じつは南京事件について述べた「この場合」のこともそうで、意味がよくわからなかった人は次のエピソードを読んでいただきたい。『逆説の日本史 第二十七巻 明治終焉編』で何度も引用した、日本きっての「知韓派」の漫画家高信太郎の著書から、著者がおそらく七十年代に小説家中山あい子の主宰する「韓国グルメツアー」に参加したときのエピソードを紹介したい。
〈ソウル観光が終わり、次へ向かう高速道路で事件が起きたのです。突然バスが止まってしまった。というか、高速専門の白バイに止められてしまったのです。交通警察官はバスの中に入ってくると、運転手に向かって取り調べを始めました。それが……長いのです。そこで、あい子先生が「コーシン、ちょっと聞いてこい!」とおっしゃった。こんなにも早く出番があるとはです。
ガイドに聞くと、スピード違反だという。そんなバカなですよ。(中略)ピンときたぼくは、ガイドのミス・キムに「オルマ?」と聞きました。「いくら?」の意味です。するとミス・キムは、ぼくにだけ見えるよう指を一本立てて見せました。そこでぼくが、あい子先生のところに戻り、小声で「一万円だそうです」というと、先生はガハハと笑い、「早くいえ! バカヤロウ!」といってサイフから一万円札を出し、ぼくに渡しました。これですべて終わりです。白バイは去り、バスは何事もなかったかのように元の猛スピードで次の目的地へと向かった。〉
(『笑韓でいきましょう』高信太郎著 悟空出版刊)
これでほとんどの読者は私がなにを言いたいかわかってくれたと思うが、日本人のなかにはきわめて善良というか「お人好し」(失礼!)の人が少なくないので、さらに次の文章を付け加えよう。
〈後に韓国人の友人にこのバスの話をすると、彼女は笑って「それは韓国では当たり前のことです」といいました。そのため、高速道路の白バイ警官をやると、一年ほどで豪邸が建ってしまうのだとか(マサカ!!)。もちろんバスの運転手のほうにもいくらか入るようになっているのでしょう。〉
(引用前掲書)
半世紀ぐらい前の話だし、若いガイド嬢は「恥ずかしそうでした」とあるから現在はこんなことはたぶん無いのだろう。しかし、いわゆる「開発途上国」では「小役人は常に賄賂を要求する」というのが世界の常識だったし、現在もたぶんそうだと思う。こういうことは旅行ガイドには絶対書かれない。「チップのつもりでお金を出せば解決する」などと書いてしまえば、贈賄罪という犯罪を推奨することになるからだ。
しかし、日本でも江戸時代はそうだったことは時代劇ファンならよくご存じだろう。『必殺』シリーズの南町奉行所同心中村主水も、あたり前のように「袖の下」を受け取っていた。これはフィクションだが、歴史上もそれは事実だった。つまりこのころは、世界の常識と日本の常識は一致していたのである。
それがいつ変わったのかというのが、じつはきわめて重大な問題であることに初めて気がついた方もおられるだろう。明治維新で変わったのである。たしかに上層部には井上馨を筆頭とする汚職政治家がいた。山県有朋ら陸軍軍人のなかにも怪しい人間はいたし、シーメンス事件で一部の海軍軍人は有罪になってしまった。そして小役人でも賄賂を強要するような人間が根絶されたわけでは無いが、それでも日本の小役人いや官僚ならぬ官吏のモラルは非常に高いものがあった。
最近イギリスでリメークされて評判になっている黒澤明監督の名画『生きる』を見ても、それがわかるだろう。あれもフィクションだが、完全に実態と異なっているフィクションは決して名画として評価されない。ではなぜ官吏のモラルが高くなったかと言えば、やはり吉田松陰の主唱した「草莽崛起」の意識が明治人の心に、たとえ現場の下級職員といえども等しく天皇の家臣なのだから高いモラルを持つべきだ、という考え方を育てたのではないだろうか。とにかく日本の官吏のモラルは、とくに東アジアのなかで飛び抜けて高かったということを認識していただきたい。