大野倫、川口知哉、島袋洋奨、吉田輝星
仮にプロ入りできたとしても、夏の甲子園での登板過多の影響からか、期待されていたような活躍ができなかった選手は多い。
1991年の準優勝投手である沖縄水産の大野倫は甲子園で773球を投げ、沖縄に帰ると右ヒジの剥離骨折が判明。投手生命は絶たれた。九州共立大では打者に転向し、1995年秋のドラフト5位で巨人に入団したものの、プロでは芽が出なかった。
「1997年、平安高校の川口知哉は820球投げて準優勝し、秋のドラフトでは1位で4球団競合の末にオリックスへ入団しました。しかし、プロでは1勝もできなかった。
2010年、783球投げて興南を沖縄県勢初の夏の甲子園優勝に導いた島袋洋奨は中央大学に進学。2014年ドラフト5位でソフトバンクに入団しましたが、1勝も挙げることなく、2019年に引退しています」
現役の選手では、2018年に、881球を投げて金足農業を準優勝に導いた吉田輝星がいる。その秋のドラフトで日本ハムに1位指名され、昨年は51試合に登板したが、今年はまだ一軍登板がない。
例外とも言える2人の“怪物”
過去に夏の甲子園で700球以上放った投手のほとんどはその後、故障に見舞われ、プロに入ったとしても華々しい活躍ができていないケースがほとんどだ。その中で、例外とも言える“怪物”が2人いる。