かったよ」とうなずいてくれていたね。 健さんも文太さんもヒーローだから、俺は自分の長男に二人の名前をとって「健太」とつけたんだよ。ショーケン(萩原健一)の『傷だらけの天使』にゲスト出演したことがあるんだけど、その時に息子の名前の話をショーケンにしたことがあるんです。そしたらそれをショーケンが劇中でよく使ったんだね。「オサムちゃん」が息子のことを話す時に、必ず「高倉健の健、菅原文太の太で健太っていうんですよ」というのは、俺がショーケンに話したことなの。 * * * ガッツ氏が思い出を語った高倉健も菅原文太も、そして萩原健一もすでに鬼籍に入った。昭和は遠くなりにけりだが、それぞれの出演作は時代を超えて愛され続けている。
2021.05.10 07:00
NEWSポストセブン
萩原健一vs松田優作
萩原健一vs松田優作 若者のカリスマだった2人の強烈なライバル心
 刑事ドラマの金字塔『太陽にほえろ!』(日本テレビ・1972年~)でマカロニ役を演じた萩原健一と、1年で殉職したマカロニの後を継いだジーパン役の松田優作。その後、2人は「若者のカリスマ」として、何かと比較される存在となった。昭和の時代を熱く彩ったライバル秘話を振り返る。『太陽にほえろ!』のプロデューサー、岡田晋吉氏によれば、松田は萩原を強烈に意識していたという。「年齢は優作がひとつ年上ですが、すでにザ・テンプターズのボーカリストとして名声のあったショーケンと違い、優作は無名の役者。切羽詰まった思いと、役者としてのプライドから現場でも『新人扱いはやめてくれ』とよく怒っていました。最後は優作のほうから『ショーケンが1年で辞めたなら、僕も1年で辞めたい』と言ってきた」(岡田氏)「なんじゃあ、こりゃあ」というジーパンの殉職シーンは鮮烈で、2人の後『太陽にほえろ!』では刑事が殉職するのがお決まりに。実は殉職というアイデアは、ショーケンからの提案だった。「ショーケンはアドリブで吸っているタバコを道路にポンと捨てたり、ツバを吐いたりするのだが、夜8時台のドラマではそんなシーンは描けない。でもショーケンにはタバコを投げ捨てるところまでが俺の演技だという思いがあって、『悔しさみたいなものが、落ちたタバコにはあるんだ』と主張していた。そういうズレもあって番組を降りたかったのでしょう。降板後、視聴率に貢献したご褒美として、『好きにやっていいよ』と企画したのが、夜10時台の『傷だらけの天使』(日テレ・1974年~)でした。 次々と演技の常識を破るショーケンを意識しないわけにはいかないでしょう。優作の『探偵物語』(日テレ・1979年~)は、自分も『傷だらけの天使』みたいな作品を作りたいという思いが反映された作品です」(同前) 2人と共演経験のあるホーン・ユキは役者としての違いをこう語る。「萩原さんは感性でお芝居をする俳優。一方の優作さんは隅々まで細かい計算をして、視聴者にはアドリブに見えるようにするなど、演技を考え抜く俳優でした。『探偵物語』で私が下着になるシーンでは、私が冷えないように『早くしろよ』と言ってくれるなど、スタッフや共演者に細かい気遣いをしてくれた」 優作がショーケンの軛から抜け出した瞬間を、岡田氏はこう記憶する。「映画『家族ゲーム』(1983年)で日本アカデミー賞優秀主演男優賞を獲得したとき、記念パーティーで私に『僕が賞を獲るとは思わなかったでしょう』と嬉しそうに話しかけてきました。ひとりの役者としての評価を勝ち取ったことを無邪気に喜んでいるようでした」 ショーケンという強烈な個性が、優作というもうひとつの圧倒的個性を生み出した。※週刊ポスト2021年4月30日号
2021.04.17 11:00
週刊ポスト
青島・室井も名コンビだった(左が織田裕二、右が柳葉敏郎。時事通信フォト)
萩原健一&水谷豊、舘ひろし&柴田恭兵… 昭和ドラマの名コンビ
 今も昔も傑作と言われるドラマのジャンルに“バディもの”がある。暑苦しい男同士から異色の男女タッグまで、多様なコンビがドラマを彩ってきた──。 名バディが活躍するドラマの先駆けとして強烈なインパクトを残したのが、木暮修(萩原健一)と乾亨(水谷豊)の『傷だらけの天使』(1974年・日本テレビ系)である。 探偵事務所で汚れ仕事ばかりさせられるチンピラ風情の修と、彼を「兄貴」と呼んで慕う亨。その不思議な関係性に当時の若者は夢中になった。同ドラマの大ファンである漫画家の杉作J太郎氏が語る。「放送翌日、学校は『傷だらけの天使』の話題でもちきりでした。行き場を失った“兄貴”と“亨”は組まざるを得ない状況で、お互い依存し合っている。だけどどちらも信じ切ってはいないという奇妙な関係でした。 最終回で、風邪をこじらせて亡くなってしまった亨を風呂に入れて『あったかいだろう』と言いながら、いつも『女を抱きたい』と口にしていた亨の体にヌード写真を貼ってやる。その後、亨の遺体をドラム缶に入れ、リヤカーに載せてごみ処理場に運び捨てて逃げ帰る……。若者のやりきれない挫折を描いたシーンで、今でも伝説です」 他のファンからも懐かしむ声が上がった。「『ア~ニキ~!』って言い方の真似ばかりしていた。亨の情けないけど憎めない感じがすごく好きだった」(60歳会社員)「汚い部屋で、牛乳をこぼしながらガブ飲みし、トマトと缶詰のコンビーフをむさぼり食うオープニングのショーケンの姿はとにかくカッコよかった」(65歳自営業)マツが語る「トミーとオレ」 1970年代に数々の名コンビを生んだのは刑事ドラマだった。 特に支持されたのが、『俺たちの勲章』(1975年・日本テレビ系)の中野祐二(松田優作)と五十嵐貴久(中村雅俊)だ。中野は武闘派で革ジャンにグラサン。後輩の五十嵐は優しくて涙もろく、スリーピースのスーツと、キャラも服装も正反対だった。