「横浜高校の松坂大輔は1998年に782球投げて優勝、駒大苫小牧高校の田中将大は2006年に742球投げて準優勝しました。2人ともドラフト1位でプロに入って1年目から2桁勝利を挙げ、メジャーリーグにも行った。ただ、これは特別だと思った方がいいでしょう。
1998年、決勝で松坂と投げ合った京都成章の古岡基紀は852球を投げ、中央大学に進学。1年の時に肩を痛めています。社会人ではヤマハに進みましたが、プロには縁がありませんでした」
例外の2人も、30歳を過ぎると、その活躍に衰えを見せることがあった。やはり甲子園での投げ過ぎの影響があったのか。
「松坂が最後にほぼ1年間先発ローテーションを守ったのは、レッドソックス時代の2010年が最後でした。この時、30歳でした。田中はコロナ禍で試合数が少なかった影響もあるとはいえ、32歳になる2020年にヤンキースで3勝に終わりました。翌年楽天に復帰して以降、ローテーションは守っていますが、往年の輝きは見せられていない。いずれも、甲子園での球数過多がなければ、もう少し全盛期が長くなったのではないか、と考えるファンは多い。
逆に言えば、大谷翔平は3年夏の甲子園には出場できなかったことが功を奏して、今の二刀流が成立しているのかもしれません。ただ、だからといって、甲子園に出なければいいという話ではない。大谷は最後の夏に、なんとしてでも甲子園の土を踏みたかったでしょう。それに、松坂大輔も斎藤佑樹も田中将大も甲子園で何物にも変え難いドラマを生んだ。他の700球以上投げたピッチャーにも同じことが言えます。
甲子園での活躍は永遠に残る勲章でもある。一方で、彼らほどの才能があれば、プロでもっと羽ばたけたはずと考えてしまう。ファンにはそんなジレンマがある」
先人の足跡を参考に球数制限や休養日ができた甲子園。もう700球以上投げるような投手は出てこないかもしれないが、1人の投手に頼らない新しいドラマの誕生に期待したい。