7歳上の姉が後見人になって、江原さんは施設や親戚のもとに行かずに済んだが、母の言葉通り、18歳になると心霊現象に悩まされるようになる。学費を稼ぐため夜間の建物警備のアルバイトをしていて、さまざまな異変に見舞われたのだ。深夜の廊下をバイクが走る音がしたり、ありえない場所に人の顔が見えたりすることが続き、精神的におかしくなった、と友達も離れていった。
自分が見舞われている心霊現象が何なのか、18歳の江原さんは自力で突き止めようとした。
「テレビっ子世代ですから、滝行もやったし、霊能者を20人ぐらい訪ねたんです。神も仏もあるものか、もし神や仏がいるなら嫌がらせに死んでやる、ぐらいの破れかぶれな気持ちでしたね。山ほどインチキな人に会った後に、最後に出会ったのが私の師匠(霊能者の寺坂多枝子氏)です」
日本の霊能者を紹介する本に、日本心霊科学協会の会員として掲載されていたのが寺坂氏だった。
「ほんとにふつうのおばさんで、家もふつうで、私の名前を書かせて茶の間でじっと話を聞いてくれて。『あなたには何の問題もない、何も憑いてませんよ』と言われました。救われましたね。ただ、あなたの人格が低いから低いものとかかわる、人格を高めれば高いものとかかわるようになるとも言われた。
私が、『憑く霊が悪いんじゃない、憑かれる自分が悪い』とよく言うのも、もとは師匠の教えです」
ラクになりたい一心で霊能者を訪ね歩いた江原さんだったが、寺坂氏との出会いが、霊能者の道へと導く。
死後の世界は決しておどろおどろしいものはない
男性が霊能者を職業として生きるのは難しいだろうという寺坂氏の配慮で、江原さんは真言宗の寺に入ることになった。修行期間に、なぜか体調を崩して寝込むことが多く、僧侶になることをあきらめると神社を紹介された。
この神社の当時の宮司が心霊研究家で、江原さんは神職として仕事をしながら、神社に来る人の相談を受けるようになる。ちなみに、佐藤愛子さんと知り合ったのも、この、佐藤家からほど近い神社時代のことだ。
「午前中は地鎮祭とか神主の仕事、午後に個人相談を受けるんですけど、ものすごく忙しくなっちゃって。小学館のファッション誌『CanCam』に紹介されたものだから電話が鳴りやまなくなり、それからは、洗濯機の中に放り込まれたような、訳のわからないことになってしまいました」