「街中でドンパチやっちゃうくせに、危なくなるとアラシ(五十嵐)に『お前、先に行けっ!』って(笑い)。ちょっと笑える松田優作が最高でした」(63歳会社員) 同作の企画を務めた日本テレビの元ドラマプロデューサー・岡田晋吉氏が振り返る。「キャラクターが正反対の2人を組ませたら面白いと考えた。“犯人が罪を犯せば、監獄にぶち込める”と考えて行動する優作に対し、雅俊は“被害者を出さないために犯罪を未然に防ぐ”という思いで現場に駆けつける。タイプの違う2人の衝突がウケた」 好対照な関係といえば、『華麗なる刑事』(1977年・フジテレビ系)の高村一平(草刈正雄)と南郷五郎(田中邦衛)も忘れられない。「草刈さんがロサンゼルス市警帰りのエリート刑事、田中さんは鹿児島訛りが強い叩き上げ。これほどハマった“デコボココンビ”はいませんでした」(杉作氏) テレビ文化史を専門とする日本大学名誉教授・こうたきてつや氏が「刑事ドラマにコメディ要素を“初めて意図的に入れた”という点で画期的」と評するのが、岡野富夫(国広富之)と松山進(松崎しげる)の『噂の刑事トミーとマツ』(1979年・TBS系)だ。 松崎しげる氏に話を聞くと、作品名は松崎氏の提案だったと明かす。「オファー時は『噂の刑事』というタイトルでした。しかし、『白バイ野郎ジョン&パンチ』『刑事スタスキー&ハッチ』といった米国の映画やドラマをよく見ていたので、普段から呼ばれていた国広君のトミーと僕のマツを取って『噂の刑事トミーとマツ』にしたら面白いかもって提案したら採用されたんです。国広君とはそれまで面識がなく、最初の1、2話はぎこちなかった。だから彼をよく家に呼んで酒を飲み、いろんな話をしましたよ」「OK、タカ!」 1980年代の空気を体現した作品が、「タカ」こと鷹山敏樹(舘ひろし)と「ユージ」こと大下勇次(柴田恭兵)の『あぶない刑事』(1986年・日本テレビ系)だ。「それまでの刑事ドラマの男臭さを排した軽妙でスタイリッシュなコンビでした。当時は“あなたはタカ派かユージ派か”が大きく話題になりました。私は断然ユージ派。クールでクレバー。射撃と運転が上手いところも憧れました」(テレビ解説者の木村隆志氏) この『あぶ刑事』を手がけたのも前出・岡田氏である。「時代に合わせて、思い切ってコメディに振り切りました。“現実にはありえない設定でもいい”と割り切って、舘君と柴田君の魅力を前面に押し出した。当時、ゴルフをやっていなかった柴田君を舘君が誘ったりして、仲良くやってくれた。そういう人間性を持った役者を使わないと、名コンビは生まれません」「いくぜ、ユージ!」「OK、タカ!」──2人の掛け合いを真似する若者が続出した。 1980年代には刑事ドラマ以外にも2人組の要素が取り入れられた。徳川龍之介(田原俊彦)と榎本英樹(野村宏伸)の『教師びんびん物語』(1988年・フジテレビ系)だ。「『あぶ刑事』と同じように、『榎本~』『先ぱぁ~い』の掛け合いがクセになります。後輩教師である榎本の情けないけど可愛らしい感じがとてもハマリ役で、当時の人気も凄かった」(ドラマ評論家の田幸和歌子氏) 平成に入ると青島俊作(織田裕二)と室井慎次(柳葉敏郎)の『踊る大捜査線』(1997年・フジテレビ系)のような“キャリア組の上司と現場の刑事”というコンビ間格差を描くドラマや『相棒』(2000年~・テレビ朝日系)のように杉下右京(水谷豊)が亀山薫(寺脇康文)、神戸尊(及川光博)、甲斐亨(成宮寛貴)、冠城亘(反町隆史)と“相棒”を替えていくロングヒットも生まれた。「初めは室井に不信感を抱いていた青島が『室井さんみたいな人がいるなら俺は安心して下にいます』と信頼を寄せ、室井も『責任を取る。それが私の仕事だ』と立場の違う2人が段々と信じ合っていく。絆の強さを感じさせる名コンビでした。『相棒』では歴代の右京さんの相棒のなかでも肉体派で熱血漢の亀山君が、インパクトが強かった。普段は冷静な右京さんが亀山君の行き過ぎた行動に『やめなさい!』と感情的になる場面も多かった。歴代の『相棒』の中でも人間味が溢れていたコンビだと思います」(同前) その後、増えてきたのは“男女コンビ”。柴田純(中谷美紀)と真山徹(渡部篤郎)の東大卒のキャリア女性と元公安の刑事の組み合わせで大ヒットした『ケイゾク』(1999年・TBS系)や山田奈緒子(仲間由紀恵)と上田次郎(阿部寛)の自称マジシャンと自称天才科学者が組み合わせの『トリック』(2000年・テレビ朝日系)が人気を呼んだ。 現在大ヒット中の『天国と地獄~サイコな2人~』(TBS系)も女刑事・望月彩子(綾瀬はるか)とサイコパスな殺人鬼・日高陽斗(高橋一生)の魂が入れ代わるという設定で男女バディの流れが受け継がれている。 令和にも昭和の名作に負けない“バディ”が登場するか。※週刊ポスト2021年2月19日号
2021.02.10 07:00
週刊ポスト
下條アトム「緒形拳さんは、とにかくスペシャルな方でした」
下條アトム「緒形拳さんは、とにかくスペシャルな方でした」
