くも膜下出血は脳卒中の一種だ。ストレスなどが原因で脳内の血管に発生した脳動脈瘤が破裂する危険な病気で、発症した患者や家族は「3分の1ルール」と呼ばれる厳しい現実に直面する。
統計によれば、【1】3人に1人は回復して社会復帰することができるが、【2】1人は亡くなり、【3】もう1人は手足のまひなどの後遺症が残ることがあるという。KEIKOは、ほぼ【1】の状態ではあるが、医師に「高次脳機能障害」と診断された。脳神経外科医の嶋田裕記医師が解説する。
「症状として細かいことに気がつけなかったり、ひとつのことに集中できないという注意障害などがあげられます。例えば、車の運転をするときに右を見て左を見て、という段階で何をやっているんだろう?と自分の行動がわからなくなってしまう。声を出すとか、手足を動かすといった簡単な動作ではなく、記憶や遂行機能などの“高次な能力”に支障が出る状態で、重度の場合には社会的な行動ができなくなってしまう可能性もあります」
脳がタイムリープした
後遺症の影響もあり、意識が戻った直後、KEIKOの記憶から数年間の出来事がすっぽりと抜け落ちていた。
「住所を書いてくださいと言われて、当時住んでいた東京都港区ではなく大分県って書いてしまったんです。年齢を聞かれたときは17才と言ってしまって……厚かましいですよね(笑い)。でも、自分では本気で17才だと思い込んでいたんですよ。忘れるというより、昔に戻ってしまったような、脳だけがタイムリープしたような感覚でした。
漢字もおぼつかなくて母の名前にある“喜”という字が書けなかったんです。もちろんいまは書けますが、そのときは何で書けないの?って焦りました。ひとりで勝手に若返ったつもりでいるんだから面白いですよね。でも、家族は本気で心配していたし、周りは大変だったと思います」
家族がいちばんショックを受けたのは、2007年に他界した父がいまも生きていると思い込んでいたことだ。
「目覚めた後、家族に『お父さんはどこ?』って聞いたそうです。実は、まだ意識が混濁しているときに病院に父が来た記憶があって、そのとき父は私に向かって『まだ来るのは早い』って強く言っていたんです。病院にいたときのことはあまり覚えていないけど、料亭の割烹着を着た父の姿は、不思議といまも目に焼き付いているんですよね。
家族は、私に本当のことを告げるのがすごくつらかったようですが、あるとき、ふと父の葬儀の映像が脳裏によみがえってきて……徐々に記憶がつながって、亡くなったことを理解したときは無意識に涙が流れ、号泣してしまいました」