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、役者の家に生まれた下條アトムが、過去に共演した萩原健一さん、渥美清さん、緒形拳さんについて語った言葉を春日氏がお届けする。 * * * 下條アトムは『信子とおばあちゃん』(一九六九年)、『藍より青く』(七二年)というNHK朝の連続テレビ小説に出演したことをきっかけに、俳優としての仕事を増やしていった。「その辺りから食えるようになって、とんとん拍子で三十ぐらいまではやらせてもらいました。 ただ、そのせいで、なかなか売れなくて我慢することを知って…自分を押し出すだけが役者ではない──という世界でやってきた人が四十・五十になって売れた場合に比べると人間の深みがなかなか出ないんですよね。 一つ受けたらば、『よし、よかった』とひと息ついたり。台本を三冊ぐらい掛け持ちしてないと落ち着かないとかいうこともありましたね。そういう時期のテレビドラマを駆け抜けました。 そのおかげで他の仕事をしないで、生業として食えてきたというのはあります」 七三年には萩原健一主演の時代劇『風の中のあいつ』(TBS)に出演、萩原扮する主人公の渡世人「黒駒の勝蔵」と共に旅する弟分を演じた。「ショーケンはやんちゃなところがありましたから、現場は大変でした。よく前田吟ちゃんが間に入っていました。でも、ショーケンは作品に対するピュアな情熱があったから、やっていて楽しかった。何を言ってきても、愛嬌があるから許せちゃう。 作品自体も楽しかったですね。何をやってもいい。監督も含めて『面白くやれ』という感じで規制がありませんでした。ショーケン自体もそうでしたが、既成のものを壊していきたいっていうエネルギーがありました。 今の若い子はびっくりするくらい大人っぽい。ですから、生意気な人をときどき見ると、『あっ、こいついける』と思っちゃうんですよね」 同年のテレビドラマ『こんな男でよかったら』(読売テレビ)にも出演。主演は渥美清だった。「雲の上の人ですが、可愛がってもらいました。関敬六さんのお店に飲みに誘われた時はハイヤーで家まで送ってもらって。 千葉のスナックで飲んだ時は、店から出たら道中に人が溢れているんですよ。渥美さんに会いたくて。その中をかきわけながらハイヤーを待たせているところまで歩く。日本ではスターを放っておいてくれないんですよね。だから、日常がない。 ですから、その日常も含めて、渥美さんは役として演じるしかない。オンオフではなくてね。そういうのを感じました」 七七年の映画『八甲田山』では遭難する兵の一人を演じ、緒形拳と行動と共にしている。「緒形さんにも可愛がってもらいました。とにかくスペシャルな方でした。『八甲田山』の時は家でもわざわざ暖房のない寒い中で過ごしたりとか、役に対してストイックで。 僕、『教えてください。下條ってどうなんですか?』と緒形さんに聞いたことがあります。 そうしたら『お前、ホワイトカラーの役はやらない方がいいよ。そういうキャラクターじゃない』と。縦割り社会で自分を隠して生きる役よりも、自由に自分を出せる役の方が合うということなんだと思います」●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。■撮影/藤岡雅樹※週刊ポスト2020年8月14・21日号
2020.08.12 16:00
週刊ポスト
『失楽園』は最高視聴率27.3%を記録
ドラマの再放送は出演者に許諾必要「1割程度のギャラも発生」
 新型コロナの感染拡大によりドラマの撮影延期を余儀なくされたテレビ局は、過去作品の再放送で凌いでいる。だが、何でも再放送できるかというとそうではないらしい。有名女優の“お色気シーン”がネックになるケースもある。『失楽園』(1997年・日本テレビ系 最高視聴率27.3%)は、主演の川島なお美が毎週のように大胆な濡れ場を披露し、話題を呼んだ。「夜10時台に、バストトップが普通に映し出される。渡辺淳一さんの原作を川島さんが体当たりで再現した作品ですが、いまは地上波でのそこまでの露出はNG。深夜帯でも再放送は難しいでしょう」(テレビ誌記者) 萩原健一主演の『傷だらけの天使』(1974年・日本テレビ系 最高視聴率19.9%)は、深作欣二、神代辰巳ら錚々たる映画監督が各話の演出を務めたこともあり、再放送を望む視聴者は多いが、こちらもお色気シーンの多さが懸案という。「第1話から毎話のように女優が脱いでおり、地上波での再放送は望み薄。昨年3月にショーケンが亡くなった際に追悼企画で再放送されましたが、BSでした」(同前) 女優ヌードという点で語り草になっているのが、『悪魔のKISS』(1993年・フジテレビ系 最高視聴率16.9%)だ。まだ無名だった常盤貴子が風俗嬢役で出演したが、「常盤の所属事務所が再放送に前向きでないと言われている。DVD化もされていません」(同前)。 性に興味津々な思春期の男子中学生3人組が繰り広げる、ちょっとエッチでコミカルなドラマ『毎度おさわがせします』(1985年・TBS系 最高視聴率26.3%)では、こんなことが。「劇中、ヒロインの中山美穂が瑞々しいセミヌードを披露しましたが、以前再放送された際にはそのシーンだけがカットされました。DVD版でも同じです」(同前) ドラマ再放送時の局側と事務所の取り決めについて、キー局ディレクターはこう語る。「再放送の際、出演者には『二次使用料』として放送時の1割程度のギャラが発生するので、基本的にはキャスト全員に放送の承諾を取ります。 断わられることはまずありませんが、無名時代の役柄によっては“現在のイメージが崩れる”と、事務所が難色を示すケースもある。その場合は当該シーンをカットして編集したり、放送自体がNGになることもあります」※週刊ポスト2020年5月22・29日号
2020.05.19 16:00
週刊ポスト
時代劇研究家が厳選 いま、家で観られる名作時代劇10の魅力
時代劇研究家が厳選 いま、家で観られる名作時代劇10の魅力
 新型コロナウイルス蔓延による外出自粛令が出ているが、自宅で過ごす今は、これまで手を出せなかった映画・ドラマに挑戦する絶好の機会だ。なかでも注目を集めているのが「時代劇」。新著『時代劇入門』がベストセラーになり、往年の名作を知り尽くす時代劇研究家・春日太一氏が、時代劇の魅力を存分に味わえる10作品を紹介する。 * * * 時代劇というと『水戸黄門』『暴れん坊将軍』『遠山の金さん』といった、ワンパターンの勧善懲悪ものばかり―と思っている方は少なくないかもしれません。 でも、それは大きな誤解。アクションの多彩さ、感情描写の豊かさ、ストーリーの多様さ……時代劇は様々な魅力に富んだ奥深いジャンルです。 そしてなにより、そこに映し出されるのは現代と全く異なる空想の世界。外出自粛で気づまりな毎日、時代劇を観ながら一時だけでも現実を忘れてみてはいかがでしょうか。 今回は、配信や再放送でご自宅でも気軽に楽しめる時代劇作品を、幅広く集めてみました。まずはスケールの大きなアクションを堪能できる作品から紹介していきましょう。◆『隠し砦の三悪人』 黒澤明監督によるエンターテインメント大作です。『スター・ウォーズ』の原点になった作品でもあり、とにかく息をつかせない。 時は戦国時代。城を攻め落とされた姫を守って、敵の包囲網の中を同盟国まで送り届けようとする侍を三船敏郎が演じます。次々と襲い掛かるピンチを切り抜けていくサスペンス、馬を駆使したチェイスシーンと馬上での斬り合い―壮大なアクションに引き込まれます。◆『子連れ狼 地獄へ行くぞ!大五郎』 小池一夫の人気劇画の映画化第6作。毎回、趣向を凝らしたアクションやバイオレンスが展開されていくシリーズですが、中でも本作は凄まじい。 特にラストは雪山での死闘。スキーを駆使して襲い掛かる柳生の忍者軍団に対して、主人公の拝一刀(若山富三郎)は乳母車をソリにして迎え撃つ。乳母車の上に仁王立ちになっての殺陣など、若山の身体を張ったアクションに注目です。◆『魔界転生』 天草の乱の絶望から魔界と手を結んだ天草四郎(沢田研二)が、その妖術により宮本武蔵(緒形拳)、宝蔵院胤舜(室田日出男)、柳生但馬守(若山富三郎)といった名だたる剣豪たちを仲間に引き入れ、幕府を滅ぼさんとする。そこに千葉真一演じる柳生十兵衛がたったひとりで立ち向かいます。 剣豪版アベンジャーズともいえる面々が勢ぞろいし、壮絶な死闘が展開される。千葉の躍動感あふれる殺陣に対し、若山、緒形は非常に重厚。その激突は手に汗握ります。◆『座頭市物語』 登場人物に感情移入できるのも、時代劇の大きな魅力です。 映画『座頭市物語』は、勝新太郎がその代名詞となるヒーロー・座頭市を演じたシリーズの第一作。盲目の按摩でありながら、居合の腕が凄まじい座頭市がやくざの抗争に巻き込まれていく。 釣りを通じて心を通わせるようになった肺病の浪人は、敵対する組織の用心棒だった―。組織から爪弾きにされた者同士の育む友情と、やがて斬り合わなければならない哀しい宿命が、詩情感あふれる映像の中で表現されていきます。◆『風の中のあいつ』 ショーケンこと萩原健一主演の青春時代劇です。清水次郎長を主人公にした時代劇では悪役として描かれる「黒駒の勝蔵」が主役に据えられ、その若き日のドラマが描かれます。当時の若者のアイコンだった萩原の演じる勝蔵は、決してヒロイックではありません。薄汚い身なり、猫背、うつむきがちな表情。現代劇と同じく、挫折感を背負った青年として演じていました。世間と折り合いをつけて生きられない若者の苛立ちと悲しみが心に響きます。◆『鬼平犯科帳』 盗賊たちを取り締まる火付盗賊改方長官・長谷川平蔵(中村吉右衛門)やその配下の同心や密偵たちの活躍が描かれます。 ハードボイルドな物語展開も大きな魅力ですが、なんといっても江戸情緒あふれる映像が素晴らしい。特に、エンディングロール。江戸の四季の模様がジプシー・キングスによる哀切なメロディに乗って映し出され、最高の余韻を与えてくれます。厳しさだけでなく、優しさや温かさに包み込まれる作品ですね。◆『女殺油地獄』 元禄時代の大阪が舞台。近松門左衛門の戯曲を原作にした男女の愛欲のドラマで、五社英雄監督の遺作です。 魔性の女・小菊(藤谷美和子)にはまり込んで身を崩していく油屋の若旦那・与兵衛(堤真一)と、その二人に嫉妬して与兵衛を誘惑する年増の人妻・お吉(樋口可南子)の織り成すエロティックな三角関係が、儚い映像美の中で描かれていきます。情欲に囚われた男女による、理屈を超えた心情の機微を樋口、堤、藤谷が見事に演じました。◆『闇の狩人』 江戸の裏社会に生きる人々の人間模様を、哀感とともに描いた池波正太郎原作のドラマです。 記憶喪失の剣客・弥太郎(村上弘明)と、なにかと彼の世話を焼く盗賊・弥平次(蟹江敬三)、弥太郎を殺し屋として使う香具師の元締め・清右衛門(田村高廣)、そして彼らに寄り添う女たち。 陰謀渦巻く殺し屋たちの非情な組織というハードボイルドな乾いた世界が、優しく温かい触れ合いとともに描かれ、孤独な心を抱いた者たちのドラマを際立たせています。◆『黄金の日日』 最後に、大河ドラマの中でも、特に歴史のロマンに浸れる2作品を紹介します。『黄金の日日』は、戦国時代の堺を舞台に、商人を主人公に据えた珍しい作品。堺の若者・助左衛門(六代目市川染五郎、現・二代目松本白鸚)が持ち前のバイタリティでのし上がっていく。実際にフィリピンでロケをした南蛮貿易や海賊との交流など、描かれる世界観の大きさも見どころです。 助左衛門の庇護者からやがて権力の亡者となり立ちはだかる秀吉(緒形拳)や、両者の間で葛藤する石田三成(近藤正臣)、助左衛門に協力しながら秀吉に対抗する石川五右衛門(根津甚八)など、脇のキャラクターも魅力的ですね。◆『武田信玄』 戦国最強の騎馬軍団を率いた甲斐の大名・武田信玄の生涯を描いた名作です。理想に燃える若者、頼りがいのある領主、老練な策略家―と年齢に応じて変わっていく信玄像を20代の若さで演じきった中井貴一が見事。 大河にありがちな気を緩めるようなホームドラマ要素は一切なく、ひたすら合戦と策略、人間の心の闇が描かれる。菅原文太、杉良太郎、西田敏行、平幹二朗ら豪華キャストの配役も完璧です。「時代劇だから」と構えることなく、興味のあるジャンルや好きな俳優の作品から挑戦してください。きっと心に残るシーンに出会えるはずです。※週刊ポスト2020年5月1日号
2020.04.22 16:00
週刊ポスト
『病室で念仏を唱えないでください』(公式HPより)
お坊さんドラマなぜ面白い?過去には仮面ライダーの主人公も
 冬ドラマもいよいよクライマックスに近づいている。医療モノが多い今クールだが、その中で異色の作品が『病室で念仏を唱えないでください』(フジテレビ系)だ。主演の伊藤英明が救急救命医でありながら僧侶でもある役を演じている。過去にも多くあったお坊さんドラマ。その面白さの秘密について、コラムニストのペリー荻野さんが改めて解説する。 * * * そんなわけで、熱い展開が続くドラマ『病室で念仏を唱えないでください』。主人公の松本照円(照之・伊藤英明)は、あるときは黒い法衣姿の僧侶、あるときは青い診察着の救急救命医と大忙しだ。先日の回では、ひとり部屋に取り残された幼い命を救うため、同僚医師(ムロツヨシ)の不正を見逃して大事なデータを手に入れ、急行する車内で一心不乱に念仏を唱える。大食い大酒のみでエッチな記事も大好き、煩悩もいっぱいありげな照円だが、仕事には一直線だ。 これまでにもお坊さんを主役にしたドラマはいろいろあった。そのキャラクターは実にさまざまだ。 近年でいえば、2015年、山下智久がイケメン僧侶を演じた『5 →9~私に恋したお坊さん』が話題になった。東大卒のイケメン僧侶星川高嶺(山下)は親が薦める花嫁候補がいながら、一方的に英語教室の非常勤講師桜庭潤子(石原さとみ)に恋し、無表情のまま「好きだ」「きれいだ」「結婚して」と言い続ける。 ちなみにこの年、『仮面ライダーゴースト』の主人公タケル(西銘駿)は寺の跡取り息子。タケルの相棒の住職代理(柳喬之)は「ここは拙僧にお任せください」と言いながらズッコケては、ぽくぽくチーン!と音をさせていた。この他、『必殺仕事人2015』のリュウ(知念侑李)も元お坊さんの仕事人、映画では伊藤淳史主演の『ボクは坊さん。』も公開。お坊さん作品の当たり年であった。 二時間ドラマの世界には大物俳優演じる僧侶が次々登場していた。松平健主演の『こちら禅寺探偵局 和尚法元の殺人説法 姿なき炎の犯罪トリックを解く!』では、貫禄十分の和尚が見事な推理を展開。殺人説法って…。和尚ににらまれ、悪人たちもたじたじだ。強烈だったのは、昨年急逝した萩原健一主演の『坊さん弁護士・郷田夢栄』。僧侶にして弁護士の夢栄が少年犯罪の裏を暴くのだが、その調査はすさまじい。仏像の前で怒りまくったり、チンピラと対決したり、クライマックスには犯人に馬乗りになって「全部ここで吐け!!」と大暴れする。とても仏の道にいるとは思えない激しさであった。 人気が高かったのが、浜木綿子主演の『尼さん探偵シリーズ』。このシリーズのサブタイトルはすごい。第一弾『吊り鐘から死体!破戒尼トリオ危機一髪』、第二弾『墓地に幽霊!釣り鐘に死体?色即是空殺人事件』などなど。庵主さま(浜)がゴーン!と鐘をついたら中から死体が落ちてくるわ、墓地にはわざとらしく白装束の幽霊がうろうろするわ。キャーキャー言いつつ、実はそんなことにびくともしない庵主さま。棒を振り回す乱暴者には長い数珠を振り回して立ち向かう。時にはカツラをつけて尾行までする。尼さん探偵に不可能はない! 坊さんドラマの面白さは、穏やかに仏の道を説く職業的イメージとの熱血キャラクターとのギャップだ。何かというと説法をはじめ、毎回顔を赤くして走り回る伊藤英明の「熱」こそが、このドラマのカギなのである。
2020.03.11 07:00
NEWSポストセブン
先日亡くなった宍戸錠さんは数々の名台詞を残した(共同通信社)
宍戸錠さん、梅宮辰夫さんらが演じた「勝負師」の名台詞
 プロ野球の監督や政治家、将棋棋士や雀士など、勝負師たちは忘れられない名言を遺す。映画を見ていると、それはフィクションだと承知していても、生きた言葉としていつまでも心にとどまる言葉がある。惜しまれつつこの世を去った名優たちが演じた「勝負師」の名セリフを、映画評論家の秋本鉄次氏が紹介する。■牛のクソにも段々があるんでぇ宍戸錠『仁義なき戦い 完結篇』(1974年公開)「宍戸錠演じるヤクザの大友が対立組織の組長(松方弘樹)に啖呵を切った台詞。世間から見たら牛のクソのような存在でも段々(序列や階級)が存在するという男を感じる台詞ですね」(秋本氏)■お前もあと2、3分で死ぬ。死ぬ前に好きな歌でも歌え萩原健一『いつかギラギラする日』(1992年公開)「現金強奪後、仲間割れを起こす萩原健一演じるギャングのボスの神崎と角町(木村一八)がナイフによる一騎打ち。神崎が角町の喉を突き刺し浴びせた後の手向けとも取れる言葉」(秋本氏)■俺が最前線を見せてやる! 参謀ども、表に出ろ!梅宮辰夫『大日本帝国』(1982年公開)「サイパン島で組織的な抵抗力を失なって民間人と共にジャングルを彷徨う日本軍の敗残将校がヤケになって酒を酌み交わす中、兵曹の梅宮辰夫がゲキを飛ばして仲間たちと反逆してみせた」(秋本氏)※週刊ポスト2020年2月28日・3月6日号
2020.02.26 07:00
週刊ポスト
1000人が選んだ史上最高にカッコいい「刑事ドラマ」ベスト20
1000人が選んだ史上最高にカッコいい「刑事ドラマ」ベスト20
 今も昔もドラマの大定番ジャンルといえば「刑事ドラマ」。派手な銃撃戦を繰り広げるアクションものから、緻密な推理で犯人を突き止めるミステリーものまで多種多様な傑作が生まれてきた。「史上最高の刑事ドラマ」は何か。本誌・週刊ポスト読者1000人にアンケートを実施した。◆まさか死ぬなんて 今まさに、刑事ドラマブームが起きている。「平均視聴率14%と安定した人気を誇る水谷豊主演『相棒』シリーズ最新作(毎週水曜夜9時~)に対抗するように、各局で刑事ドラマが5本も乱立した。それだけ視聴率が見込めるということです」(民放テレビ局関係者) ドラマ評論家の成馬零一氏は、人気の理由をこう分析する。「刑事がどういう職業かみんなイメージしやすい。最後には刑事が犯人を逮捕するという勧善懲悪の構造が分かっているから、視聴者は安心して見られる。作る側にとっても、そこにミステリー、アクション、人情などいろんな要素を組み合わせられるし、犯人を通して社会問題も描ける。時代が変わってもそれに合わせて作りやすいんです」 しかし、過去の名作・傑作を乗り越えるのは容易ではない。 最も多くの票を集めたのは、石原裕次郎主演の『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)だった。1972年から15年間にわたって放送され最高視聴率は37%を記録した。「ブラインドがあると、ボス(裕次郎)の真似をして、つい少し隙間をあけて様子を窺うフリをしていました(笑い)」(63歳会社員) 同番組プロデューサーの岡田晋吉氏が語る。「放送当時は刑事がお堅いイメージだったなか、七曲署の同僚ひとりひとりに魅力的なキャラクターとあだ名を設定し、身近な存在として描いたからでしょう。ショーケン(萩原健一)演じるマカロニは長髪だったから、『こんな刑事はいない』と言われましたが、むしろ“当時の若者がたまたま刑事になった”という設定にしたかったんです」 マカロニの殉職シーンは、名場面として名高い。「まさか死ぬなんて! 『かあちゃん、あついなぁ……』というセリフが切なくて、今でも胸が熱くなる」(60歳元公務員) その裏事情を、岡田氏が明かす。「マカロニの成長物語として長期番組にするはずだったのに、ショーケンが“もうやり尽くしちゃったよ”と言い出しちゃった。そこで、苦肉の策としてマカロニが殉職するという形で卒業することにしたんです。しかし、そのシーンが話題を呼び、新人刑事の殉職がパターン化したことで、結果として長期番組になった」 松田優作演じる2代目新人刑事・ジーパンの「なんじゃ、こりゃ!」など、殉職シーンがドラマの目玉に。1977年に髭面の新人刑事・ロッキーとして登場した木之元亮氏が当時を振り返る。「初めの頃は緊張しっぱなしでしたが、裕次郎さんが僕の緊張を解きほぐそうと、『ア行だのサ行だの難しいセリフもあるけど、俺もサ行がダメなんだよ』と言ってくれて気持ちが楽になりました。 その後、ドラマの中で結婚して子供も生まれていたので、一時は殉職できないのかなと思っていた。だから、殉職できた時は嬉しかったですね。あだ名がロッキーなので、冗談で『ロッキー山脈で死ねたらいいな』といったら、本当に希望通りになったんです」◆鼻歌のテーマ曲 3位は1961年放送開始の『七人の刑事』(TBS系)。15位の『部長刑事』(1958年・テレビ朝日系)とともに、日本の刑事ドラマの原点ともいうべき作品である。「よれよれのトレンチコートにハンチング帽をかぶった沢田部長刑事(芦田伸介)に憧れて、親父のコートを借用しては真似したものです。ン~ン~ンンンっていう鼻歌のテーマ曲は今も耳に残っています」(73歳無職) ちなみに沢田部長刑事のモデルは、実在した警視庁の名刑事・平塚八兵衛だったという。 4位にランクインしたのは、石原プロが手がけた『西部警察』(1979年・テレビ朝日系)。渡哲也演じる“団長”こと大門圭介が率いるのが、凶悪な犯罪者にも恐れられる「大門軍団」。その“お目付役”が木暮謙三役の石原裕次郎だった。「サングラスをかけたコワモテの団長がショットガンをぶっぱなす姿は、まさに男の憧れでした」(52歳会社員) アクションは『太陽にほえろ!』からさらに過激になって、軍団専用の“違法改造車”や装甲車まで登場。同じく渡が主演した『大都会』(1976年・日本テレビ系)も18位に入っている。 激しいアクションをウリにしながらも、コワモテの大門軍団とは一味違う、スタイリッシュな2人組を主人公にしたのが、5位『あぶない刑事』(1986年・日本テレビ系)だ。『あぶデカ』を手がけたのも前出・岡田氏だった。「とにかくタカ(舘ひろし)とユージ(柴田恭兵)が暴れてくれればいいと思っていました。ダブル主人公ものはクレジットでどちらの名前を上にするかが難しいんですが、オープニングを作る際に彼らの職場である警察署にカメラを持って入っていき、たまたま先に出てきたのが舘で、次が柴田だったから、名前の順番も舘、柴田の順にしました(笑い)」 6位の藤田まこと主演『はぐれ刑事純情派』(1988年・テレビ朝日系)は“人情モノ”の代表格。元捜査二課刑事でドラマの監修なども手がける土井紀人氏も高く評価する。「刑事が相手の心理をいかに掴んでいくか。資料を収集し、証拠を分析し、どう事件の“筋読み”をするか。細かい部分がよく描かれていた」◆『相棒』はいいとこ取り 7位に入った海外ドラマの『刑事コロンボ』(1972年・NHK)。冒頭のシーンで犯人が明らかになり、コロンボがその犯人をしだいに追い詰めていく様子に、視聴者はハラハラドキドキ。「帰りかけたコロンボが振り返って“あと一つだけ”といって、ねちっこく質問を浴びせる場面は毎回楽しみだった」(75歳無職) そんなコロンボをオマージュしコミカルな笑いの要素も取り入れたのが、12位の田村正和主演『古畑任三郎』(1994年・フジテレビ系)である。脚本は大のコロンボファンを公言する三谷幸喜だった。「1980年代までの刑事ドラマは“アクション”と“人情”がお約束でした。1990年代に入ると世間のミステリーブームもあって、『古畑』のように『コロンボ』の影響を受けたミステリー型の刑事ドラマが増えていきました」(前出・成馬氏) 1990年代には、警察組織にスポットを当てるドラマも大ヒットした。 8位の『踊る大捜査線』(1997年・フジテレビ系)は、刑事ドラマに“リアリティ革命”をもたらした。「キャリアとノンキャリという聞いたこともなかった言葉が飛び交い、青島(織田裕二)は、主人公なのに“所轄は引っ込んでろ”と言われて捜査に参加すらできない。『本当の警察ってこんなだったの!?』と驚いた」(46歳会社員) 前出・土井氏も太鼓判を押す。「織田裕二さんが警視庁マスコットのピーポくんの着ぐるみを着て出てくるシーンがありましたが、私も同じ経験があり、リアルだなと思って見ていました」 近年の新潮流として、女性刑事が主役を張るものが増えている。13位の竹内結子主演『ストロベリーナイト』(2010年・フジテレビ系)が代表格で、17位で現在放送中の沢口靖子主演『科捜研の女』(1999年・テレビ朝日系)シリーズは、警察組織の中でも科学捜査研究所にスポットを当てている。 刑事ドラマは時代とともに多様化してきたが、前出・成馬氏によれば、過去の刑事ドラマの集大成と言えるのが、2位の『相棒』(2000年・テレビ朝日系)だという。「基本型は『刑事コロンボ』のようなミステリーですが、『はぐれ刑事純情派』のような人情モノ要素もあり、『踊る大捜査線』のような“組織モノ”要素もある。さらに、シーズンごとに相棒役やカラーも変わる点は、『太陽にほえろ!』以来の長期番組の常套手段を踏まえている。そうしたいい意味での“いいとこ取り”が『相棒』の強みなのだと思います」 数々の名作を超える新機軸の刑事ドラマは、いつ現われるのだろうか。※週刊ポスト2020年2月7日号
2020.01.30 11:00
週刊ポスト
2019年も多くの芸人が亡くなった(イラスト/佐野文二郎)
高田文夫氏、さんまの師匠ほか今年亡くなった芸人を追悼
 放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、2019年に“あちら”のお座敷に呼ばれた「笑い」に生きた人々についてお送りする。 * * * 今年もお世話になりました。お世話になり過ぎたのかもしれません。年の瀬になって『面白い人のことばっかり!』『画文集 芸人とコメディアンと』、たて続けに2冊出版し、ここで告知までさせていただきすいません。気がつけば今年は文庫本も入れると5冊、本を出したことになります。働く71歳。来年は「桜を見る会」も行けそうにないので己の働き方改革を考えなければと思います。 こうして年末の号ともなるとどこの雑誌もグラビア等で亡くなった人を追悼してますが、八千草薫、萩原健一、梅宮辰夫ら超メジャーな芸能の人々なら偲んでももらえるし、とりあげてももらえますが、芸能の片隅で“笑い”に生きた人々は思い出してももらえません。たくさん笑わせた人はたくさん悲しいし、少し笑わせてくれた人は少しやっぱり悲しいのです。 2019年あちらからお座敷がかかった笑芸の人達、まずは関西篇。2月には吉本新喜劇で大活躍した山田スミ子。そして天下の明石家さんまの師匠としても知られる笑福亭松之助。この師匠自体が芸人として自由な生き方をしてきた。 5月には吉本新喜劇の若き座長としてひっぱった木村進。6月には「すまんのォ」で知られる“横山たかし・ひろし”のたかし。お正月の演芸番組には欠かせない人だった。その他の大阪の演芸界は“闇営業”一色で、すべて闇の中。あとは税金払えっていう話だ。 関東篇となりますと3月、地球の上に朝が来る~~ッの川田晴久(美空ひばりの師匠としても高名)の流れを汲む、灘康次とモダンカンカンのリーダー(親方)灘康次。談志の呑み会などでよく会った。4月、お笑い界の中でも、芸能界の中でも超メジャー、我らが日大芸術学部の大先輩「グラッチェ」ケーシー高峰。これほどどこへ行ってもどんな所でも大きな笑いを確実にとれる漫談家はいなかった。医学ドラマ『ベン・ケーシー』からその名を勝手にもらった。4月の同じ日、新聞の訃報欄に載ったのが「ナンセンス」の原田健二。浅草のポンコツ芸人としてナイツからいつもいじられていた。それが嬉しそうだった。 8月には「ひでや・やすこ」として高座にあがっていた新山ひでや。最後はかつらをカミングアウトしてこれもナイツから絶妙のつっこみをもらって満足そうだった。 覚えておいて欲しい人が、戦後新宿の「ムーラン・ルージュ」で憧れのスターだった明日待子。100歳近かったと思う。野末陳平が早大時代通いつめたと言う。■イラスト/佐野文二郎※週刊ポスト2020年1月3・10日号
2019.12.23 16:00
週刊ポスト
【追悼2019】金田正一さんや内田裕也さんら歴史を刻んだ人々
【追悼2019】金田正一さんや内田裕也さんら歴史を刻んだ人々
 令和という新たな時代の始まりとなった2019年。今年も多くの人が永遠の眠りについた。政治家、スポーツ選手、ミュージシャンなど、多くの人の記憶に残る人たちだった。(男性編)■中曽根康弘(元首相、享年101) 1947年、衆院議員に初当選。1982年、第71代内閣総理大臣に就任。在職中に国鉄、電電公社、専売公社を民営化。1997年、大勲位菊花大綬章を受章。11月29日死去。■金田正一(元プロ野球選手、享年86) カネやんの愛称で親しまれた前人未踏の400勝投手。1951年から14年連続20勝を記録。1955年には来日したヤンキースのミッキー・マントルから3三振を奪う快投。1965年に巨人に移籍、1969年通算400勝を達成し引退。1974年にはロッテ監督で日本一に。10月6日死去。■萩原健一(歌手・俳優、享年68) ザ・テンプターズのボーカルとしてGSブームを牽引。ドラマ『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』で俳優としても人気に。3月26日消化管間質腫瘍により永眠。■内田裕也(ロック歌手・俳優、享年79) 1966年のビートルズ来日公演では特別編成のバンドで前座を務め、「ザ・タイガース」生みの親だった。昨年9月15日に没した妻・樹木希林を追うように3月17日肺炎で永眠。■堺屋太一(作家、享年83) 1976年、小説『団塊の世代』がベストセラーに。1998年から約2年間、小渕恵三内閣で民間人閣僚として経済企画庁長官を務めた。2月8日多臓器不全で死去。■ケーシー高峰(漫談家、享年85) 日本大学医学部に入学するも、芸能活動の夢捨てがたく芸術学部に転部。1960年代後半から下ネタを取り入れたお色気医事漫談で人気に。4月8日肺気腫で没した。■高島忠夫(俳優・司会者、享年88) 日本一の仲良し芸能一家の大黒柱が静かに旅立った。『ごちそうさま』『クイズ・ドレミファドン!』『アメリカ横断ウルトラクイズ』などで司会を務め、「イェーイ」の決め台詞でお茶の間を盛り上げた。晩年は闘病生活が長く続き、6月26日老衰で永眠。■和田誠(イラストレーター・ 映画監督、享年83) たばこ「ハイライト」のデザインで一躍人気イラストレーターに。その後監督した映画『麻雀放浪記』『快盗ルビイ』が大ヒット。妻は料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミ。10月7日肺炎で死去。■安部譲二(作家、享年82) 名門麻布に入学、英国留学、暴力団組員、JAL客室乗務員などを経て、1986年刑務所での実体験を描いた小説『塀の中の懲りない面々』がベストセラーに。9月2日急性肺炎で死去。■竹村健一(評論家、享年89) パイプを片手に鋭い視点で世相を斬り、「デリーシャス」などの流行語も生んだ。口癖は「だいたいやねぇ」。著書は数百冊にのぼる。7月8日多臓器不全で死去。※週刊ポスト2019年12月20・27日号
2019.12.14 07:00
週刊ポスト
渡哲也、高畑裕太、斉藤由貴… NHK大河降板劇の数々
渡哲也、高畑裕太、斉藤由貴… NHK大河降板劇の数々
 来年の大河ドラマ『麒麟がくる』に準主役級で出演が決まっていた沢尻エリカ(33)が逮捕されたことで、代役探しが大きな注目を集めた。様々な女優の名前が噂されたが、若手の川口春奈(24)に決まり、これから撮影をして1月放送に間に合わせるという。1963年に『花の生涯』が放送されてから、2021年放送予定の『晴天を衝け』で60作を数える大河ドラマを振り返ると、様々な理由で出演俳優が降板した歴史がある。そのなかから、代表的な事例を紹介しよう。●『勝海舟』(1974年) 勝海舟役 渡哲也→松方弘樹 渡は第9話収録時に肋膜炎が発覚し大河の長い歴史上で唯一、主演俳優の降板となった。『勝海舟』では脚本の倉本聰氏もスタッフとの不和で降板しており、スキャンダラスな作品となった。●『太平記』(1991年) 新田義貞役 萩原健一→根津甚八 慢性真珠腫を患い、三半規管の機能を失って直立困難となったショーケン。自身も後に「生涯最大の難病だった」と発言している。●『功名が辻』(2006年) 堀尾吉晴の妻“いと”役 杉田かおる→三原じゅん子 杉田は初回の撮影をドタキャンし、その後「スケジュールの都合」と出演を辞退した。離婚発表後だったため、それが原因とも囁かれた。●『黄金の日日』(1978年) 蜂須賀小六役 室田日出男→役ごと消滅 東映の人気俳優として抜擢された室田だが覚醒剤所持で降板。代役はなかった。しかし、室田はその後1993年の『琉球の風』で大河に復帰した。●『毛利元就』(1997年) 尼子経久役 萬屋錦之介→緒形拳 度重なる闘病を乗り越えて重要キャストに抜擢されるも中咽頭がんが発覚。闘病の末、翌年に死去。●『真田丸』(2016年)真田信政役 高畑裕太→大山真志 大抜擢で母の女優・淳子と親子共演を果たすはずが、強姦致傷の疑いで逮捕(その後不起訴)され、降板となった。●『西郷どん』(2018年) 篤姫の大奥女中・幾島役 斉藤由貴→南野陽子 週刊誌の不倫報道が原因で斉藤側から出演辞退の申し入れがあった。代役のチャンスを得た南野は好演し、女優としての転機となった。●『西郷どん』(2018年) ナレーション 市原悦子→西田敏行 斉藤由貴の出演辞退が発表された2か月後、自己免疫性脊髄炎で休養中の市原の病状が回復しないことを理由にナレーションを辞退。『西郷どん』は放送前に降板が連発した。●『いだてん~東京オリムピック噺』(2019年) 黒坂辛作役 ピエール瀧→三宅弘城 足袋職人の役柄で出演するも、10話放送のタイミングで、コカイン使用の容疑で逮捕。2週後からは代役の三宅に変更。DVD販売用に以前のシーンは全て三宅で再撮影された。●『いだてん~東京オリムピック噺』(2019年) 大松博文監督役 徳井義実→出演シーン縮小 日本女子バレーボールの監督役で出演予定だった徳井の所得隠しが発覚、11月3日放送分では約4分間に出演シーンを縮小した上で、番組冒頭で再編集を伝えるテロップを表示した。※週刊ポスト2019年12月6日号
2019.11.26 11:00
週刊ポスト

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